第14話異文化交流ステップ3に挑む


 アーバン夫妻が宿屋を営む辺境の町――ルーエは元々何もないただの農村であった。

 しかし、ここ数年前から隣国ヴァールハイト王国から魔獣が侵入してはルーエにある農村の家畜や田畑を食い荒らし、人を襲うといった事件が多発するようになった。

 それを防ぐため、辺境伯は私兵や傭兵を雇い人手をかき集め魔獣を狩猟することで数の統制を行ってきたが、魔獣の数は年々増えるばかり。

 そこへ当時の辺境伯が魔獣狩猟シーズンと銘を打って、人を呼び寄せた。

 リーベ公国では魔獣が育成できる環境下ではないため、滅多に魔獣と合間見えることはない。そのため魔獣の狩猟というものは非常に珍しがられた。初めは魔獣ということもあり、襲われる心配や命の危険、魔獣に対する恐怖でルーエの町に寄りつく人もいなかったが、魔獣の皮革や魔獣の核で作られた品が貴族間で高値が付くようになってから事態が一転する。

 魔獣の皮革や核を求め、国内から多くの猛者が毎年狩猟シーズンに来村するようになったのだ。 

 それにより少しずつではあるが、魔獣からの被害は少なくなった。


 それとともにルーエの町では狩猟シーズンにあやかって、中央広場でマーケットが開催されるようになった。

 民芸品、物産、マフラーなどの防寒着の店、シロップや香辛料とワインを温めて作ったグリューワイン店、ルーエ産の豚や牛、鳥、羊や豚の血や内臓をふんだんに使用した挽肉を腸詰めにして焼いたソーセージ店、薄いピザの形をした食べ物フラムクーヘンや、洋酒につけたドライフルーツやナッツを生地に混ぜた焼き菓子など様々な露天が賑わいみせる。

 ルーエの魔獣狩猟シーズンは辺境領の中でも名物となりつつあった。


 


 

 

 アンナ達が営む宿屋でも、魔獣狩猟シーズンの賜物もあって全室満室になっていた。


 昼時――。

 

 早朝にラルフの案内で狩りに出かけた一向が戻り、早い昼食のため宿屋の食堂に集まった。

 一息つく彼らにホール担当のヨハンが注文を聞きに回り、シュリはアンナの指示受けながら、料理に使われる具材を切っていく。誤って自分の手を切らぬよう慎重に。

「ヨハン!それは三番テーブルに。あとこれも五番テーブルに持ってて!」

「わかった」

 シュリの耳にアンナやヨハン、食事を摂る様々な人々の声が聞こえてくる。

 

 (思ったより人が多い……)

 

 シュリは今までヨハン、アンナ、ラルフ、オットマーとその弟子といった数人での交流しかなく、久しぶりの大勢の人々の熱気に緊張していた。

 不意にあの監禁されていた時の感覚が蘇り、気分が悪くなる。

 

 言葉も通じない環境下、人権もない扱いを受け続け、多くの見えぬ人々の尿便臭と据えた臭い、そして死臭といった様々な体臭が混ざり合う感覚が頭に蘇ったのだ。

 シュリは口元に手を当て吐き気が口から漏れ出るのを抑えた。

 

 (アンナさんお手製の、美味しいご飯の匂いなのに……)

 

 この時のシュリにとって、緊張と相まってご飯の匂いと人々の匂いが混ざり合う感覚は耐えられなかった。

 (ヨハンやアンナさん、ラルフさんの時は、匂いなんて気ならないかったのに)

 

 そこへ頭上から声をかけられる。

「随分可愛い子がいるじゃないか」

 壮年の男の声にギョッとして、見上げた。

「おぉ、すごい美人な子だね」

 その男に髪をかきあげられた瞬間、驚愕し全身の鳥肌が立った。

「ちょっとちょっと、アンヘンクゼルさん!そこは立ち入り禁止だよ!それにこの子は大事な預かりもんなんだ。勝手に触るのはやめてくれないかい」

「ちょっと、髪を触っただけじゃないか。この子の髪は肌触りが凄くいいねぇ。売ったらさぞかし高く売れるだろうねぇ」

「ちょっと、アンヘンクゼルさん。そのこに触るのはやめとくれ」

 アンナが諌める声を掛けたにも関わらず、下卑た笑みを浮かべながらアンヘンクゼルはシュリの金髪を指に馴染ませるように堪能し、舐るように触る。 

 シュリは毛先や頭皮から何かへんものが這入ってきたかのような不快感で頭が真っ白になった。

 (気持ち悪い…)

 性的の意味合いをもつ接触を一度もされたことがない喪女のシュリにとって、初めての体験であり。その体験は非常に不快感で、『身の毛もよだつ』という表現はこのためにあるのかもとシュリは思った。

  

「触るな」

 

