第18話喪女、傷心する
鳥が鳴く音がきこえ、シュリは目を覚ました。
また無意味な朝がきた。
ヨハンと一緒に眠っていた狭いベッドに、私ひとりだけ。
右側は空っぽのまま、ヨハンの温もりもヨハンの匂いも感じない。
本当に私、ひとりだけになってしまった。
十日前――ヨハンのお兄さんが迎えに来たあの日でもあり、宿屋勤務労働初日――ヨハンは私に何も言わず、私に背を向けるように、家族の元へ帰ってしまった。
ヨハンは私を捨てて、家族の元へ帰ってしまった。
アラサー女が未成年の子に縋るなんて、ホントに情けないと思う。実際そう思う。
でも……こころが半分持っていかれたかのように、現実身がなくて、頭がミキサーにかけられたようにただただ混乱している。
なんで私の側にヨハンがいないんだろうって。
私より家族の方がいいんだって。
私は日本の家族に会えないのにヨハンだけずるいとか、色々な思いが浮かび上がっては頭の中をぐるぐる駆け回っている。
でもよく考えたらそうだよね。
目も見えない、言葉もわからない奴の側にずっといたいと思う奴なんてそうそういるわけない。
面倒臭いもんね。
でも、でもさ、それでも私なり頑張って。
ヨハンの迷惑かけないように頑張ってたつもりだよ。
でも、それは……ヨハンにとったら、違うのかな。
………………いやいやいやいや、十代の子供が親元に帰りたいなんて当たり前のことを、なんでこんなにも悲観的に捉えちゃうんだろう。
おかしい、おかしいよ私。
ヨハンだけの人生、私なんかにかまけている場合じゃない。
というか!
自分よりも年下の子に捨てられたって何?
見た目は子供?かもしれないけど、私、日本だと立派なアラサーだよ?何言ってるの?
年下の子に縋ってきた今までがおかしいんだよ。
人間は結局、独りで生きて独りで死んでいくんだから。いまわたしが独りなのも当然のこと。
偶々、いい子に出会って、生きる為に助けてくれていただけ。これからは自分独りで頑張って、家に帰るように努力するしかない!
言葉だって、ヨハンのおかげでわかるようになってきたし。もっと言葉を覚えれば、独りでもなんとか生きていける筈。
その為にもアラサー女として社会人として確認すべきことがある!
そう!社会人として!
前にヨハンがアンナさんに春までここに居させてくれるよう頼んだと言っていた。雇用契約?みたいなものかな。
その契約がヨハンがいなくても更新可能かどうか、アンナさんに確認する必要があるよね。
そう……確認確認…………。
でも…………ヨハンがいない私って、被雇用者として価値があるのかな?
勤務初日や今でさえも、大勢の人々が行き交う宿屋は緊張してしまい、下拵えに使う野菜を切るのにも遅くなってしまう。料理はそんなに得意じゃないのに。
これまでだってヨハンの助けがなければ、やってこれなかった。
このままアンナさんのところで働いて、春以降はどこで働いて生きていけばいいのかな?
現地の言葉を覚えたことや現地の人との交流だって、日本に帰るために始めたもの。
日本へはどうやって帰ればいいんだろう。
……というか、本当にここは何処なんだろう。
言葉は少しずつ覚えてきたけど、この世界のことはまだよくわからない。ヨハンたちと話していて、ピンとくる言葉が出たこともない。こうやって宿屋に引きこもっているのが良くないのかな。
……かと言って、いきなり独りで外を出るのは、少し恐い。
いままで背を向けていた問題に、剥かざる得ない状況であることに遅くなりながらもシュリは気づき始めていた。
――――――
「シュリちゃん!おはよう!」
突然声かけられ、驚く。
ヨハンのお兄さんのカールさんだ。
「オ、オハヨウ、ゴザイメス」
「今日は顔色良さそうだね!」
「シンパイ、カマテ、スミマセン」
「大丈夫大丈夫!今日も元気に働こう!!」
「ハ、イ」
カールさんは目の見えない私にも普通に接してくれる明るく優しいお兄さんだ。けれどシュリはカールに対して、気を許すことができないでいた。
ヨハンが兄と呼ぶ彼には違和感を感じざる終えなかったからだ。
その理由として、ヨハンと兄弟のはずなのに同じ言葉でも発音に差異があったり、ヨハンとの再会を喜んでいたはずなのに一緒に親の元へ帰らずアンナさんの宿屋で働いていることや、一番の違和感は彼から感じる監視するような視線だ。あの視線だけはどうも慣れない。
と言ってもカールさんの働きはヨハンと比べても卒がなく、細かいことによく気がついてはよく働いているようだった。
アンナさんがよく『――の――じゃなきゃ、スカウトするのに』とよく呟いているのを聞く。
目の見えない私と比べたら、アンナさんも手のかかる私じゃなく、彼を雇いたいだろうな。
そう考えていると、いつのまにか手元にが止まってしまっていた。そこへ背後からアンナの声が掛かる。
「……シュリ……シュリ!聞いてるのかい?」
「ハ、ハイ!」
「手が止まってるよ」
「スイマセン!」
「……大丈夫かい?」
「ダイジョーブ、デス」
「それなら、いいんだけどね……」
(だめだ!集中しなきゃっ!)
シュリは自分に鞭を打ちながら、目の前の仕事に取り掛かった。そんな様子を興味深そうに見つめるカールの姿があった。
―――――
「っ!?」
午後の
驚いて口元に手で押さえる。
「びっくりした?ただのビスケットだよ」
カールの声だ。その声からヨハンにはない悪戯っ子な要素を感じる。
やっぱり、似てない兄弟だな。
口に突っ込まれたものを用心深くゆっくり噛み締めると、シナモンの香りが強いジンジャービスケットの味がした。
ビスケットを食べるなんて、ひさしぶりだった。
「美味しい?町の中央広場のマーケットにはこれだけじゃなく、いろんな飲み物やお菓子もあるし、ちょうど今夜は面白い出し物もやるみたいなんだ。ちょうどいま休憩中だから、アンナさんには内緒で二人で少し抜け出さない?」
(………屋台か)
カールのその申し出はとても嬉しかった。
ちょうど外を出てみたいと思っていたところであったし、ヨハンがまだ宿屋にいた頃に何度か、二人で町の中央広場の屋台を見に行こうと話をしていたのだ。
でもそれはもう叶わない。
ヨハンも家族の元へ帰ってしまった。
「おーい!シュリちゃん、聞いてる?」
(はっ!)
「いけそう?」
「……」
(マーケットには行ってみたいけど……アンナさんに内緒で祭りに行くのは、ちょっと)と迷っていると、近くにいたカールさんから息飲む音が聞こえた。どうしたんだろう?と見上げると頭を優しくポンポンと叩かられた。
アンナさんだ。
「シュリ、気分転換でもしておいで。午後五時の鐘が鳴ったらもどってくるんだよ…………そして、カール。わかっていると思うけど、シュリに変なことをすんじゃないよ。何かあれば、わかってるだろうね」
「……ハイ」
シュリは怯えた様子のカールに急足で手を引かれるまま、宿屋の戸を出たのだった。
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