第17話少年、苦悩する
「帰らない」
ヨハンの兄と名乗った男――部下は半目でヨハンを睨んだ。(こんなに言ってるのに……このガキ、反抗期か……)
「違う」
「は?」
「だから、反抗期じゃないと言っている」
「怖っ、心読んだ?怖っ!この子供怖っ!」
「その口縫うぞ」
「それはやめて下さい。でも隊長そう言いますけど、貴方が帰らないとあの子無理やり連れて行かれますよ」
「足止めしろ」
「俺が殺されるじゃん」
「本望だろ?」
「なわけないっしょ。あの子の命を救うためになんで俺が死ななきゃならないんです…そこまでしてあの子を守ろうとする理由でもあるんですか?」
「………わからない」
複雑な胸の内をヨハンは言葉に表すことができなかった。
――――――――
一ヶ月前――。
ヨハンは王直属の影を指揮する隊長であり、母親を殺ろした『エル』を追って一年前に隣国リーベにきた。影としての才能を買われ影に入団し、隊長としての資質もあり影の集団のトップになるのにはそう時間がかからなかった。
影の隊長として任務をこなす合間、『エル』の情報を探し回り、ようやく奴隷市場にまで辿り着いた。
ヨハンの目的は、母親を殺した『エル』をこの手で始末することだった。
『エル』が運用する奴隷市場で買われる人々の多くは老若男女関係なく攫われていた。
最近行方不明者が多く頻発している地域――辺境領ルシャに狙いを定め、ヨハンは物乞いの少年の格好し、見事人攫いに合い奴隷市場に潜入できた。
そこで同じ座敷牢に囚われたシュリと出会った。
囚われた座敷牢には老若男女問わず、黒髪灰色の瞳を持つヴァール人と象牙肌のリーベ人が数名囚われていた。
人攫いがあったのはリーベ公国内にも関わらず、座敷牢にはヴァール人対応の魔力吸収の結界が厳重に張られており、ヴァール人であるヨハンもその結界のせいで終始魔力が奪われ、魔力を使って座敷牢から容易に脱走できずにいた。魔力の源であるマナと生命力は同等であるため、マナが底をつくと死に至るのだ。
脱走できない理由はそれだけではなかった。
ヨハンにとってシュリは本当に厄介な人物だった。彼女のせいでヨハンは脱走する機会を幾度も逃してきた。
シュリは酷く異質な存在だった。
言葉が通じないこと目が見えないことがそうさせていたのかはわからないが、狭い座敷牢の中、猪のように人にぶつかるわ座敷牢の戸に体当たりするわで大変だった。この騒動のせいで監視員が頻繁に座敷牢の前を巡回するようになり、座敷牢からの脱出も頓挫してしまう形になった。
また、シュリは猪のように動き回るのやめたかと思えば、終始唸りながら身体中を掻きむしるため爪がはがれ掻きむしった体は血塗れになっていた。同じ座敷牢にいた者達には異常者のように引かれていたのを今でも思い出させれる。
数少ない食事の配膳にも手をつけず、痩せ細り動けなくなるシュリを見ていられず、噛まれたり叩かれたりと抵抗される中、無理やり食べ物を口に押し付けたことも少なくなかった。同じく座敷牢に囚われる者に食べ物を分け与えた時もあったが、彼らはむしろ積極的に取りにくるのでまだ素直だが、シュリはその何倍も手が掛かった。
一番頭を抱えたのは入浴だった。魔力吸収の結界がない廊下を百足のように手足を鎖をかけられ浴場へ向かう。結界のない廊下が一番脱出するのに適していた。しかし残念なことにその瞬間がシュリにとって一番危険な瞬間だった。
シュリは痩せ細せ艶のない金髪であったが、座敷牢の中でも可憐な顔つきをしており、頼りのない手足の細さや艶かしい象牙肌が監視員狙われ、慰め者になるところ幾度と守っていたため、代わり暴行される日々だった。彼女のせいでいつも脱出する機会を逃していた。
シュリはヨハンにとって本当に厄介者だった。
何度彼女を見放して、『エル』の寝首を掻く夢想をしたか。
でもシュリが身体中を掻きむしらずヨハンに抱えられ安心して眠りにつく様子を見ると、どうしてもそばを離れる気は自然と失せた。
