7/14話

 白子宿を抜け、さらにその先の膝折宿ひざおりしゅくを過ぎた。


 あの無頼どもは俺より先に出ていったはずだが、追いついたり再会することはなかった。白子宿で泊まったか、あるいは横道に入っていったか。


 昼も過ぎ、太陽はさらにじっとりと焼きつけてきたころ、風がそよいだ。その風のなかに、あまい匂いが混じっていた。


 酒を煮詰めた匂い。砂糖の香りもまじっている。やがて、のぼりを掲げた小さな茶屋が右の路肩に見えてきた。


 道からも見える茶屋の裏手では、背の低い石造りの窯が白い煙をあげている。それを十五、六歳ほどの少女が、真剣な面持ちで火の番をしていた。


 近づくにつれ、店先ののぼりに「名物かすていら」と書かれているのが読めた。

 心の臓が引き絞られる。ここだ。この茶屋だ。


 つまり、ここより先は敵地である。相手は仇討ちにそなえているかもしれない。

 だが、まだ人違いかもしれないという懸念も捨てきれなかった。


 すると裏手にいた少女が、茶屋に近づく俺に気づいた。


「お武家さま、お休みになっていかれますか?」


「ああ」


「ちょうど良かった! いま、かすていらが焼けました。焼きたてはとびきりですよ!」


「そうか。じゃあそれをもらおう」


「はい! 外の椅子におかけになってお待ちください」


 敵地で出されたものを食うなんて危険すぎる。だが食わないのも怪しまれる。


 そも、店には少女以外の気配がなかった。菓子のできあがりを見張らせていたということは、大人は留守にしているのか。


「この店はお前さん一人か?」


「まさか。おとっつぁんと二人です。いまは川越宿へ買い出しにいってます」


「そうか」


 少女は、おとっつぁんと言った。俺はがぜん、落胆した。


 五年前に長崎を逐電した松田は、当時から独り身だった。この茶屋の主人が子持ちで、しかもその子が十五歳ほどなら、松田である可能性はかぎりなく低い。


 やはり人違いか。と、ため息が漏れた。


「あちち」


 台所で少女が支度をしている。手元が見えているから、一服盛られたとしても気づけるが、そのそぶりも見せなかった。


 切りだされているカステラの色はやけに白っぽい。卵の量が少ないのかもしれない。


「あーい。おまちどおさまです」


 出てきたのは番茶と、白っぽい色をしたカステラのようななにか、だった。


「これがカステラ、か?」


「はい。かすていら、です」


 皿の上に乗ったそれは、淡雪を切りだしたような姿をしている。硬そうだったが、何かに浸されてしっとりとしていた。


「これは何をかけている?」


「お酒を甘く煮詰めたものですよ」


 酒まんじゅうのような味がすると亀屋が言っていたのは、これのせいらしい。卵が少ないから、なめらかさとうま味を、酒を煮詰めた蜜でごまかしているのだろう。


 竹楊枝を手にとり下へ押し込んでみると、サクリと切れた。やはり硬い。酒で蜜煮にされていなければ、パサパサなのかもしれない。


 ひとかけら口に含んでみると、優しくも豊かな酒の香りと、ほろほろと崩れる舌触りが面白い菓子だった。だが味も舌触りもカステラとまったく違う。

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