12/14話

 結局、俺は松田を糾弾したあとも迷っていた。

 迷いに迷い、昼まで迷った。


 奉行所への道をうろうろして、行ったり来たり、やがて不審に思われた門番に声をかけられてしまった。


 いくら憎かろうと、一人親を殺すことなんて、俺にはできない。

 じゃあ俺はどうして長崎を出て、いまここに居るんだ。


 仇討ちに出て、仇を見つけられるなんてそうそう無いことだ。百に一つ、いや、万に一つといってもいい。これは好機なんだ。間違いなく。


 だからといって、小代さよを一人にできるのか? 松田がいなくなったあとの、あの娘の行く末を直視できるのか?


 なんてことはない。俺は、そのような余計なことを考えてしまう程度の腰抜けだったというわけだ。


「ああ畜生!」


 俺は人目もはばからず悪態をついた。


 ずっとこの調子で堂々巡りをしているからだ。かまわず、ここで終わらせるつもりで非情になることができれば、どんなに楽か。


「喧嘩だってよぉ!」


 頭を抱えながら奉行所へと向かっているところで、非番の馬喰ばくろうたちとすれ違った。


 彼らは川越宿の入り口へ向かって走りながら、「喧嘩だ」と騒いでいた。


「茶屋で喧嘩だってよ!」


 刺激に飢えている野次馬たちが、喧嘩と聞いて次々と家屋から出てきて、茶屋の方向へ走っていく。


 さきほどまで仇討ちの始末で迷っていた俺も、迷いを頭の片隅に置いて駆けだした。


 茶屋が近づくにつれ、怒声が大きくなる。そして甲高い悲鳴も聞こえてくる。


 それがあの小代さよの叫び声だと気づいた瞬間、俺は群がる野次馬をかき分け、人だかりの最前列へ躍り出ていた。


「やめてーっ! 痛い痛い!」


 小代さよはごろつきに髪をひっつかまれ、引きずられて砂だらけになっていた。そして松田は茶屋の中で、浪人ふうの男と取り巻きの男二人に囲まれて暴行を受けている。


 その様子を見覚えのある若い浪人者が笑ってながめている。白子宿で会った、まんじゅうにハエを詰めたならず者。


 つまり、ツバメ治五郎じごろうだった。

 

 またハエで欺そうとしたのかと思ったが、度を超している。

 俺は理由が知りたくて、すぐ右隣の親爺をつかまえて尋ねた。


「何があったんだ!」


 突然、若僧の浪人者に詰問されておどろいたのだろう。親爺の最初の二言三言は言葉になっていなかった。


「へ、へえ。なんでも、あのご浪人、茶屋のご主人と訳ありだそうで」


「その訳を聞いているんだ!」


「お小代さよちゃんの母親の、ヒモだったとか……」


 なんてことだ。


 あの治五郎とかいう浪人者は俺と同じ、仇討ちの身だ。

 だが女仇討めがたきちとは。


 金づるにしていた女を松田に逃がされ、まわりに示しが付かなくなったのだろう。縄張りにしている中山道を探し回り、ようやくこの川越街道に目をつけたのだ。


「噂には聞いちゃいましたが、いや、ひでえ男で」


 野次馬たちは小代さよや松田の受けている暴力を見守るばかり。誰か一人くらいは奉行所に駆け込んでいるかもしれないが、待てる時間はなさそうだった。


「やめて! おとっつぁんを殴らないで! 死んじゃうよぉっ!」


 もはや松田は動いていなかった。痛めつけて、見せしめのために連れて帰るつもりかもしれない。


 そのぐったりとした松田の様子を見ても、俺の胸はすっきりしなかった。

 そして義理の父を呼んで叫ぶ小代さよの声が、俺の堪えを解き放った。


 飛び出した俺は刀を鞘ごと引き抜き、小代さよの髪をひっつかんでいるごろつきを後ろから殴りつける。


 鍛えた鋼で出来ている二尺三寸七分(約72センチ)の刀身が、その鞘や拵えの重みと合わさって凶器と化す。


 殴られた男の後頭部は鈍い音を響かせて割れ、その場にくずおれた。


「おい畜生ども!」


 俺は大声をあげて治五郎たちの気をひきつつ、砂だらけになった小代さよを抱き起こした。


 小代さよは髪を何本も引きちぎられ、弱々しい悲鳴のような嗚咽をもらして泣いている。そばで倒れている男の手指には、髪が何本もからまっていた。


「またあんたか」


 治五郎がこちらを見てため息をつく。熊のような男と頬のこけた痩せ男も店から出てきて、取り巻きの五人も集まってくる。


 その後ろでは松田がうめきつつも体を起こそうとしていた。さすがに元武士だ。伊達に鍛えていないか。


「おまえら、真っ昼間から何をしてるんだ!」


「お礼参りだよ。俺は、そこの親爺と訳があってな」


「女を奪われて面子が潰れたっていう因縁か?」


「そうだよ。話が早いなお兄さん。ここで見つけたが百年目ってヤツよ。簀巻きにして、見せしめにしてやるんだ。燕の治五郎をコケにしたヤツはこうなる、ってな」


「じゃあ小代さよは関係ないだろう!」


「あるさ。そいつの母親は死んじまったんだ。だったら母親が稼ぐはずだった金を、そのガキに稼いでもらわねえとな」


 俺はあっけにとられた。本当に、この世にはこんな鬼畜がいるのか。

 そして覚悟を決めた。こんな野郎どもとは人の言葉では話せない。


 小代さよが自力で立てることを確認すると、俺は背後に近づいてきた町人たちに託した。


 立ち上がり、治五郎たちに対峙するそぶりを見せると、空気の匂いがかわった。

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