8/14話

 むかし父がふるまってくれたカステラは、コクとうま味があってふわふわとしていた。卵と砂糖がたくさん使われているから、病弱な母への強壮のためでもあった。


 母は食の細いひとだった。一切れ食べて、あとは俺たちに分け与えてくれた。


 弟と取り合いになり、妹はその騒ぎを見て泣いていた。母を元気づける狙いがはずれて、父が困っていたのを覚えている。


 なんで俺は武蔵国むさしのくにの田舎くんだりで、こんなまがい物を食っているんだ。


 これは悪い夢なのではないか? 本当の俺はまだ長崎の実家で、家族と一緒に川の字になって寝ているのではないか?


 そして寝小便でもして、この悪夢を見ているのではないだろうか。


 だが口の中のカステラのまがいものからは、相変わらず酒の甘みがしみ出してきている。


 これは現実だ。


「あの、お武家さま?」


 少女に話しかけられ、俺は自分の頬が濡れているのに気づいた。


「お気に、召しませんでしたか……?」


「いや」


 俺は袖口を引き寄せ、頬を拭った。


「懐かしい味だったから、つい」


「あら! お国はどちらですか?」


「肥前のほうだ」


 俺はわざと、生国をぼやかした。


「まあ! おとっつぁんは長崎なんですよ! 奇遇ですね!」


「そうか。カステラを出すとは、洒落た趣向だな」


「おとっつぁんも喜びます。お茶はおかわりできますので、お申しつけくださいね」


 少女は機嫌をよくしていた。自分が仕上げた菓子を褒められたからだろう。


 それにしても、朝一で出てきたというのに無駄足だった。カステラとは名ばかりで、安くて手に入りやすい材料でそれっぽく見せたまがいものだったとは。


 これはこれで、素朴でうまいとは思うが。


「あっ。おとっつぁん、お帰りなさい」


 茶屋の主人が帰ってきた。皿へ視線を落としている俺の目先に、草履が近づいてくる。


「いらっしゃいませ。お武家さま」


 挨拶をするため、俺は上目遣いで主人のほうを見やった。そして、息を呑んだ。


 穴があくほどに見た人相書きにうり二つの男が、そこにいた。左眉に刀傷があり、年の頃は五十手前。


 まさしく、父の仇・松田だった。


小代さよ! カステラはうまく焼けたか」


「うん。お武家さまにお出ししたよ」


「そうかそうか」


 少女の名は小代さよ、というらしい。そして松田は俺にまったく気づいていないようだった。


 そもそも俺をふくめ、父以外はこの松田とは面識がないのだ。気づかなくて当然だった。


 俺のほうへあらためて向きなおった松田は、ふかぶかと頭をさげてくる。


「本日はおありがとうございます。愚女ぐじょの焼いた菓子ですが、お気に召されましたか」


「あ、ああ。うまかった」


「お褒めいただき恐縮でございます。ぜひ、ごゆっくりしていってください。よろしければもう一切れ、いかがでしょう」


「いや、それは悪い。そろそろ宿場に入らないとならないしな」


「それは残念でございました。せめてお帰りのさいは、またお越しを」


「ああ。ここに置くぞ」


 銭袋から代金をつかんで席におき、感づかれない程度に急いで立ち上がる。刀を腰にさして塗笠を……。


 俺の塗笠は、どこだ。


「はい! どうぞ!」


 小代さよが俺の笠を差しだしてきた。ひったくろうとしたが、すんでのところで留まった。


「お武家さまの笠、ずいぶんと重いですね?」


「そうか? 汗でも吸ってるのだろう」


 俺は笠を受け取り、目深にかぶって茶屋を出る。


 何度か後ろを確認しながら歩いていたが、松田とその娘・小代さよはいつまでも俺を見送っていた。

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