 ヨハンはシュリの髪を弄ぶアンヘンクゼルの手首を掴む。

「……クソガキが。俺様の腕をそんなに強く掴むんじゃねぇ」

「アンタが先に離せばいいだろう」

「なんだと?」

 睨みを効かせた二人の視線に火花が飛び散る。

「ちょっとちょっと、アンタたち!」

 アンナの声をよそに、ヨハンはアンヘンクゼルの手首を掴む手に力を入れる。

「イッテェええええええ、放せ、小僧!」

「やめなっ、ヨハン。シュリが痛がってるだろう!」

 アンナの声にヨハンの手の力が緩む。

「シュリ、ごめん」 

 シュリの頬に手が触れる。ヨハンの手だ。その手を遡って彼に抱きついた。抱きつきながら、震えている自分に気づき、シュリは自分は怖かったのだと気づく。

「いってぇ、いってぇ」

 ヨハンは痛みで叫ぶ男――アンヘンクゼルはを睨みつけた。アンヘンクゼルも自分よりも二十も歳の差のある少年に手首を負傷させられ、怒り心頭になりヨハンの胸ぐらを負傷していない反対の手で掴んだ。

「クソガキっ!」

 そこへいままで食堂で昼食を食べていた数人の恰幅の良い男たちが、アンヘンクゼルの周りを囲う。その男たちの一人がアンヘンクゼルの肩に手を置いて警告した。

「おいおい、にいちゃん。このまま続けるってんなら衛兵呼ぶぜ」

「ちっ……頼まれなくてもこんな宿出ていってやる!」

 アンヘンクゼルは彼らの巨躯に慄きながら、周りの宿泊客の痛い視線にも気圧され、逃げるよう宿の外へ出ていった。 

「あっ、アンヘンクゼルさん、荷物!……ったく。ヨハン、どうしてくれるんだい」

「シュリが怯えていた」

「そうだとしてもだよ。他にもやり方があっただろう」

  

 (ヨハンは私を助けてくれただけでっ)

 

 シュリはヨハンの体から離れ、アンナのいる方へ向き直り、勢いよく頭を下げた。 

「アンナさん!ごめんナサイごめんナサイごめんナサイ!」

 シュリの勢いにヨハンとアンナ、他の宿泊客も黙り込む。

 その静けさを破るようにヨハンが言い放った。

「シュリが謝る必要はない!それに俺は悪いことはしていない」

 反省の色も見せないヨハンに、アンナは青筋を立て軽くヨハンの頭を叩いた。「そうさ、シュリは悪くない。悪いのは事態を悪化させてるアンタだよ」と目を吊り上げた。

「居候の身分でよくそんな口がきけたもんだね。こっちは客商売なんだよ。客足が遠のくことをしていいと思ってるのかい」「そんなことはわかっている。けど」とヨハンとアンナの激しくなる言い合いなるのを宥め始める男が一人。先ほどアンヘンクゼルの肩に手を置いて警告した男である。

「まぁまぁ、アンナ。そこまでにしといてやれよ。

 さっきの奴って、最近魔獣の皮や核を求めて村に移り住んだ商人の息子だろう?噂で聞いたが、酷い厄介者だって聞いたぜ。すでに他の店でも出禁になったらしい」

「ヴェルナー、その噂本当かい?」

「ああ、イーヴォの店であいつ金も払わずに酒を飲んで暴れ回って、店の物を壊したって聞いたぜ。その修理代として、父親も金で物を合わせて口封じしたっていう。まぁ、見物客が多すぎて口封じにもなってねぇけどな。」狭い町中だしなとヴェルナーは快活良く笑った。

 ラルフが案内する魔獣狩猟は獲物によっては命に危険が及ぶ狩りもあるため、ラルフはあらかじめ参加する客には身分証や参加する目的を確認し、命の危険が生じても責任をとらない旨の同意書もかわし行っている。そのため妻であるアンナもアンヘンクゼルの参加目的についても当然把握していた。

「……ルーエが賑わうのはいいけど、最近変なやつが多くなったもんだね。それにしたって、あの人の手首はこっちが治療しなきゃなんないから、あたし、あの人を追いかけてくるわ。ヨハンとシュリは留守番頼むよ」

「アンナさん!」

 思わぬアンナの発言にヨハンは声を上げた。

「そりゃそうだろう!客に手をあげる奴がどこにいるってんだい。居候の身分なんだ、あたしの指示に従いな」

「……」 

「まぁまぁ。女の身のアンナさんだけだと危ないから、俺たちであいつ探してついでにオットマー先生に診せてくるよ」

「そんな悪いよ!」

「同じ町のよしみだろう!」

 イーヴォは朗らかに笑うと、同じ仲間を引き連れ、アンヘンクゼルを捕まえに出た。

 

 入れちがいでアンナの夫のラルフがドアから入ってくる。参加客を宿屋に送り届けた後に再度罠などの見回り帰ってきたのだ。

 アンナたちの様子に間抜けな様子で頭を傾げた。

「ただいま?」

「たっく!アンタっていう人は肝心な時に居ないね!」

「……え?お、俺なんかしたか?」

 せっかく朝早くの仕事から帰ってきたというのに妻のアンナに憤慨され、ラルフは途方に暮れドアの前に立ち尽くした。

 

 

 

 

 

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