第5話 再会
伝えたい言葉は思いつくことはあっても、その言葉は口の中で引きこもろうとする。僕はそんな人だった。
入口をくぐると、外から見た限りではありえないほど広い空間に大勢の人が中央のステージを囲むように席に座っていた。僕はサーカスを思い浮かべた。
そしてステージに現れたのは、男爵と数名の彼の同業者であった。夏祭りで偶然ぶつかったあの人そのものだった。
「『ロスト』の諸君、さあ、一列に並んでくれたまへ」そして客たちはぞろぞろと一列になり始め、人魂のような形になって大きな麻袋の中に入っていった。
狐君がそばまで走ってきて、入るなと言っただろう、と叱り口調で言った。
「密猟者は『ロスト』を捕まえて魔女に高値で売ろうとする奴らなんだ。どうやら君も幻覚を見せられていたようだな。しかしこれはちょうどよかったかもしれない。私は君を死界に連れて行くつもりだったのだから」
「待って、僕は自分の生きる意味をもう少しで見つけられそうなんだ」
「君の旅の終着点は死界にある。母さんに会いたくないか」
ドキッとした。たしかに、死界には母さんがいる。僕は決心した。これが最後でもいい。母さんに会いたかった。
「よし、決まりだ。ステージの奥にドアがあるのが見えるか。あの扉は死界とつながっていて、密猟者たちが魔女と取引をするための扉だ。そこが死界へ行く近道だ」狐君は真剣な声で話した。
「ジョーンズからもらった薬があるだろう、それを飲め」言われた通り蓋を開けて飲むと、体が透明になった。
「ジョーンズは何を考えているのかさっぱりわからんな。危険な目に合わせたり、助けようとしたり、一体どっちの味方なんだ」
「きっと、どちらの味方でもないと思いますよ」僕は微笑んだ。
僕らはステージのそばを歩き出した。抜き足差し足なんて、何年ぶりにしただろう。しかしその努力も束の間、ドアまでもう半分というところで小石を蹴ってしまった。走れ!狐君は機転を利かせてそう言った。その音に反応した男爵は、信じられない跳躍力でこちらへ飛んできた。
「姿を消しても無駄だぞ、おお、君はあの時の少年!来てくれると思っていたぞ。だが、君をみすみす死界へ行かせるわけにはいかない」
すると脇腹から蛇の尾のようなものが絡みついてきた、、体を持ち上げられた。尾の先を見ると、目前に大蛇がいた。その大蛇は、男爵の変身した姿のようであった。彼もまた魔法使いであったのだ。その瞬間、大蛇の腹部を蹴り飛ばす者が現れた。それは、狐のお面を被った、僕を旅に出させた張本人だった。狐君はこの人だったのだ。
「彼らは私が食い止めておく。君は構わずドアの向こうにいけ!」
僕は走り出した。そしてノブに手をかけ、死界へ入った。
草原が遥か遠くの地平線まで続き、物寂しい場所であった。点を仰げば眩しいほどの星空が広がっていた。気づいたことは、道がないこと。どこにいけばいいのか、さっぱりだった。本当に母さんに会えるだろうか。もう一度周囲をぐるっと見渡すと、先ほどまではなかったロッジがあることに気づいた。そこから出てきたのは、黒い服を着た、間違いなく「母さん」だった。僕は一目散に走った。母さんも僕に気づいたようで、こちらに徐々に近づいてきた。それは十年前と変わらない、母さんだった。優しくて、勇敢な母さんだった。
僕らは強く抱きしめた。十数年ぶりに感じた、温もりだった。
僕はロッジに案内された。バックパックは椅子の横におろし、母さんと対面する形で座った。
「よく辿り着いたわね」声を聞いただけで喉が震えた。
「お父さんは私が死んでからも元気でいるかしら」眼の前にいるから死んだという単語がどうも現実味を帯びなかった。
「お父さんは全然だめ。あれからずっと落ち込んでる。家事もろくにしないし、最近なんて会社もやめちゃったんだよ」
「あら、まだ死ぬのは早かったかしらね」母さんは冗談めかして言う。
その言葉は不自然だった。「早かったってどういうこと」
「私はね、魔女になるために生界を去ったのよ」どうして、と聞き返した。
「魔女って『ロスト』を死界に呼ぶために存在しているわけじゃないの。私達は、生きるチャンスを与えているの。魔女が『ロスト』を死へ誘うという噂はあえて止めてないの。魔女が少しでも怖いと思ってくれれば、その人にはまだ行きたいという気持ちが残っていることになるから。試練を受けさせ、生きる意味を見つける旅に出てもらう。そして行きたいという気持ちでいっぱいにさせる」
素敵だと思わない?と微笑みかけた。
「それだけのために僕ら家族を残して」
「それは申し訳ないと思ってる。けど、私はこの仕事がすきなの。この仕事は私への使命だと感じたわ」
僕はそれ以上言葉が出てこなかった。ああ、この人は強い。
「でも、他人の命を救うために自分の命を諦めたの?」僕は心からの質問をぶつけた。
「私はこの仕事、自分の命を賭けるほどの価値を感じたの。魔女はみんなそう思ってる」 「僕をバスに乗せた魔女も?」
「そうね、あの子は少し手荒なだけ」
僕は旅の道中で出会った人の話も投げかけてみた。
「ジョーンズさんは魔女になれなかったって聞いたけど」
「あの子は師匠のお金を盗んだのよ?捨てられても仕方ないわ。そういえば、森じいから『星の王子さま』をもらったでしょう」
うん、といって本を取り出した。
「この本には読むこと以外にもう一つ魔法を持っているの」
母さんは魔法の杖を取り出して、本に魔法をかけた。すると、空中に映像が浮かび上がった。それは母さんが僕に読み聞かせをしているところ。家族三人で楽しそうに喋っているところ。母さんが死んで父さんが放心状態であるところ。誰の声も聞こえない我が家。そして僕の家出。僕が熱心に本を読んでいるところ。僕が一人で、寝ながら泣いているところ。
「これはこの本が見た記憶たち。これまで色々あったわね」はじめこそ楽しそうに見ていた母は後半の記憶になるに連れ、涙ぐんできたようだった。
「私が死んでからそんな事があったのね。それは、辛かったわよね。今更だけど、勝手なことをして、本当にごめんなさい」
しばらく沈黙が続いたあと、僕は本題に入った。
「母さん、あなたにとって生きる意味とはなんですか」
「私はね、死界に来てから思ったの。生きている間は生きる意味なんてないんじゃないかって。生界にいる間はがむしゃらに生きなければならない。でも、その生きてきた証が、私を取り巻く人や物や出来事が、自分が死んだときに生きた意味になった。うまくは言えないけど、だから人は生きなければならない。それがきっと、良かれ悪かれ意味になるから。とにかく皆には、生きてほしい。それがいち魔女としての意見。でもこれはあなたにとっては正しくない」
「ありがとう母さん。なんだか、わかってきた気がする」
「ならここは旅の終着点じゃない。あと少し続くようね」
そうみたいだね、と僕はあどけなく笑った。
その時、ロッジのドアを勢いよく開ける音がした。
狐君が駆け込んできた。その人は母さんの方を向いて、
「師匠、密猟者どもは片っ端から捕らえました。それより、ビルから飛び降りようとしている『ロスト』がいるとの情報です」
「どんな人なの?特徴は?」
「それが…」と今度は僕の方を向いて、
「君のお父さんだよ」
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