第4話 混ざり合う

 目を開けると、僕は鏡の前に座っていた。

 「おかえり、頑張ったね」鏡花さんはぽん、と肩に手を添えながら優しく囁いた。

 僕の息は少し荒くなっていた。まだ鼓動が強く生を主張している。涙も未だに止まることを知らない。

 「はい、ハンカチ。気分はどうかしら」鏡花さんが訊く。まあまあですと端的に返した。

 「昔の自分に会いました」

 「それはね、あなたの記憶、あるいはあなたの奥底に眠る潜在的な意識。あなたはそれと、しっかりと向き合った。よくやったわ」そう言って紅茶の入ったカップを手渡してくれた。体の芯から温まる感覚が心地良い。

 「あなた、このあとどうするの」

 「特に決まっていないです」

 「そう、今日はここに一泊して、明日この場所に行くといいわ」といって、鏡花さんは一本の瓶を取り出した。

 「彼の特性の魔法瓶で、私の持病によく効くの。これを見せたら用件がわかると思うわ」

 「その人は魔女なんですか」

 「まさか、そんな物騒な人じゃないわ」

 魔女は物騒なのかと肝に銘じた。

 その夜は、鏡の間の一つ奥の部屋に泊めてもらった。その部屋は、洋風の部屋で、壁はミントグリーン一色だった。就寝前、「星の王子さま」の二周目を読み始めた。

 卵を焼く音で目が覚めた。今日は泣いていなかった。

 「ちょうど起きたわね」と言って、小さな丸テーブルの上に2人分のスクランブルエッグとソーセージ、トーストが用意されていた。窓から外を見ると、やはり夜だった。この家の窓からは海がよく見える。陸と海と空が一体になる時間、生界と死界が混ざりあった世界。

 トーストにバターを塗る(鏡花さんは塗らなかった)。トーストを齧ると、じわっと油の甘じょっぱい風味が口いっぱいに広がった。夜に朝食をとるというのも悪くはなかった。手作りの料理は久々なので、胸が熱くなった。

 「この食事が終わったらあなたは行ってしまうのね。寂しくなるわね」本当に悲しそうな目で訴えかけてきた。

 「はい。なんだか、この旅が、家でのくせに楽しくなってきたんです。この旅の終着点を、僕は見てみたい」

 僕の言動に対して鏡花さんは驚いたように、

 「『ロスト』から楽しいなんて言葉が出てくるなんて」鏡花さんは楽しそうに笑った。

 食べ終わってから、食器洗いを手伝ってから次の目的地に向うことにした。それがせめてもの、僕からのお礼になればいいと思って。

 店をあとにする前に、シャワーを浴びさせてもらった。シャワーはいい、身も心もスッキリする。

 風呂から上がるとすぐに支度を始めた。バックパックを背負う。

 「あの、最後に、鏡花さんにとって生きる意味とはなんですか」

 うーん、と悩んだ末、わからないと答えた。

 「人と向き合うこと、かな。私の言う人はもちろん自分を含めて。あなたはしっかりと自分と向き合った。だから、旅の終わりは目前まで来てると思うわよ」最後に、優しく微笑みかけた。鏡花さんの背後の窓の奥に小さな船の明かりが見えた。

 「ありがとうございました。では」

 僕は旅の続きを再開する。

 

 次の目的地に向かう前に、砂丘に立ち寄ることにした。あの時見たことが現実でないことを確認するために。案の定、繁殖し始めた自然はおろか、絵も消えていた。今度は涙は出なかった。僕は、過去に打ち勝てたのだろうか。

 そこは富士山がよく見える場所だった。まるで自然と街が共存しているような、そんな街だった。

 鏡花さんがメモしてくれた住所を見て、「薬局トールキン」を目指した。時間を逆算して、ちょうど夜に着くように来たので今度は待つ必要はなかった。

 店の扉を開けると、薬局とは思えないほど店内は暗く散らかっていた。そもそもこの店が周りのコンクリートでできた家々とは違って木造建築というのがいかにも魔女を思わせた。

 返事がないので廊下をわたり、奥の部屋へと入った。その部屋は「思い出書店」を思い出させるほど、洋書がぎっしりと詰まった本棚が設置されていた。おそらく書斎だろう。すると床からぶつぶつと独り言をいう声が聞こえた。床を注意深く見ていると、板目の切れているところを見つけた。くぼみを掴んで持ち上げると、地下へと続く階段があった。