いま亡き母の姿と彼女が被るから離れがたいのかもしれない。精神の病で狂う母の姿と――。
座敷牢でシュリと長く過ごす中、一つ不思議ことがあった。シュリは座敷牢の中でも人一倍体が強かった。周りがバタバタと死んで行く中、彼女だけは健康そのものだった。
死ぬゆく彼らをヨハンが看病する傍、シュリの視線を感じていた。シュリはしきりに死ぬゆく彼らの声に耳を傾けは飛び起き、起き上がるが、何もできないとわかると、そのまま三角座りをして、静かに泣いているということが多くあった。シュリは彼らの死を偲んでいるようだった。
とうとう俺たち二人だけになった時、ヨハンの魔力も底につき、身体が動かせなくなった。魔力を産み出そうとマナが宿る心臓が早く鼓動を打ち、呼吸が早くなる。発汗した身体は熱く怠くて身動きすらできなかった。
このまま『エル』を殺すこともできず、ここで虚しく死ぬのかと後悔しながら瞼を閉じようとしたら、薄れていく視界の中、シュリが祈る姿が目に映った。
祈るシュリの周りには神々しい光の粒子が彼女を覆っていた。その粒子が自分に移ると、死ぬゆく身体に温かい何が染み渡る。枯渇したマナに、泉の如く魔力が湧き上がるのを感じた。
死者をも蘇らせることができるのは、この世では聖女だけである。
シュリはこの時、聖女となった。
ヨハンはシュリのおかげで、死の淵から蘇ることができたが、魔力が満たされるまでは時間を要するため、ヨハンがシュリの不在に気づくのに遅くなってしまった。監視員の男に引きづられ死体焼き場で身体を焼かれる前に間一髪で意識を取り戻し難を逃れた。
監視員の男を殺した後、急いでシュリを探し、聖女として競にかけられるシュリを見つけ奴隷市場から逃げだした。
奴隷市場からより遠くへ逃げようと、膨大な魔力を使う『転移』で飛んだ結果、アンナたちのいる二つ隣町のルーエに辿り着いた。転移の座標は王都にしたが、少ない魔力ではルーエまでが限界だった。
たどり着いた先が王都ではないこと、目の見えない聖女となってしまったシュリを抱え、また転移を使ったせいで魔力の破裂を起こしてしまい、ヨハンは動けなくなってしまった。
こんな状態の自分といても彼女には良くないと思い、ラルフに会った時にこれが僥倖と、聖女を祀る神殿に連れていくよう頼むつもりだった。しかし口についたのは違う言葉だった。
彼女はヨハンにとって、厄介者のはずだった。シュリはいつだってヨハンの計画を潰す足手まといだった。長年探し続けたエルがシュリを競る場にいたのを見たのに、目と鼻先にいたエルを捕える機会があったのにも関わらず、ヨハンはシュリを優先しその機会を逃した。
彼女が憎いのと同時に、彼女を救えたことに安堵している自分がいる。
アンナにシュリとどんな関係なのか問われ時、浮かんだのは『目の上のたんこぶ、邪魔者、厄介者』だった。けれどそれだけじゃない気がして、うまく言葉に出せなかった。
それは、彼女と離れがたいと感じている自分がいることを自覚しているから。
ラルフに拾われ、アンナたちの家で毎夜のように一緒に眠るベットの中、無防備に眠るシュリに愛しさを感じる。自分に縋る小さい手。自分を呼ぶ自信なさげの声。いまだに体にのこる擦過傷の跡に生え始めた爪に哀れみを感じた。
アンナたちと過ごし、ヨハンは己がシュリに対し過保護に接している自覚をしていなかったことに気がついた。今後シュリが目が見えなくても生きていけるようにと、働くようにとアンナに言われた時、何故そんな無茶を言うのか理解できなかった。この先聖女として能力を活かすも隠すもシュリの自由だが、目が見えないというのは生きていく上で、多少なりともハンデがある。エルを殺すために生きる自分では、シュリの一生に付き添うこともできない。いずれは彼女は一人になる瞬間が来る。それに備えるため、生きていく手段は多い方が良い。
