第6話 天才ランナーはまた走る

「そうかそうか、学校にも慣れたかい」


 今日は、診察の日。退院してからも、定期的に病院には通っている。

 診察室にかかるカレンダーはもう5月を示しており、俺が意識を取り戻してから一ヵ月が経っていた。


「先生、悠くんの記憶は本当に戻るのでしょうか……」

「大丈夫、戻るよ」

「でも、悠くん1ヶ月も経ったのに何も変わらないし」

「ご家族は心配だよね。ただし記憶ってのは、だんだん戻るものじゃないんだ。こう、バッと一気に蘇るんだよ」


 先生がジェスチャーを交えてほのかに説明する。


「だから、それまでは妹さんも辛抱かな」

「うぅ、分かりました」


 ほのかは単に俺の記憶が戻らないことを心配しているのだろうが、俺としても記憶は戻って欲しい。

 だいぶ生活にも慣れたが、それでもまだほのかなしでは生活に支障をきたす部分がある。

 さすがに申し訳ないので、地力で生活できるようになりたい。


 それに……いや、なんでもない。


「先生、早く記憶を取り戻す方法はないんですか」

「おやおや、君までそう言うのかい」

「色んな人に申し訳ないので」

「そうか。だったら、学校には慣れたんだし、部活にも復帰してみるかい?」

「部活……ですか?」

「あれだけ陸上に精を出していたんだ、もしかしたら何かあるかもしれない。実際、記憶というのはきっかけ一つですぐ蘇るからね。そのきっかけを見つけるのが難しいってだけで」


 なるほど、たしかにそれはそうかもしれない。

 長年記憶を失っていた人が、昔食べていたカップ麺の匂いを嗅いで記憶を取り戻したとか、そんな話も聞いた事があるし。


「あれ先生、悠くんのこと知ってるの?」

「この町で嶺脇くんのことを知らない人間はいないさ。明美ヶ原が誇る天才ランナーだからな」

「へぇ……みんな知ってくれてるんだ」

「そうだよ。それに一市民として、もう一度あの走りを見てみたい」


 どうやら、皆んなに応援してもらっていたみたいだな。俺が忘れてしまっていた嬉しさとはこれのことなんだろう。

 といってもこれは思い出したのではなく知っただけだが。


「だったらまた皆んなのために頑張らないとね、悠くん?」

「あぁ、そうだな」

「あ、でも無理はやめなさい。ただでさえ3ヶ月も寝たきりだったんだからね」

「はい、分かりました」

「大丈夫、悠くんならすぐ元気になるよ!」


 どうなるか分からないけど、皆んなのために頑張ってみよう。



 ――――――――――――――


 ということで、5月中旬、陸上部の部室ぶしつにて。


「今日から嶺脇くん、復帰です!」


 マネージャーさんに紹介され、軽く頭を下げる。


「えっと、ご迷惑おかけすることもあると思うんですけど……え、え、何?」


 なんかみんなが、まさしく部室中の人間がにじり寄ってくる。


「え、怖い怖い怖い」

「嶺脇……」


 成田が満面の笑みでやって来て……


「せーの、」

「「「おかえりーーー!!!」」」


 飛び出す紙吹雪、漂う火薬の匂い、そして弾けるみんなの笑顔。

 何も覚えていない、忘れてしまった俺なのに、みんな本当に温かい。


(くそ、挨拶用意してたのに)


「うん、ただいま!」

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