10/14話

 翌朝。俺は禊ぎをして宿を出た。


 どこの軒先でも掃除がはじまっていて、そこかしこで「おはようございます。○○屋さん」という挨拶が飛び交っている。


 俺はというと、仇討ちを届け出るため奉行所へ向かっていた。朝一番なら混雑も順番待ちもないだろうと思ったのだ。


 その奉行所への道すがら、俺は思いがけないものを見た。


「あれは……」


 それは松田と小代さよの親子だった。風呂敷に包んだなにかを携え、川越城のほうへと歩いている。


 こんな朝早くになんだろうと、俺は後をつけた。幸いにも気づかれていない。

 親子は喜多院きたいんへと入っていく。


 日頃の商売繁盛の祈願でもしにきたのだろうかと思ったが、そうではないようだった。二人は広々とした境内を横切り、羅漢像が立ちならぶ場所を通り抜けて山門を出ていく。


 そして喜多院に寄り添ってひらかれている霊園へと入っていった。


 墓石や石塔、墓標がならぶ霊園の中は静かだった。雀が朝飯を探して鳴いているほかは、音を立てるものはなにもない。


 後をつけていた俺は、松田親子が小さな墓を掃除しているのを見つけた。墓は二つあり、どちらも漬物石程度の大きさの墓石で、粗末だった。


「おや、お武家さま」


 松田に気づかれてしまった。俺はうかつにも、親子のしていることに気を取られていた。


「今朝はおはようございますね。昨日はおありがとうございました」


 小代さよもこちらへと頭をさげ、挨拶をしてくる。いっぽうの俺は「ああ」と、苦し紛れの挨拶を返すことしかできなかった。


 だが挨拶をしたことで近づきやすくなった。俺はさらに歩みよって、二人がしていることを見守ることにした。


 墓のひとつは名前も彫られていない無垢の墓石で、もうひとつは梵字が一文字だけ彫られている。どちらの墓も草一つ、コケ一つ生していない。とても、清められている。


「この無銘の墓は?」


「おっかさんのです」


 小代さよの言葉に陰りはなかった。母が亡くなったことを受け入れているのだろう。


「そのとなりのは?」


 そう尋ねたとたん、小代さよは言葉に詰まった。


「こっちは……えっと、知らなくて……」


「知らない?」


 俺が聞き返したとき、松田の顔がにわかに曇った。


小代さよ。ちょっと線香に火をつけてきてくれ。本堂で火をもらってきてな」


 松田にそう言いつけられた小代さよは、線香を片手に小走りでかけていく。


「お武家さま。ひらにご容赦ください」


「いや、俺が無粋だっただけだ」


手前てまえにも、人様へお話しできない恥ずかしいことがございます。そのしるしです」


「恥ずかしいこと?」


「ええ。娘にも話せない、お恥ずかしいことで」


「お前、さとは長崎だったか? ここへ来たのはそれがもとか?」


「さすがお武家さま。お鋭い。しかし、これ以上はご容赦ねがえませんか」


 松田は苦しそうに、梵字の彫られた墓を見つめている。


「なあ。松田」


 名を呼ぶと、松田はハッとした。


「な、なぜ私の名を……」


「俺はハナダというんだが」


 この男にとって、俺の姓は忘れたくても忘れられないだろう。


「俺の面影に、覚えはないか」

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