夢の終わり

 夢での結婚生活は順風満帆だった。

 どれだけ現実で打ちのめされようが、一度寝てしまえば、優しくて美人の奥さんが俺のことを癒してくれた。春は花見をし、夏は花火大会に出かけ、秋は紅葉狩りに行った、冬になるとクリスマスを二人で祝い、正月は初詣に行った。

 あまりに充実した夢での結婚生活に、俺はどちらが現実で、どちらが夢か分からなくなりそうになることがあったが、現実はとても空虚で味気ないものだったので、それを感じる度に、あぁこれが現実なんだなと現実と夢の境界だけは曖昧にならずに済んだ。

 何年、十数年と夢での結婚生活は続き、そして俺が40代後半になった時、夢を終わらせるような出来事が起こった。

 現実世界の俺が大腸がんになってしまったのである。しかも手の付けようがないらしい。

 不思議とショックは無かった。母は病弱で死んだが、父は大腸がんで死んだ。親父の血を受け継いでいる俺も、何となくがんで死ぬんだろうなと、ある程度の覚悟は出来ていた。

 抗がん剤の治療は受けない。痛くて辛いのは嫌だし、何事も引き際が肝心である。入院する前に身辺整理を整え、入院の前日の夜、夢の中の妻にも大腸がんのことを伝えることにした。


「僕は大腸がんなんだ。もう助からない」


「えっ……嘘でしょ?この間の健康診断の結果だって良かったじゃない」


 健康診断というのは夢の中での話である。自分の夢の中の人物に理由を話すのはバカらしいかもしれないが、話が前に進まなそうだったので、ココが夢の世界であることを彼女に説明することにした。


「ここは俺の夢の世界なんだ。君だって俺の作り出した人物で、この家も、想い出さえも夢の中の出来事さ。現実の俺は一人で独身、彼女だっていないのさ。」


 自分で説明していると虚しくなる。イチイチこんなことは言いたくなかった。

 これを聞くと妻は驚いた表情をして、ソファーに深く座って溜息をついた。

 そうして暫くの沈黙の内に、こんなことを言い始めたのである。


「アナタの話が本当だとしたら、間違いがあるわ」


「間違い?俺が何を間違ってるって言うんだ?」


「アナタはこの夢が自分だけのものだと思っている様だけど、実はそうじゃないの。私達の夢なのよ」


「何っ?」


 彼女の言っていることが俺にはよく分からなかったが、続けて彼女はこう説明した。


「私も毎日夢を見ているのよ。あなたと結婚している夢をね。多分独り身同士で夢が繋がったんじゃないかしら?信じられない話だけどね」


 ……本当に信じられない話である。夢と夢が繋がる?そんなことが現実に可能なのだろうか?とはいえ毎日夢の中で結婚生活が続いていたのも事実であり、そう考えると夢が繋がるというのも、あながちあり得ない話じゃ無いのかもしれない。

 妙に納得できる話だったので、俺は彼女の言うことに嘘は無い様に思えた。


「そうだったんだね。それじゃあ、お礼を言わせてくれ。今まで俺みたいな男と夢の中とはいえ結婚してくれたことを。君との結婚生活は大変素晴らしい物だった。現実では得ることの出来ない、本当に夢みたいな時間だった」


「……まるで今日で結婚生活が終わるみたいな言い方ね」


「あぁ、終わらせる。俺は最後は現実の世界だけで生きるよ。夢見心地じゃなくて現実で君との過ごした掛け替えのない日々を噛みしめたいんだ」


 俺の言葉に妻は残念そうな顔をしたが、いつものような優しい口調でこう答えてくれた。


「決心は固そうね。良いわ、夫婦だもんね、互いを尊重し合わないと駄目よね。今日で夢での結婚生活を終わりにしましょう。今までありがとう。最後に名前だけ教えてくれるかしら?私の名前は三原みはら 千鶴ちづる。」


 そういえば十数年連れ添って来たのに彼女の名前も知らなかった。自分の奥さんに名前を教えない道理は無い。


「俺の名前は二階堂 丈」


「丈さん……良い名前ね」


 さて最後に名前を教え合った事だし、名残惜しくなるといけない。別れの時である。


「それじゃあ千鶴さん、さようなら」


「えぇ、丈さん、さようなら」


 そこから俺達は何も言わずに別れのキスをした。両方ともこれ以上の言葉は野暮に思えたのだろう。そうしてキスが終わると、俺はベッドの上でゆっくりと上体を起こした。目からは涙が一滴流れ落ちたが、これは悲しいから出た涙なのか判断が付かなかった。

 こうして俺は二度と夢で結婚生活を見ることは無く、そのまま最後の時を迎えた。



~二年後~


 一人の70代の老婦人が日傘を差し、花束を持ちながら墓場を歩いている。歳の割には小奇麗にしていてシワも少なく、実年齢より5歳は若く見られそうだ。

 墓の名前を一つ一つ確認しながら、30分ぐらいするとようやく一つの墓で足を止めた。

 その墓には【二階堂家之墓】と刻まれていた。


「ようやく見つけましたよ」


 老婦人は花束を墓前に置いて、手を合わせた。そうしてこんなことを呟くのだ。


「アナタとの結婚は本当に満ち足りた日々でした。また夢に出てきてくださいね」


 そう微笑む彼女の顔は、夢で見たままの優しい彼女そのものだった。







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夢・結婚 タヌキング @kibamusi

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