第14話 魔女の騎士

 夜明け前の肌寒い北風が私の頬を撫でてくる。白い吐息を流しながら、制圧した都市の大通りを進んでいた。異骸達が横並びに跪き、成された列の前を歩いていると、一人の黒騎士が私を呼ぶ。

「なあ聖女」

 私は彼の用向きを遮って

「その聖女って呼び方、変えてもらってもいい?」

「ああ、なら……魔女……とかになるのか?」

 私のため息が、口元の空気を白ませる。

「フィオナ。私にも名前があるの」

「分かった。フィオ……ナ」

 私の名を口にすると、少しだけ目を泳がせる。ファーストネームで呼ぶのが照れくさいのだろうか。仏頂面に似合わずかわいいところもあるものだ。

「よろしい。まあでも確かに、今の私が聖女の二つ名を改めるのなら、きっと魔女になるのでしょうけどね」

 霜が降り、凍てついた死体に視線を落とした。

「それで、何か用? アラン」

 そう言いながら視線をアランの方へと戻す。

「ああ、そうだ。俺はあんたに頼みがあるんだ」

「その頼みというのが、私に死なれると困る理由ってことかしら?」

「そうなる」

「アランの頼みなら聞かせてもらうわ。初陣はあなたに助けられた訳だしね」

 彼の助太刀がなければ、今頃私はとっくに奴らの操り人形になっていただろう。聖魔法で戦闘するとなると、前衛の存在は不可欠だ。

「それで、頼みというのはいったい何かしら?」

 私が尋ねると、さっきまでの照れくさそうな表情からは一転し、真剣な眼差しでまっすぐ私を見つめてくる。


「……俺を──殺してくれ」


「殺す……?」

「見ての通り俺の体の半分は異骸化してる。あいつらほどの再生力はないが、俺も死ぬことができない体になってしまった。でもあんたなら、俺を殺せるだろ?」

「そうね」

「もう俺には生きる意味なんてない。なのに何百年も無為に生かされ続けてきた。いつ瘴気に取り込まれて、理性を失うか分からない。狂気に飲まれる前に、この命を終わらせたいんだ。だから頼む。俺を、あんたの手で殺して欲しい」

「いやよ」

「なっ──なんでだよ! あんたなら簡単にできるだろ!?」

「生きる意味がないなんて嘘。じゃなきゃ半分とはいえ異骸化しながらそこまで意識を保てる訳ない」

 リアナもグスタフも、私を前にしてかすかに意識を取り戻していた。きっと意思の強さは、異骸化した人間にいくらかの意識を呼び戻す力があるのではないだろうか。

「あなたには生きて成さねばならないことがある。そうじゃない?」

「……そんな……そんなことはない」

 自分に何かを言い聞かせるようにして、その黒い手を、強く握りしめていた。

「俺は本気だ!」

 剣を抜き、私の首に突きつけてくる。

「いいから俺を殺せ! さもなくばあんたを殺す!」

 剣先から流れた細い一筋の血が、私の喉を伝っていく。

「フフフッ、私に死なれたら困るんでしょ? 私を殺したらあなたは死ねなくなるけど、それでいいの?」

「……」

「その剣を下ろしなさい」

 そう言うと、彼の剣先は小刻みに震え出す。やっぱり死にたいという気持ちは本当なのだろう。でもそれは、生きる意味がないからというより、生かされた意味からの解放を求める願いのように思えた。

