3/14話

 父と同じく奉行所に勤めていた部下の同心・松田は素行が悪かった。


 見境なくカネを借りては博打ばくちと遊蕩にふけり、およそ奉行所の同心とは思えない荒れっぷりだったという。


 父もそれを見とがめてはいたものの、一向に改心のきざしが見えなかった。


 やがて父は、借金を取り立てにきた町人に、松田が暴力を働いたという報告を受けた。父は上司として松田を呼び出したが、すでに消息を絶ったあとだった。


 だがその数日後、父は帰宅途中の夜道で松田に襲われた。滅多斬りにされてもなお奉行所に駆け込んだ父は松田の犯行だと訴え、その場で事切れた。


 大黒柱を失った俺の家は、あっというまに崩壊した。


 母は父の亡骸を見た途端、虚脱状態になった。もともと体が弱かったのもあり、葬式の翌日に首をくくって逝った。


 続けて親を失った弟妹たちは、涙も涸れんばかりに泣き続けた。そして俺は悔しさと惨めさで頭がいっぱいになって、気が変になりそうだった。


 どうして正しく生きてきた父が殺されたのか? どうして母は俺たちを顧みず、あの世へ逃げたのか?


 どうして俺は、親が恋しくて泣く弟妹の気持ちがわからずに苛立っているのか。


 やがて俺たちは叔父の家に引き取られた。だが、食い扶持が増えたことを喜ぶ者はいない。


 そして惨めさと悔しさに我慢の限界がきて、俺は父の仇を討つための旅に出た。


 それから松田の足跡を追い続けた俺は、松田が川越街道のいずこかにいるという情報を去年になってつかんだ。そして今日にいたるというわけだ。


「ねえ、旦那」


 重箱の惣菜を頬張る俺へ、亀屋が声をかけてくる。


「こっちの水や、メシの味付けは合いますかい?」


「どうして」


「いや。旦那はなんでもよく召し上がりやすからね。無用な心配ですが」


 そういって亀屋は、隙間が多くなってきた重箱をチラと見る。


「地元のお食事や、ご母堂の手料理が恋しくなったりはしませんか」


「お袋はずっと前に死んだ」


 亀屋は口をつぐんだ。その様子を見て、俺は「気にしていない」と言ってやった。


 気を遣われると困る。だが亀屋にとって、郷里を遠く離れた上に親を失っている俺のことを心配したくなるのかもしれない。


「お袋の手料理はともかく、ふと食べたくなるものはあるな」


 気まずさで息苦しくなりそうな空気を払おうと、俺は亀屋の話しに乗ってやった。


「おや、なんでしょう?」


「カステラ、だな」


「かす……ていら?」


「小麦粉と砂糖、そして卵を使った南蛮の菓子だ。味も香りも甘くてふわふわして、特に焼きたてが美味い。上等なやつは底にザラメがついていてな。あれは美味い」


 すると、亀屋は逡巡しだした。そして確かめるように尋ねてきた。


「それって、ふわふわした、羊羹ようかんみたいなかたちのやつで?」


「おおむねそうだ。知ってるのか」


「いえ……」


 行灯あんどんのあかりがまたたく。そして亀屋は真剣な面持ちになり顔を寄せてきた。


「思い違いやもしれませんが、それと同じ名前の菓子を出す茶屋を知ってるんです」


「なに?」


川越街道かわごえかいどうの終点、川越宿かわごえしゅくです。その手前にある茶屋ですよ。泊まりがけで庭の造作に呼ばれて、その行きがけに入った店でした」


「それは、たしかか?」


「名前だけは、ええ」


 カステラは長崎の菓子だ。このあたりの茶屋が出すには珍しい。卵はまだしも、茶屋の茶請けに砂糖は分不相応だろう。


 だが亀屋が嘘をつくとも思えない。そして本当にカステラを出しているのであれば、店の人間が長崎出身の可能性は高い。


 川越街道かわごえかいどうで茶屋をひらき、そこの出し物が長崎の菓子だというのなら、そいつは父の仇かもしれない。


 俺はたまらず、飛び上がるようにして立ち上がった。


「旦那!?」


「馳走になった。戸締まりして帰れ」


 俺は刀と塗笠をひったくるようにして手にとり、玄関に腰かけて草鞋の紐をむすぶ。


「いや、どこへいくんです!」


「川越だ」


「いまからですか!」


「いまから出れば、朝にはつくだろう」


「無茶ですよ! 寝ずに夜道を歩いて、朝一で殺しあうんですか!」


 亀屋にひきとめられて、にわかに熱くなった頭が醒めた。


「そ、それにあっしが食べたその菓子も、なんというか砂糖の味じゃありませんでした」


「だが甘かったのだろう。確かにカステラという名前だったんだろう」


「そうですが、酒まんじゅうみたいな味でした」


 妙だ。カステラのような形で、味は酒まんじゅうとは。


「とにかく旦那。今から出るのはおやめなさいな。すこしでも寝て、明日の夜明けに出立すればいいでしょう。ね?」


 亀屋が正しい。


 俺はいま気持ちがはやっている。そして酒も入って飯も食った。ついでに昼間は歩きどおしだったのもあり、くたびれている。


 今から出るのは理に合わない。


 思い直した俺は、刀と塗笠を玄関の上がり口に置いた。その様子を見た亀屋は、安堵の息をついていた。


「旦那。あっしはそろそろおいとまします。今日はもう、本当に行かないでくださいよ」


「ああ」


「頼みますよ?」


 亀屋の念押しが気にさわる。


 それが俺の身を案じての言葉で、親身な優しさだと気づくのに、このときの俺には時間が必要だった。



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 第3話を読んでいただき、ありがとうございました。

 第4話もぜひよろしくお願いいたします。


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