第4話 小悪魔アイドル

 教室に入ってすぐ、一際異彩感を放つ席が視界に入った。

 窓側最後尾という位置も相まって、その周りだけ妙に世界が変わったかのように見える。

 席に座るのは一人の少女だ。

 セミボブの黒髪を風に靡かせながら、窓の外を眺めて佇んでいる。


 華奢な肩からスラリと落ちるボディラインは、洗練された姿勢によって美しさが強調される。

 色白の肌、うっすらと色付いた血色の良い頬、そして瑞々しい桃のような艶やかな唇。

 見慣れた姿のはずなのに、別人のように見えるのは、これが四年前の彼女だからだろうか。


 絶世の美少女である柴凪巡葉は、イヤホンを付けて記憶通りの席にいた。

 そんな彼女にクラスから若干視線が集まっている。

 巡葉がこの容姿な事に加え、アイドル志望である事は周知の事実であり、普段から学校でも特別な扱いを受けていた。

 俺はゆっくりと、そんな巡葉がいる隣にある、自分の席に近づいた。

 

 すぐに席に着かず、俺は巡葉を凝視する。

 なんというか、自分でもよくわからない感覚で、久々に見る髪染めもしていないアイドル志望時代の巡葉に惚れ直してしまったようだ。

 夢を見ているような、ぼーっとした感覚で立ち尽くしていると、音楽を聴いていたはずの巡葉がイヤホンを外して俺の方を見る。


「雲井君、おはよう」

「お、おう。おはよう」


 いつも『きーくん』と呼んでいた彼女に『雲井君』と名字呼びされたことで、ここが過去で巡葉と恋人関係になる前の世界線だと気付かされる。

 恐らく俺は間抜けな顔をしていたと思う。

 巡葉は、目を細めてにやりと笑った。


「朝から熱のこもった視線ありがと」

「べ、別にそんなつもりは」

「じゃあなんで一分くらい見つめてたの?」

「いや、深い意味は……」


 どうやら俺が棒立ちで見惚れていたのに気づいていたらしい。

 しかし、となると疑問が生じる。


「音楽に夢中になってたわけじゃないんなら、なんで無視してたんだよ」

「そりゃ朝から人の横顔凝視してくる不審者とか怖いからじゃん?」

「誰が不審者だ」

「ふふっ」


 指摘されて顔が熱くなるのが分かる。

 絶対今、俺の顔は真っ赤に染まっている。

 女子高生の巡葉は子供っぽく俺の事を弄っては満足げに笑った。

 話題を逸らすよう、俺は早口で続けた。


「で、何聴いてたんだよ」


 荷物を整理しながら席に着くと、巡葉は両手で頬杖をついて顔を寄せてくる。


「一緒に聴く?」

「……うん」


 指で寄れとアピールされたので椅子を近づけると、ふわりと嗅ぎ慣れた甘い香りがした。

 急に近くなった距離感に若干心を乱されつつ、渡されたイヤホンを耳につけると、ポップな音楽が聞こえてくる。

 聞き覚えのある曲で、確か有名アイドルグループの人気曲だ。

 ついリズムに乗りたくなるような中毒性がある。


「次のダンスの課題曲なんだよね」

「あぁ、そういう。学校でも聴いてるなんて偉いな」

「振り入れはとっくに終わってるけど、耳で聴いてからステップ踏んでたら若干反応にラグが生まれるんだよ。体に覚えさせるにはずっと聴いておくのが一番なんだから」

「へぇ」

「なにその反応。要領悪いって思ったでしょ」

「思ってねーよ」


 ジト目を向けてくる巡葉に俺は首を振る。

 俺はただ単に、やっぱりこいつはアイドルを目指すべきだったと再度思っただけだ。

 私生活もレッスンと自分の技術を磨くための研鑽の時間に使い、その上でレッスンにはサボらず参加して日々成長に勤しむ。

 文字通り心身ともに休まる瞬間なんか存在しない生活だ。

 再度スマホの画面に目を落とす巡葉。

 その瞳に映るモノは、既に憧れの色を越えている。

 もはや執念だ。


 そんな彼女だからこそ、当初の俺はまさかあんな結末が訪れるとは思いもしなかった。

 だがしかし、どうだろうか。

 今の俺の視点には別の側面が見える。

 そう、これでは入れ込み過ぎだ。


「空き時間に音楽聴くくらいは良いと思うけど、あんまり根詰め過ぎても効率は逆に下がるんだからさ。適度にサボるのもいいぞ」

「……良い忠告だけど、雲井君に言われると危機感が勝つ」

「怠惰な性格で悪かったな!」


 俺の学生生活と言えば、課題の提出をサボっては呼び出されてのオンパレードだった。

