第16話少年の兄、迎えに来る
「前、辺境伯?」
ヨハンはいつもの真顔が剥がれ、驚愕な思いでアンナを見つめる。彼にしては珍しく傍目にわかるほど驚いているようだった。
「ご存知ないですか?辺境の女神として多くの民に慕われてきたお方です」
「辺境の女神…」
女神を想像したヨハンはアンナの下から上まで眺めた。彼女の姿は田舎のおばさんといった飾らない地味な格好で足を組み椅子に腰をかけている。その姿からは女神を連想することはできなかった。
「周りが人間が勝手に言い出しことだ。アタシは領主として為すべきことをしただけの話。美談でもなんでもない」
アンナが悠然と構える中、シュラウは興奮したように喋り出す。
「いやいや、ご謙遜なさらないでください。わずか十七でお
「救いの女神……」
「女神女神うるさいよ。そんな大昔の話を今更持ち出さないでくれないかい。 」
ヨハンの「女神」と呟く声を、打ち消すようにアンナは言葉を重ねる。
「随分アタシのことを調べたようだね……生憎アタシの素性はルーエの領主や住民たちにとっては周知の事実さ。今更暴かれたところで痛くも痒くもないさ。それにそうやって媚びへつらおうが何しようが、シュリは渡さない」
「媚び諂ったわけではなかったのですが。私のこの思いが通じず誠に残念です……息子にはシュリさんを諦めるよう伝えておきます」
「随分早く引き下がるんだね……」
(あの手この手とシュリを嫁にしようとしていたくせに変に引き下がりが早い男だね)
アンナはシュラウの言動に違和感を拭えなかった。
「仮にも商人のなので。見込みがないことは長く執着する
「気前が良すぎて、逆に怪しいよ。何か企んでないかい?」
「企むなんて…滅相もない。けれどそうですね。差し出がましいとは思いますが、一つだけ確認したいことがございます」
「確認?」
「ええ、彼です」
急な話の転換に、振られたヨハンは「俺?」と眉を顰めた。
「ヨハン?」
「実は、うちの事業員の一人に弟を探している者がおりまして。どうやらその者の弟の面影に彼が酷似しているらしいのです」
「アンタ、兄貴がいたのかい」とアンナはヨハンを見上げるが、ヨハンは応えもせずシャラウを見据えていた。
「その事業員をこの場に連れてきていいですか?」
何も言わないヨハンを尻目にアンナは頷いた。
「…ああ」
シュラウは近くに控える護衛に連れてくるよう言い含めると、数分もしない内に大男を縫って優男が現れる。どうやら近くで待機していたようだ。
現れた男はヨハンを見るに溢れんばかりの笑みを浮かべ、ヨハンに抱きついた。
「ヨハン!どこにいってたんだ!」
「っ!」
「お前いきなり攫われるから、兄ちゃん色んなところ探したんだぞ!……やっと、見つけることができた!」
抵抗するヨハンを抱きしめ、兄と名乗る男は己の頭にヨハンの顔に擦り付ける。宿屋内にいた野次馬達は感動の再会かと、顔見合わせ拍手を送る。
常に動じることがないヨハンに反して、現れた男は感情豊かで非常に暑苦しい男であった。
「これはまた、正反対な兄弟だね」
熱烈な抱擁に顔を顰めるアンナに、シュラウは更に続けた。
「彼は王都にある商会で働いてくれている事業員でして。ヨハン君を探すため私についてきたのです。彼はこのままヨハン君を連れて帰るのを希望しています」
「なんだって?」
「ヨハンっ……」
アンナの言葉に重なるように、悲しみ満ちた声が彼らに届く。台所に隠れていたシュリの声だ。
「ドコ……イクノ?」
その顔は悲しみで歪んでいた。自分の側からヨハンが居なくなるとはつゆほども思ってなかった、という表情であった。
そんなシュリをみて、ヨハンは安心させるような声音でシュリに告げる。
「大丈夫。どこにもいかない」
「……ホント…?」
「ああ」
「いやいや、ヨハン?父さんと母さんもお前の帰りを待って」
(トウサンとカアサン……それってヨハンの親……?)
シュリはいままでヨハンは自分と同じ身無し子だと思っていた。
「……ヨハンのカゾク…?」
「黙ってろ」
ヨハンは兄の口に手を当て、黙らせる。
「なっモゴモゴモゴモゴ」
「アンナさん、少し兄と話してきます……シュリ、少し待ってて」
そうヨハンは言い残し、兄を連れその場を離れた。
その二人の後ろ姿を眺め、「本当に兄貴なのかい」とアンナは気の抜けた声で呟く傍ら、シュリは足元がガラガラと崩れる感覚に陥った。
ヨハンの家族が帰りを待っているという事実がシュリを複雑な思いにさせた。
自分は家に帰りたくても帰れない。かたや家族の迎えが来たヨハン。裏切られたという思いと独り置いてかれるという悲しみ。
色んな感情が胸の内で渦巻き、整理ができない。
どうすればまたいいのか全く分からず、シュリは服の裾を握りしめ立ち尽くしていた。
「うわっ、何!ここ、こんなに窮屈だった?」
ラルフは裏口から戻ってくると、大勢の人がごった返し驚嘆の声を上げる。それに対しアンナの呆れたような声が返された。
「……アンタ。いつも終わった後に来るのはなんなんだい」
――――――――――
森の中――。
ヨハンとヨハンの兄と名乗る男が二人。
周囲に人がいないとわかると、兄と名乗った男はヨハンに地面に膝をつけ傅いた。
ヨハンは慣れた様子でその男を見下した。
「あれは、なんだ」
シュリに対する時とは違い、温かみもないヨハンの一声が地面に伏す男にかかる。
先程まで暑苦しさを感じさせていた男は表情を一変させ、ヨハンを見上げ飄々と答える。先ほどとは別人のようであった。
「兄弟の感動の再会ですよ、あそこまでやらないと誰も感動しないでしょ?」
「やりすぎだ……まぁいい、まずは報告をしろ」
「はっ!奴隷市場に関わった貴族たちを全てを捕縛するに至りましたが、残念ながらその主催者だけには逃げられてしまいました。申し訳ございません。貴方がにらんだ通り、逃げた主催者はあの『エル』でした。その証拠に…」
「あいつの仕業であることくらい、俺が一番わかっている」
「それと……あの時の奴隷市場の目玉商品だった聖なる力を持つ少女が忽然といなくなったそうですが」
「……知らん」
「いやいや、どう見てもあの女の子でしょ」
「……」
「色んなところに彼女の張り紙されてますよ、エルは血眼になってあの子を探しているようです……それとギャレン様が貴方の安否をひどく心配されています」
「おじ上には申し訳ないことをした」
「そうですよ。ギャレン様のためにも早く帰りましょう」
「待て……シュラウ・フックスはマリエンケーファー大商会の長だったな。あの大商会は王家御用達の称号である『エーレ』が与えれられていたはずだ」
「……はい」
「お前が来たということは、
男は苦笑した。それが答えだった。
(だからあの商人はシュリを
あの商人は初めから息子のためではなく、
「お前をよこしたと言うことは、俺への警告か」
「…隊長、一度お戻り下さい。かのお方がここを知ってる時点であの子には逃げ場がないんですよ。今俺を殺してあの子を連れて逃げたところで、時間の問題です。俺の代わりは掃いて捨てるほどいますから」
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