11/14話

「まさか……まさ、か」


 松田はみるみるうちに顔が青くなり、心の臓が止まりそうになっていく。


「そうだ。父の仇を討ちに、俺は来たぞ」


 松田が悲鳴をあげて逃げると思った。だが意外にも、すっと落ちつきを取り戻し、取り乱すことはなかった。


「そう。そうですな。可能性がないとは言い切れませんから、な」


「ああ。俺も一縷ののぞみをかけて、ここまで追ってきた」


「ここで、おやりになるのですか」


「俺を見くびるな。奉行所に申し出て、そのあとによそでやる」


「いかにも」


 俺はあらためて、梵字の彫られた墓を指さした。


「もう一度聞く。その墓はなんだ」


「供養塔ですよ。わたしが斬ったお人への」


「父上か」


「ええ」


「白々しいな。それで許されると思っているのか」


「いいえ。その証拠として、仏さまはこうしてあなたを遣わされたのではないですか」


「すっかり信心ものだな。いかにしてそうなった」


 松田はちらと、本堂のほうを見やった。まだ小代さよが戻ってくる様子はない。


「あの娘……小代さよと、母親のおかげです」


「中山道で出会ったと聞いたが。ヒモに付きまとわれていたらしいな」


「お耳が早いですね。そうです。わたしは中山道で飯盛り女と起居をともにしていて、その連れ子が小代さよだったのです」


「人への情でも湧いたか」


「お恥ずかしながら、まさにそのとおりでした。小代さよの母とはただ都合の良い間柄のはずだったのです。しかし朝から夜遅くまで、ヒモと小代さよのために働く母親はあの子の面倒を満足に見られません」


「皮肉だな」


「そうすると、穀潰しの浪人者だった私が面倒をみることになりました。内職を手伝わせたりするうちに、小代さよは私に懐いて……」


「あの娘の父親は、そのヒモか?」


「いいえ。当時から父無し子でございました。小代さよの母も、女手ひとつで育てることが心細かったのでしょう。その弱い心に、あのヒモは入り込んだのです」


「中山道を出たのはそれが理由というわけだな」


「ええ。母親は働きづめで体を壊しがちで、弱っておりました。やがてヒモは小代さよまで働かせようと言い出しました。私は見かねて二人を連れ出し、ここまで逃げました」


 松田は無垢の墓を一瞥して、つづける。


「そして刀を売って身分を捨て、見よう見まねでこしらえた菓子を売って、この地で店をはじめたのです」


「俺の父を殺し、家庭を破壊したお前が、形はどうあれ家庭を持つとはな」


「まったく、ごもっともです。だからこそわたしは、無頼や不義理をいっさいやめて生きようと決めたのです。いまにも折れてしまいそうな母を亡くしたら、小代さよは誰が育てるのです。すくなくとも、懐かれた私は見捨てられませんでした」


 松田の心変わりは相当だった。物腰柔らかい言葉遣いからは、それまでの荒々しい無頼の素性を捨てきったのが手に取るようにわかった。


 それが、なおのこと腹立たしかった。


「お前、それを聞かされた俺が、仇討ちをためらうとでも思ったのか」


「は?」


「貴様を斬ったら小代さよはどうなる! 天涯孤独になり、乞食でもさせるつもりか!」


 俺は、ここが霊園だということも忘れて怒鳴り散らした。


「お前は心変わりをしたつもりで家族をこしらえたが、それは自分に目隠しをして逃げているにすぎん! 供養だと!? 自己満足の間違いだろうが!」


 松田はぐうの音も出ないようだった。視線をあわせず、顔を伏して憔悴している。


 やがて霊園の入り口から、小代さよがかけてくるのが見えた。ここはもう切り上げるべきと察した俺は、きびすを返した。


「は、ハナダさま……」


「いまは出直す」


 俺は足早に霊園をあとにしようとした。途中で小代さよとすれ違うと、娘は立ち止まって頭を下げて挨拶をしてきた。


 俺はどうしたらいい。こんなに礼儀正しく、しっかりとした子供悲しませないといけないのか。


 霊園を抜けて五百羅漢像のところへとさしかかった。そこで、その羅漢のうちのひとつに目がとまった。


 その羅漢像は綺麗な正座姿で、意志強く何かを考えているかのような顔をしていた。どこか不器用な優しさがにじみ出るその像に、俺は父の面影を見た。


 この喜多院の五百羅漢は、深夜にその頭を撫ぜるとひとつだけ温かいものを見つけることができるという。そして、それは亡くなった親に面影が似ているらしい。


「朝だぞ? 親父……」


 思わず声をかけてしまったが、よく見れば父とはまったく似ていなかった。

 だが確かに俺は、そこに父が一瞬いたような気がしたのだ。

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