 実際、大学に入学した後も出席が足りない授業は、毎回教授に媚を売って合格ぎりぎりのお情け単位をもらってたっけ。

 そこを突かれては痛いものだ。

 決まりが悪くなって目を逸らすと巡葉は耳打ちしてくる。


「ありがとね」

「……っ!」


 吐息が耳にかかってこそばゆい。

 ビクッと肩が震えてしまい、そのまま俺は隣の女を見る。

 巡葉はニヤニヤしながら俺の反応を愉しんでいた。


 こいつ、完全に俺で遊んでやがる。


 俺と巡葉はこの時期付き合ってはいないが、正直どちらかが告白すれば付き合えるくらいの関係性ではあった。

 ただ、アイドル志望という彼女の立場や俺の日和見のせいで、実際に付き合うのは来年以降になる。

 要するに、この時も既に俺の好意なんて巡葉はとっくに気が付いているのだ。

 手玉に取られるのは今に始まったことじゃないが、流石にイラっとする。


 年相応のガキさに俺は顔を顰めた。

 もっとも、今急にぎゅっと抱きしめて見たらどんな反応をするのかと、少し気になるところではあるが。


 そんな事を考えていると、巡葉は言ってくる。


「ってかいいの? こんな距離感で話してたらみんなに勘違いされちゃうね?」


 勘違いとは言うまでもなく、俺達二人が付き合っていると思われるという話である。

 今のところ距離感が近いのは中学からの知り合いだから、という話で通っているが、あまり仲良くし過ぎては流石に誤魔化せない。

 まぁ誤魔化すも何も、今の俺達は本当に付き合っているわけでもないんだが。


「お前がイヤホン貸してきたんだろ」

「雲井君が聴きたいって言ったんじゃん? こんなに体も寄せてきて」


 視線を下に促されてみると、スカートから覗く巡葉の健康的な生膝に今にも触れそうな距離だった。

 どうする? と言わんばかりに俺の反応を見る巡葉。


 正直、タイムリープしたせいで精神年齢だけ大学生になった今の俺にとって、年下同然の巡葉に手玉に取られるのはかなり不服である。

 これが高校時代の俺なら、慌てながら椅子を引いて巡葉に煽られていただろう。

 だが、そうはさせない。

 こちら人生二周目である。

 同じ手を食うと思うなよ小悪魔アイドル。


「別に勘違いされてもいいよ」

「えっ?」


 思っていない俺の反応に目を見開く巡葉。


「だって俺、巡葉のこと――」

「ちょ、ちょっと……」


 顔を赤くしながら俺の次の言葉を待つ彼女に内心ほくそ笑む。

 これが煽る側の視点か。

 実に愉快だ。

 大人げなさを考えれば既に大敗だが、そこは目を瞑る。

 俺はそのまま続けた。


「可愛いと思ってるから。こんな可愛い子と勘違いされるなら本望さ」


 どうだ。決まった。

 渾身の、歯の浮くようなセリフにおかしな高揚感が溢れる。

 だが、ドヤ顔で巡葉を見ると、そこには先ほどまでの浮ついた彼女の表情はなかった。

 流石、アイドルという名のマルチタレントを目指すだけの事はある。

 女優も顔負けの演技力で、巡葉の顔は瞬時に切り替わっていた。


 学校まで歩いた後の熱気が一気に失せるような凍える目つきに、鳥肌が立つ。


「私が可愛いのは当たり前でしょ」

「そこかよ。自身の塊だな」


 どんな罵詈雑言で返されるのかと身構えていたところ、何とも可愛い自分への賛辞が放たれた。

 ほっと一息ついて椅子を自分の席の元へ移動させようとする俺。

 しかし、巡葉に引き留められた。

 椅子にガッと足を回され、そのまま引っ張られる。

 体勢を崩したところ、巡葉は俺に止めを刺した。


「まぁでも、私の可愛さも雲井君には負けるよ」

「……は?」

「付き合ってもない隣の女子に、ドヤ顔であんなこと言えるんだもん。凄いよ。……あれ? 顔真っ赤だね。ほら、かーわいいっ」

「……っ」

「どう? 自分の事を俯瞰で見れた? 恥ずかしくなっちゃったかな? ふふ」


 やはり、俺はこいつには勝てない。

 タイムリープして早々、精神年齢四歳下の元カノにしてやられるのだった。


「慣れない事はやめなよ。……ちょっと期待しちゃったじゃん」


 小声で呟く巡葉の声を聴きながら、俺は項垂れる。

 その後しばらく馬鹿にされたのは言うまでもない。

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