アンナの言葉に納得し、働く前段階としてシュリに言葉を教え始めた。
言葉を教える過程、シュリが大勢の前に出るだろうことをふまえ、シュリの聖女としての能力も把握する必要があるのでないかという見解に至った。
聖女であることを自覚していないシュリが、後見人にもいない今、公に聖女だと露見するのは良くない。
シュリが聖女として聖力を扱ったのは、ヨハンを助けた一度だけ。その一度だけではシュリの聖力を把握しきれない。
ヨハンは自国にいなかった聖女という存在をよく知らなかった。知っていることといえば、病を治し民を救う存在ということ。その力は死ぬゆく命すら蘇られるという。シュリが聖女だと知っているのは自分だけ。言葉もわからないシュリの為彼女自身の聖力を彼女以上に事細かく知る必要がある。そうしないと彼女を守れない。
一つ一つ確かめていかなくてはいけない。例えばシュリがもつ聖力は継続して扱えるものなのか、聖力を発露する瞬間は何がきっかけなのか。聖力を扱う対象に条件はあるのか。聖力扱った瞬間、魔力同様に魔力疲労という魔力の使いすぎで起こる症状を起こすのか等々。
今挙げたのは自分以外の対象を必要とするため、まずはシュリ自身に対して聖力は効くのか、確かめる必要がある。
そして、ヨハンは死には至らない毒草をシュリに食べさせた。シュリが痺れにより倒れてしまい、アンナに怒られたが、悪いことをしたとは思わなかった。シュリの聖力を知ることはいずれはシュリの為になる。必要なことだった。彼女のことは理解しておくことは今後のリスク回避にもつながる。悪いことはしていない。間違いは起こしていない。
けど……毒草で倒れたシュリが目を覚まし、ヨハンの言葉の違和感を飲み込むように信じ切るシュリに、罪悪感が初めて芽生えた。それ以降は彼女を試すことができなくなった。
シュリは愚かで、優しい。
嘘つきな俺を心の底から信じている。
だからこそ、神に選ばれ聖女となったのかもしれない。
聖女となったシュリが歩む先を考えると、明るい未来なんて見えない。王や神殿、はたまた民ににいい駒として扱われるのか。言葉や目の見えない彼女には彼女を心身ともに守護する存在が必要になる。
そして、それは自分ではない。
部下にシュリの張り紙がされていると聞いた時、彼女の側にいればあの時逃した『エル』をこの手で殺せるのではないかと打算的に考えてしまった。こんな自分では彼女の側にはいられない。
彼女を守ってくれる後見人を見つけるまでは、彼女のそばを離れるつもりはなかった。
こんな自分が側にいるシュリはこの世界の中で最も不運な少女かもしれない。
――――――――
「貴方が帰らないと最悪、あの夫婦を巻き込むことになりますよ」
ヨハンは深い思考から部下の言葉で浮上した。
「それは本望じゃない」
「でしょう?」
「だが俺が王都に戻ったら、お前、シュリを殺すんだろう」
「何言ってるですか。俺の役目は隊長を王都に帰還させることですよ」
「それだけじゃないはずだ。シュリから俺を遠ざけさせて、シュリに聖力があるのかどうか確かめるんだろう。
「さすが、隊長。ご明察」
「あっさり白状したな」
「バレても良いって言われてるんで」
「邪魔されるってわかってるだろう」
「いえ、貴方は邪魔しませんよ。後見人もいない盲目のあの子が生きるには、
(何も言えない……)
ここでこいつを殺して逃げたところで、第二の第三の追手がくる。そんな状態でシュリを連れて逃げたところで追っ手に捕まるのは目に見えている。
例え『転移』を使ったところで見えない彼女を連れてどこまで逃げられるか。逃げた先は?そして長年追い続けたエルはどうなる、このまま逃がせるわけがない。
また……シュリに嘘をつくのか、どこにもいかないと言ったのに。
ヨハンは拳を固く握り、項垂れた。
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