第6話

 私たちは、母を弔うために、村に来ました。

 連日の雨で炎はすっかり鎮められ、かつて村だったそこに残されていたのは、炭に変えられてしまった瓦礫の山々と、雨水が蒸発するとともに、大気中に蔓延した死臭だけです。

 辺りを見回すと、瓦礫の山々の前には、すでに墓が建てられており、私と同じ生存者の方々は既に弔いを終えたようでした。


 私は村に来る前、私を殺そうとした人がまだ村にいるのではないかとアルドリックさんに訊きました。

 結果として私を殺せていないわけですから、私を捜索している可能性も十分にあり得るわけです。

 しかし、アルドリックさんは、その心配はない、と断言しました。

 あやつらは、魔法使いが出た村を破壊した、という事実を上に報告するためにやっておる。魔法使いの生死は関係ないのじゃよ。と、髭をもしゃもしゃしながら、自信満々に語っていました。

 難しいことはよく分かりませんが、アルドリックさんが言うからには大丈夫、なのでしょう。

 だから私は安心してついてきました。

 

 ——ルナ、あやつらが憎いか?

 

 アルドリックさんは、私の家だった、それを目の前にして言いました。

 あやつら、というのは、アルドリックさんの言うところの、神の使いを騙る者たちであり、教会の神父様たちもまたそれに含まれるのです。

 アルドリックさんを信じていないわけではないのですが、どうしても、教会の神父様たちがそんなことをしているとは、思えないのです。

 思えないどころか、考えることすら億劫に感じます。

 私は逃げるように空を見上げました。

 雨が降りそうで降らない曇天の空模様が、私の心情をよく表しているようでした。

 どっちとも言えない、それが今の私の思いでした。

 

 ——わからない。アルドリックさんが憎いなら、私も憎いんだと、思う。

 

 私は自分の素直な気持ちを伝えました。

 わからないのです。

 私は、私の家の亡骸を前にしても、憎しみの感情なんて、これっぽっちも湧いてこないのです。

 私はなんて、非情で、親不孝な人間なのだろうと、理性で殴りつけることはできますけれど、私の本性は、特に激情に駆られるというわけでもなく、非常な穏やかで、静かだったのです。

 

 ——そうか……そうじゃな。

 

 アルドリックさんはそう言って、私の頭を撫でてくれました。他人の心がわからない、と言った老人は幼子の頭を撫でてくれました。

 

 その後、私は、アルドリックさんが墓を作っている様子を見ていました。

 アルドリックさんが私に向かって、離れておれ、と言うので、大人しく数メートル離れました。

 アルドリックさんが地面に向かって、何かブツブツと言うと、激しい爆発音とともに、地面が炸裂しました。

 私は、反射的に瞑ってしまった目を、恐る恐る開けると、地面には、直径約1メートル程度の丸い穴が空いていました。

 これが、魔法なのだ、と私は直感し、呆気に取られました。

 その間に、アルドリックさんは鞄の中から、用意していた木製の十字架を取り出すと、膝をついて、丸い穴の前に差し込み始めました。

 

 ——実はな、ルナが洞穴にいる間、わしは村に何度か来ておる。

 

 アルドリックさんは十字架を埋めながら、私に目線を向けることなく、言いました。

 私は寝腐っている間、アルドリックさんが外で何をしていたのか、食糧と飲み水を取ってきてくれたこと以外、ほとんど知りません。

 知ろうとすらしていなかったのですから、当然と言えば当然なのですけれど。

 しかし、一体なぜ何度も、村に来ていたのでしょうか。

 いや、もっと深く考えるなら、そもそも、どうしてアルドリックさんは、私を助けることができたのでしょうか。

 あの魔法が村を襲った時、偶然近くにいた、とすればそれまでなのでしょうけれど、私はどうも引っかかりを覚えたのです。

 そんな考え事をして、ずっと黙ったままの私を気遣ってか、アルドリックさんは私のことを見ていました。

 

 ——わしが、村に来ていたのは、ルナの母親の遺骨を探すためじゃ。もっとも、見つからなかったがのう。

 

 アルドリックさんは、ひどく悲しそうな顔をして言いました。

 母の遺骨を探すため……そういえば、かつて私の家だった、瓦礫の山の位置が少し変わっているような気がします。

 まさか、これを全てひっくり返して探したとでも言うのでしょうか。

 おそらく、魔法の力なのでしょうけれど、恐るべしです。

 と、そこまでして母の遺骨が見つからなかったというのはどういうことなのでしょうか。

 もしかしたら、と、淡い希望は、アルドリックさんの次の一言で、打ち砕かれました。

 

 ——生きてる可能性は低いじゃろうな。おおよそ、灰になるまで燃え尽き、雨で流されてしまったと考える方が自然じゃ。

 

