第5話 調子が狂う

 一頻り馬鹿にされた朝。

 既に体力激ローで、俺は早くも満身創痍になっていた。

 朝礼後に自販機で買ってきたスポーツドリンクに口をつけ、大きく息を吐く。

 こんな早い時間から家を出て、学校に来るという行為が久々なのもあるだろうが、それ以上に元カノ(俺の中では)に弄られ続けたというのが消耗の理由だろう。


 隣の席で涼しげな顔をしている隣の席の女に、俺はじっとりとした視線を向けた。


「今日はやけにねっとり見てくるね」

「ねっとりって言うな。なんか汚いだろ」

「だって変なんだもん。ほら、こんな顔」


 綺麗な二重瞼を押し下げて半目になった巡葉は、眉に若干の角度を付けながら俺の方を見る。

 本人は変顔をしているつもりなのだろうが、ただのシャッターチャンスだ。

 すぐさまスマホを取り出すと、そっぽを向かれた。


「なんで逃げる」

「逆に聞くけど、なんでそんな堂々と他人の顔撮ろうとしてるの?」

「お前の下手な変顔を保存してゆすりに使おうかと」

「最低って単語を辞書で調べた時に出る意味、全部当てはまりそうな回答ありがと」


 ありがたい褒め言葉に与った俺はうーんと伸びをする。

 高校一年のこの体は健康そのもので、関節が鳴る事もなかった。


「今日はダンスレッスンがあるんだよね」

「あー。さっき聴いてた曲の練習をすんのか」

「そ。ま、使うかどうかはわかんないんだけど」


 先ほどまでの自信たっぷりな様子はなく、若干声のトーンが下がる巡葉。

 陰のある表情を見せた彼女はそのまま続けた。


「もうそろそろこの前のオーディションの結果が出るから、それに合格してたら次はダンスと歌のオーディションなの。その対策」

「へぇ」


 聞きながら巡葉の顔をじっと見る。

 今度は無言の抗議ではなく、ただ単にこいつが何を思っているのかを知りたかったから観察した。

 

 巡葉は昔からオーディション前はかなり緊張しがちだった。

 当たり前な話で、何度も落選が続くと流石に心も磨り減ってくる。

『また落ちたらどうしよう』『今回は上手くやれただろうか』『次のオーディションで失敗したらどうしよう』

 そんなふうに考え始めて陥るのが、この負のスパイラルだ。


 僅かに震える唇を見る限り、既にかなりのプレッシャーがかかっているのが分かる。

 前は特に気にしなかったが、こいつの辿るルートを知っている今の俺には、どうしても見過ごせるものではなかった。

 とは言え、心配し過ぎるのも逆効果だろう。


「選考を抜ける前提で次のオーディションのダンス対策をしてるってことは、今回は勝算があるんだろ? じゃあ大丈夫さ」

「え? う、うん」

「まぁ気負い過ぎず、自分のやりたい事の本質を見逃さないようにな」


 俺がそう言うと、巡葉は目をパチクリさせた。


「……なんか今日の雲井君、彼氏面凄いね」

「おい! なんか今凄い聞き逃せないこと言っただろお前!」

「え? 口に出ちゃってた?」

「しっかり聞きましたけど!」


 くそ。なんだよ本当に。

 人が真面目に話をしたのに……。

 ボソッと呟いた巡葉の言葉に俺は正直結構傷ついた。

 

 ガックシ項垂れる俺に珍しく巡葉が謝ってくる。


「ご、ごめんって! 本当に他意はないんだって! ただちょっと、いつもと違って弄りにくいから、調子狂うなって思っただけで」

「……そうか。ならいいけど」

「もー、信じてないじゃん。はぁ……仕方ないな」


 巡葉はそう言うと、椅子から立ち上がった。

 そのまま通り過ぎる間際、俺に耳打ちする。


「ありがと。ちゃんと気持ち受け取ったから」


 相変わらず、アフターケアはしっかりする奴だと思う。

 思わず振り返った俺に、巡葉は茶目っ気たっぷりにウインクした。

 そのまま、今のやり取りなんかなかったかのように、彼女は普通の顔で他の女友達とどこかへ行ってしまった。


 ここまでくると、もはや若干恐怖に感じる演技派である。





 二周目の人生は思ったよりつつがなく進んだ。


 聞き覚えのある授業では事前知識が有利に運んだし、友人との会話も久々の再会のような気分で新鮮に楽しめた。

 若干のコミュニケーションエラーは生じていたが、別に特筆するような事ではない。

 みんなも不審に思いもせず、普通に接してくれた。

 唯一俺の挙動に首を傾げていたのは、巡葉だけである。


 というか、巡葉とはタイムリープした二周目の人生でも普通に仲良く過ごしているが、果たしてこれで良いのだろうか。


 現在昼食後五限の体育という、睡魔限界の時間帯であり、俺は日陰のベンチに座りながら別チームのサッカーの試合を見学する。

 逆コートで巡葉たち数人の女子が、俺の方を見ながら何かを話しているのが見えるが、あまり気にならない。

 眠気と考え事で頭はいっぱいだ。


 このまま俺と巡葉が仲良くなった先にあるのは破局の結末だ。

 あの寒い冬空の下、澤虹乃のデビューライブをきっかけに俺達の物語は終わる。

 巡葉がアイドルになる未来もそこにはない。


 今一度考えてみよう。

 俺は何故この四年という年月を跳躍して、巻き戻ったのだろうか。


 突如飛んできたサッカーボールに顔面を打たれ、俺はベンチから転げ落ちる。


「おーい雲井! 集中しろよー」

「……考え事の最中に水差すんじゃねえよ。どこに球蹴ってんだ」


 皆に馬鹿笑いされて、じんじんうずく鼻をさする。

 ふと視界に入った女子コートでは、巡葉が顔を両手で覆って笑っていた。

 未来の彼氏だというのに薄情すぎる。


 って違う。

 そんな事はどうでもいいんだ。


 俺が巻き戻った意味。

 それはやり直すためじゃないだろうか。

 俺と巡葉が一緒にいる世界線には、誰も幸せにならないバッドエンドが待っている。

 ならばそれを回避するのがタイムリーパーの役目というものだろう。


 今度こそ、あるべき未来に巡葉を導くのが俺の使命なのだ。

 柴凪巡葉を、アイドルのステージに立たせるんだ。

 例えその場に、俺がいないとしても。

 あいつが俺の事を嫌いになったとしても。

 それでも構わない。

 

 何より、俺はあいつの夢を応援したいんだから。


「ちょっと一旦、距離置くか……」


 巻き戻ってまで、彼女と付き合うわけにはいかない。

 ボソッと、そんな事を俺は呟いた。


 と、そこで隣に座っていた男子が俺を覗き込んで声を上げる。

 

「く、雲井やべーって! 鼻血出てるぞ!」

「えぇッ!? 早く言ってくれよ!」


 無様に騒ぐ俺に、一世一代の決意の格好良さは微塵もなかった。

 我ながら締まらない男である。

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