「ハアッ……分かったわ」

 私はその震えを止めるようにして刀身を掴んだ。

「お、おい!」

 私の手の平から流れ出た血が、膝まで伝っていく。

 彼の震えはおさまらない。やっぱりきっと、アランには何かがあるのだろう。

 そして私を殺すなんていっておきながら、私の手の傷を心配そうに見つめてくる。聖女の力があればこんな傷、何てこともないというのに。

「これ、貸して」

「えっ……」

「いいから」

「あ、ああ……」

 ようやく手放してもらったその剣の向きを変え、今度は持ち手の方で握る。切れたばかりの手の平には、不思議と痛みを感じなかった。

「跪きなさい」

「……首でも落とす気か? 俺はいいが、そんなことしなくても浄化なら──」

「ほら、早くしなさい」

「……」

 その場で言われるがままに膝をついてくれた。

 私は受け取った剣を彼の左肩に乗せる。彼は『やるなら早く落とせ』と言わんばかりに首を傾け、目を瞑った。けれども私はその剣を振りかぶることなく、今度はゆっくりと反対側の肩へと乗せた。その黒く染まった右肩に刀身が当たると、私の行いを悟ったアランが目をかっぴらく。

「おい! 何をしている!?」

「何って、騎士号授与アコレードよ。見ての通り」

 日がのぼり、暁光が私の背中から差し込んでくる。

「今からあなたは私の騎士よ。私に仕え、私を守りなさい」

 彼は朝日に目を窄めながら

「俺があんたの騎士だって……? 何のつもりだ……」

「生きる意味がないというのなら、しばらく私があなたの生きる意味になってあげる。その間に、よく頭を冷やすことね」

「そんな勝手な……」

「ええ、そうよ。私、わがままで身勝手なお姫様なの。よく家臣からも言われていたわ」

「……」

「それに言ったじゃない。今のロザリアにおいて、死は恩賞よ。欲しければ報いられるよう、私に忠を尽くさなさい」

 かつて宮廷に仕えていた騎士の異骸に目を向ける。

「……俺があんたを守れれば、本当に俺は死ねるのか?」

「私は王よ。誓いは守る。奴らを根絶やしにして、みんなを解放して、死なせてあげられたら、その時はちゃんと、あなたも殺してあげる」

 そう伝えると、視線を落として黙り込む。しばらくしてからゆっくりと口を開いた。

「恩賞……か……」

 もう一度、私に目を合わせてくる。

「分かったよ。あんたの騎士になればいいんだろ」

「うん。お願いできそう?」

「ああ」

「ありがとう。それじゃあこれから、よろしくね。私の騎士さん?」

 私が笑いかけながら手を差し出すと、再び照れ臭そうに目を流しながら、応じてくれた。

 私はアランの手を引いて立ち上がらせてから、剣を返そうとする。持ち手が血だらけになってしまったので、シャツで拭き取ってから差し出した。

「はい」

「……」

「どうしたの? これがないと私のこと守れないじゃない」

「あ、ああ……そうだな」

 剣を受け取ると、ゆっくりと腰に納めた。

「よし、それじゃあいくよ。次は北の方を潰そう」

 私が歩きはじめると、アランは続いて追いかけながら

「お、おい!」

「ん?」

「手、治さなくていいのか?」

「ああ……」

 手の平を見下ろしてみた。指の付け根のあたりが綺麗にパックリと割れている。

「いいや。やめとく」

「な、なんでだよ」

「別に、何でも」

「何でもって、痛くないのか?」

「痛いよ」

「なら治しておけって」

「だから今はいいの」

「……あんた本当変わってるな」

「それはどうも」

 アランはため息をつきながら自分の黒衣の裾をちぎる。そして私の手を優しく掴んでからそれを巻いてくれた。

「ならせめて手当てくらいしとけ」

 私は黙ってその様子を見つめる。

 アランはそんな視線を意識しながら「なんだよ」と尋ねてくる。

 中々器用なものだ。

「何ー? 心配してくれてる訳? さっきまで私のこと殺そうとしてたくせに」

「ちげーよ! あんたを守れって言ったのはあんただろ」

「フフフッ、そっかそっか。ご苦労ご苦労」

 なんだか可愛らしくみえてきたので頭を撫でてやると、鬱陶しそうな顔をする。

「ほら、じっとしろ」

「はーい」

 きっと私は、この傷を無かったことにはしたくなかったのだと思う。アランに立てた今日の誓いを、忘れないようにするための戒めとして。

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