 恐る恐る階段を降り、地下室を覗くと、細身でのっぽな髪がくしゃくしゃな男が大鍋の前で独り言をつぶやいている背中が見えた。

 「すみません、ジョーンズさんですか」と背後から声をかけると、わああ、と素っ頓狂な声をあげた。彼は地下だというのにサングラスをしていた。そしてこちらに向き直る。

 「おどかすんじゃねえ。何だお前」僕は鏡花さんからもらった魔法瓶を彼に見せた。

 「ああ、お前か。鏡花から噂は聞いてる。お前に時間をかけるつもりはないから、黙って聞いてろ」彼はとにかく無愛想な人だった。ずっと眉間にシワを寄せている。本当は魔女なのではないかと鏡花さんの言葉を疑う。

 「率直に言う。人はみな自分の生きる意味を欲しがっている。だが俺に言わせれば、お前らの思っている生きる意味というのは意味なんかじゃなく使命なんだ。自分は何をしなければいけないのか、何をして生きていかなければいけないのか、自分は何を必要とされて生まれてきたのか。お前らはそういった使命を見つけたがってるんだよ。違うか」

 彼の言葉は、意外と核心をついていたように思う。

 「だとしたら、ジョーンズさんの生きる使命はなんですか」

 「ふん、そんなの決まっている。金稼ぎだ。薬局という建前だが、人を助けたいなんてことは微塵も思っていない。薬っていうのは命に関わるものだから、その分高く売れるんだよ」喋っている間に笑いがこみ上げたらしく、一層不気味に見えた。

 「それに俺は魔法の技術を心得ている。科学では補えないところを魔法薬で補う。それに気づいたときからガッポガッポよ」といってOKの形を右手で作って揺らしていた。

 「魔法は、どうやって覚えたんですか」

 「昔俺はある魔女の見習いだった。だが男は魔女にはなれないと言われ、捨てられた。そして途方に暮れた俺はこの営業を思いついたわけだ」

 「薬は『ロスト』に売るんですか」

 少し考えてから、「それは言えない、ただのお得意さんだ。人の営業に首突っ込むんじゃねえ」と叱られた。

 「あの、少し気なったんですけど、生きる使命はあっても、意味はないということなのでしょうか」

 「いや、それはちがう。俺が話したのはあくまで意味と使命という言葉を履き違えているということだ。意味はまた別にある」

 「ぜひ聞きたいです」

 「生きる意味とは、成長することだ。人類は誕生してから、文明を築き上げ、技術を身につけてきた。つまり人は成長する生き物ということだ。いや、しなければならない」

 その時、ベルの音が聞こえた。

 「来客だ。俺も最近いかんな、少し話しただけなのにお前に上が移った。これを持ってけと」といって魔法瓶を渡され、玄関に案内された。どうも、「ロスト運輸」です、と威勢のいい男性の声が響く。帽子を目深に被っていたので顔はよくわからなかった。そこにいたのは運送業者のような人だった。

 「お前を目的地まで運んでくれるらしい」僕は言われるがままバスに乗り込んだ。

 「もう二度と顔見せるんじゃねえぞ」ジョーンズさんとの最後の会話はそれだけだったが、彼の口角が少し上がっているように見えた。

 

 車窓の外を眺めると、すでに昼時だった。このバスでは夜は繰り返されていなかった。

 バスは山道を走り始めた。僕はその時二周目の「星の王子さま」を読み終えた。そういえば僕は、どこに行かされるのかまだ聞いていない。その時、バスが急に道を反れ、岩壁に突進した。運転席でぐったりとしている人影が見えた。僕は慌てて運転手を助けに行こうとしたが、

「そいつに近づくな!」と誰かに呼び止められた。半開きになったドアからバスの外に出てみると、一匹の狐がこちらを見つめていた。

 「君が喋ったのか」

 「だったらどうする。あの運転手は魔女の一人だ。君を助けてやったんだから感謝しろ、ジョーンズのやつは金に目がくらんで君を売ったようだな。それはそうと、私についてこい。会わせたい人がいる」

 共に山道を上る途中、林の奥にたくさんの明かりが見えた。最近見たような景色。出店を見ると、金魚すくい、焼きそば、じゃがバター、カステラなどがあった。間違いない、あのときの夏祭りだ。そして人混みの中には、あのときのメンバーたちもいた。どうしてここに。彼らはちょうどテントのような出店に入るところだった。その時の僕は自分を制御できていなかった。気づいたら彼らを追いかけていた。もう一度、話してみたかった。許しあえなくても。今なら変化が訪れるような気がしたから。僕は後を追ってテントの中に入っていった。

 「入るな!そこは密猟者の出店だ」狐君がそう言ったが、僕の頭は一切を遮断していた。

 日はすでにくれかかっていた。

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