第7話

 あの夜を境に、僕たちの新たな関係は甘美な日々をもたらした。彼と一緒にいるだけで、音楽も生活もすべてが輝いて見えた。僕たちは、音楽院での学生生活を心から楽しんでいた。


 毎日の授業や、練習はもちろん、時には二人で外出して息抜きをすることも増えた。映画を見た後、郊外の静かなカフェで、甘いお茶を飲みながら、感想を話し合ったりする時間は、僕の青春の一ページとして、確かに刻まれていった。


 学院内では、僕たちはもはや一目置かれる存在となっていた。あの発表会の成功以来、僕たちが紡ぐ音楽には、生徒だけでなく、先生たちもが注目していた。その期待に応えたいと、アレンジだけでは飽き足らず、自由な時間ができるたびに、新しい音楽を作り、練習室や互いの部屋で過ごすことが日常となっていた。


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 それは、幸せの絶頂期とも言える時間だった。僕たちは音楽に没頭し、愛し合い、未来に何の疑問も持たずに生きていた。音楽院での日々は、まるで無限に続くかのように感じられた。


「お前と一緒にいると、無敵になったような気分だぜ」


 ジャックが、練習室で僕に笑いかけたことがあった。彼の笑顔はいつも明るく、僕に安心感を与えてくれた。


「僕もだよ。君といると世界が広がる。今はクラシックだけじゃない。あらゆる音楽に興味がある」


 僕たちは本当に、何もかもがうまくいっているように思っていた。学校での評価も上がり、僕たちの関係もますます深まっていった。そして、僕たちの音楽家としての将来は安泰だと、誰もが思っていたんだ。


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 だが、僕の視界には、少しずつ違和感が生じ始めていた。それは最初はごく小さなもので、何の問題もないように思えた。


 ある日、練習室でジャックと一緒にピアノを弾いていた時、目の前に、ほんの一瞬だけだが、黒い影が現れた。視界の端にちらつく影が、何度か僕の注意を引いた。


「どうした、アレク?」


 ジャックが僕の手が止まったことに気づき、僕を見つめた。


「い、いや、なんでもないよ。ちょっと集中が切れただけ。」


 僕は軽く笑って、彼を安心させようとした。


 だが、その時から、僕の視界に現れる違和感は少しずつ増えていった。影が現れる頻度は増え、時には光がぼやけるような感覚も感じ始めた。しかし、それでも僕はその異常を、深刻に受け止めようとはしなかった。僕にはジャックとの幸せな時間があり、それがすべてを凌駕していたからだ。


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「なあ、最近、少し疲れてるんじゃないか?」


 ある日、ジャックが僕にそう言った。彼は、僕が何度かピアノの音を外すことに気づいていたのだろう。


「そうかも。練習のしすぎ…かな」


 僕は彼の心配を軽く受け流すように言った。


「無理すんなよ、お前は頑張りすぎるところあるからな」


 ジャックは笑いながら、僕の肩を軽く叩いた。その言葉に、僕もつい笑顔を返した。


 僕は、自分の体の変化に気づきながらも、それを認めることができなかった。僕たちがこれからも音楽を作り続け、共に輝かしい未来へ向かって進むはずだと、信じたかったからだ。


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 しかし、ある夜、それが無視できない現実となって襲いかかってきた。ジャックと一緒に夜の街を歩いていた時、僕の視界が突然ぼやけ始めた。街灯の光が滲み、目の前の世界が暗闇に飲まれた。


「おい、アレク、どうした?」


 ジャックが立ち止まり、僕を心配そうに見つめた。


 僕は瞬きを繰り返し、視界がクリアになるのを待ったが、視野の一部はまるで霧がかかったように曇ったままだった。僕は何も言わず、ただ立ち尽くしていた。


「お前、顔色悪いぞ。大丈夫かよ?」


 ジャックの声が僕を現実に引き戻した。


「大丈夫…だと思う。でも、少し目が…」


 僕は言葉を選びながら、曖昧に答えた。


「目?」


 ジャックは眉をひそめた。


「何かおかしいのか?」


 僕は視線を外し、言葉を飲み込んだ。これまでの違和感が、ただの疲労や過労によるものではないということを、この瞬間に悟った。だが、それをジャックに打ち明ける勇気は、まだ持てなかった。


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 それから数日後、僕は一人で医者を訪ねた。ジャックには家庭の用事だと嘘をついた。診察の結果、医者は静かに、僕の目の症状が「遺伝性の病気」によるものである可能性が高いと言った。進行性の病気で、時間と共に視力を失っていくことが考えられる、と。


 その診断を聞いた瞬間、僕は頭が真っ白になった。だって、自分がこんな病気にかかっているとは、思ってもみなかったからだ。音楽家としての将来、そしてジャックとの輝かしい時間が、まるで砂のように崩れ落ちていくようだった。


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 病院から帰る道中、僕の頭にはあらゆる言葉渦巻き、混乱していた。ジャックにこのことをどう話せばいいのか、そもそも話すべきなのか…。彼に心配をかけたくなかったし、何より、彼との未来を壊したくなかった。


 自分の部屋に戻ると、心配そうな顔をしたジャックが待っていた。彼は僕の顔を見るなり、何かを感じ取ったのか、慌てて駆け寄ってきた。


「お前、どこ行ってたんだ?なんか顔色が悪いぞ」


 ジャックの言葉に、僕は笑顔を作ろうとしたが、うまくいかなかった。


「別に。少し家の用事があっただけだよ。大丈夫だから」


 僕は何とかして彼に安心させようとしたが、その瞬間、再び視界が再びぼやけ始めた。


「アレク…俺に何か隠してるだろ?」


 ジャックは僕の目をじっと見つめた。


 僕はその視線に耐えられず、視線を逸らした。そして、ついに言葉を絞り出すように告げた。


「実は…目の調子が良くないんだ」


 ジャックは驚いたように一瞬固まったが、すぐに僕の言葉を待った。


「医者に診てもらったんだけど…進行性の病気だって。もしかしたら、完全に視力を失うかもしれない」


 その言葉を口に出すと、まるでその現実からは逃れられないかのように、重苦しい空気が部屋を支配した。ジャックの反応が怖かった。彼が何を言うのか、どんな感情を抱くのか、それが僕にはわからなかった。


 しかし、次の瞬間、ジャックは僕に歩み寄り、僕を強く抱きしめた。


「お前がどんな状態でも、俺はお前を見捨てたりしねえよ」


 ジャックの言葉は、深く優しかった。


「でも…僕はもう二度とピアノが弾けなくなるかもしれない。君と一緒に演奏できなくなるかもしれないんだよ」


 僕はその言葉に涙がこみ上げてきた。


「そんなこと言うな」


 ジャックは僕の背中を強く叩きながら続けた。


「俺たち、今まで何だって乗り越えてきただろ?目が見えなくても、お前の音楽は死なない。それに、俺がずっとそばにいるからさ」


 彼の言葉に、僕はしばらくの間、何も言えなかった。涙が頬を伝い、静かにこぼれ落ちていく。悲痛な嗚咽が、部屋の中に響いた。

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