第2話 思い出書店

 たまたま入ったそこは、思い出書店だったのだ。お茶を淹れてくるから少し待っていろと言われ、店内を見て回った。四方の壁には天井まで届く高い本棚に、乱雑に本が置かれていた。本の背表紙を指の腹でなぞってみる。ドストエフスキー、夏目漱石、ドイル、江戸川乱歩、村上春樹、カポーティ。読んだことのある小説や絵本、漫画などが多く、懐かしい気持ちとともにワクワクした。手にとって読んでいると、

 「君は本が好きなんだね。お茶、熱いけどどうぞ」微笑みながら森じいが言った。

 熱い緑茶をすすって森じいと向き合った。

 「あの、単刀直入に聞きます。森じいさんにとって生きる意味ってなんですか」

 「まあまあ、落ち着きなさい」となだめるように言った。

 「君は『ピーター・パン』を読んだことがあるかね」といって、新潮社出版の『ピーター・パン』を棚から取り出した。

 「この店に来る人たちに必ずこの本を見せるようにしている。『ロスト』という名前は、この本に出てくるロスト・キッズからとったものなんだ。私が名付けた。彼らは大人になることを拒んだ子どもたち。つまり今後の人生に不安を抱えている。そういう意味での迷子の子どもたちだ」

 「あなたは何者なんですか」失礼に聞こえないように慎重に行った。

 「私も昔は『ロスト』だった。君の気持ちはよく分かる。ところで君はどうやってこの場所を知ったのかな」

 「狐のお面を被った白い浴衣の人に教えてもらいました」

 「ああ、彼か。彼は人を助けるような人柄ではないのだがなあ」

 「森じいさんはなんで『ロスト』になったんですか」

 「君、それはこの業界の人間(本当に人間かは怪しいが)に訊いてはいけない。これだけは約束してくれ。そのかわり君も訊いてはいけない、わかったね」

 はい、とだけ答えた。

 「では、生きる意味については訊ねてもいいですか」

 すると森じいは数冊の本を棚から抜き出した。その手には、「星の王子さま」があった。

 ふん、と本を突き出して僕に手渡した。お茶をそばの平積みされている本の上に置き、受け取った。

 「私にとって生きる意味とは、本と関わっていることだ。本を通して、人を救えたらそれ以上の喜びはない。だから私は、この職についた」

 「好きなことが、生きる意味になるということですか」

 「それはあくまで私の意見だ。生きる意味は人それぞれ、『ロスト』は自分でそれを探さなくてはならない。そうでなければ、旅に出た意味がないだろう。狐の兄ちゃんに教わらなかったかい」

 そういえば、と思い出した。

 「その本は君にあげる。きっと君にいいことを教えてくれる。きっとだ。あ、あとこれも持っておくと良い」森じいは胸ポケットから一枚の名刺を差し出した。そこには、「鏡界」と書かれており、文字の隣にはハンプティ・ダンプティが印刷されていた。

 「そこの店主の方が、君にいろいろなことを教えてくれると思う。それと今日はもう遅い、ここに泊まっていきなさい。退屈はしないだろう」と言って、店の奥から毛布を持ってきてくれた。

 僕は寝る前にもう一度よく店内を見て回ることにした。ただどの本を見ても、読んだことのある本ばかりだった。仕方なく、「星の王子さま」を読むことにした。この本は母が毎晩読み聞かせてくれた、大切な本であったことを思い出す。なんだか目頭が熱くなってくる。

 その日は母が読み聞かせをしてくれる夢を見た。

 目を覚まして腕時計を見ると夜の十二時だった。ここは時間が繰り返されているのだと勝手に理解した。そんなことは当然のことなのだが。頬に涙の乾いた跡があるのに気付いた。

 「やっと起きたか」彼の声が今は心地よい。森じいはレジの前でコーヒーを飲んでいた。

 「あの、この店の名前と、この店にある本って…」言いたいことが自分でも整理がつかず、自分でも信じきれていなかった。

 「言いたいことはわかっている。この『思い出書店』は、君を作り上げた本の全てだ。なぜ君の旅の過程で思い出書店によることになったのか、この世に偶然なんてないんだよ」

 彼は昨日の穏やかさとは打って変わって真剣な顔をしていた。

 「『思い出書店』は、必要とされたときに開くもの。君を作り上げた本、その本を書いた作者を作り上げた本、その先も然り、そんな本たちを集めた場所。ここは君の一部で、私はその管理人のようなものだ。君は、『星の王子さま』を読んで泣いていたね。過去を振り返るのもときには大切だよ、新たな発見をすることがよくあるからね」そう言ってコーヒーを一口飲む。僕は心臓が冷水を浴びてじわじわと乾いていくような感覚を味わった。

 「じゃあ、そろそろ行きますね」毛布をたたみながら支度を始めた。すると森じいが思い出したように、

 「そうだ、魔女に気をつけなさい」

 その現実味を帯びない言葉に少し返答に戸惑った。

 「魔女は『ロスト』を死界へ導く。また、魔女とは別に『ロスト』を狙った密猟者も存在するから、念頭においてくれ」 

 ありがとう、と簡単な挨拶だけ済ませて、店をあとにした。

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