 アルドリックさんは、木の十字架を地面に埋めながら、淡々と告げました。

 しかし、その方が私にとっては良かったのだと思います。

 私は母を葬いに来たのですから。

 生きている希望があるだなんて、そんな生優しいことを言われるために来たわけじゃないのですから。

 

 ——うん、わかってる。

 

 端的に私がそう言うと、アルドリックさんは、私に目線をくれることなく、微笑みました。

 言葉はくれなかったですが、でも、強い子だ、と褒められたような気がしました。

 アルドリックさんは、木の十字架を埋め終えると、立ち上がり、鞄の中を漁り始めました。

 アルドリックさんは、旅人らしく、この大きい鞄を肌身離さず持っています。

 一体中に何が入っているのでしょうか。

 今度訊いてみることにしましょう。

 と、お目当てのものを見つけたのか、アルドリックさんの動きが止まりました。

 

 ——ルナにとっては、嫌なものを見るかもしれないが、良いかのう?

 

 アルドリックさんは、私の瞳をじっと見てそう言いました。

 嫌なものとはなんでしょうか。

 見当はつきませんが、しかし、そんなことを言われてしまったら見たくなってしまうのが、人間の性というものです。

 だから私は首を縦に、ぶんっ、と力強く振りました。アルドリックさんは、私の肯定の意を認めると、鞄の中からそれを取り出しました。

 それ、は人の指でした。私が、あの時抱いた、指。母の指。

 あの時のそれとは見違えるほど、見た目が復元され、傷口も完全に塞がっているようでした。

 

 ——ルナが大事に抱いておったからのう。わしの魔法で生前の状態にまで戻して、保存しておいたのじゃ。せめて、指だけでも、と思うてな。嫌じゃったか?

 

 衝撃こそ受けましたが、別に嫌というわけではありませんでした。

 だから私は首を横に、ぶんっ、と振りました。

 その勢いの良さに、アルドリックさんは少し、笑顔になりました。

 しかし、私とて、指の存在を忘れていたというわけではありません。

 むしろどこに行ってしまったのだろうとずっと気掛かりだったのです。

 もしかしたら、指自体が、脳が、極限状態によって見せてきた幻覚なのかもしれないとも思っていました。

 でも、ここにありました。

 アルドリックさんが傷を修復し、保存までしてくれていました。

 本当にありがたい限りです。

 アルドリックさんは私に、指を手渡してきました。

 私が埋めろ、ということなのでしょう。

 指は、確かに生の温もりは失われていますが、母の生前の記憶が刻まれているかのようでした。

 指先の皮膚が少し硬くなっていて、皺も深いです。

 私はあの時のように、指を胸に抱きました。

 ドクンドクンと鼓動が波打つのを感じます。

 その鼓動は、もちろん私の心臓の鼓動なのですけれど、こうすることで、母は生をまっとうしたのだ、という証を強く感じられました。

 母の生前、母と喧嘩した時、仲直りの印としてこうやって、私が母の胸の内に抱かれたのを思い出しました。

 

 私は守られていたんだね。

 でも、もう大丈夫。

 私は強いお姉さんになるから。

 お母さんがいなくても、大丈夫なくらい強いお姉さんになるから。

 だから、ゆっくり休んで。

 お母さん、おやすみ

 

 私は、そんな祈りを込めて、指をアルドリックさんが開けた穴の中に入れました。

 大きな穴に似つかわしくない、小さな指が、寂しく安置されました。

 もうよいのか、と、アルドリックさんは私に短く訊きました。

 

 ——うん。

 

 アルドリックさんは、私の言葉を聞くと、優しく微笑んで、離れておれ、と言うので、私はまたも大人しく数メートル離れました。

 そして、アルドリックさんが地面に向かって、何かブツブツと言うと、今度は炸裂するのではなく、手の先の光に向かって、周囲の砂や土が集まってきました。

 アルドリックさんが、開いていた右の手を握ると同時、光は消え、集まった砂や土が穴の中に落ちていき、穴だったそこには小さな山が出来上がりました。

 不思議なことに、不自然に盛り上がった、小さな山は、勝手に崩れ、均一になっていき、やがて地面と見分けがつかないようになりました。 

 

 ——よし、行くぞ。ルナ。

 

 行く、とはどこにでしょうか。

 決まっています。

 私たちは旅に出るのです。

 アルドリックさんは元々旅人ですから、いつまでも、ここにはいられないのです。

 保護されている身である私も、もちろん一緒に旅をするのです。

 行き先はもう聞かされています。

 商業の都、海運都市バリー。

 もう、ここにはしばらく戻ってこないのでしょう。

 だから、私があの日、母に言えなかった言葉を告げて、お別れです。

 空を見上げると、いつの間にか雲は消え、青々と澄み、太陽は爛々と輝いていました。私たちの旅立ちを、祝福するが如く。 

 

 ——行ってきます、お母さん。

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