【3】
「歩ーっ!」
と、歩の家の玄関の前で叫んだ。すると、少し遅れて、
「おはよー、翔」
と、歩が眠たそうな顔をして出てきた。女子みたいにサラサラな髪の後ろに、ピンと寝癖が付いている。直してやろうと思い、髪を掴んでクシャクシャと混ぜ捏ねていると、
「わあっ、何するのっ」
歩が逃げ出そうとした。
「寝癖付いてるから、直してやるっ」
「い、いいよっ。別に気にしないしっ」
「俺は気になるっ」
「も、もうやめてよっ、痛いよっ」
「くそ、直んないな。こうなったら、唾でも付けて――」
「唾!?うわあっ!やだああっ!」
「あ!待てっ!」
ダッシュで逃げ出した歩を、ダッシュで追いかけた。青々とした杉の木だらけの山と、少しだけ色褪せ始めた稲が揺れる田んぼに挟まれた道路を、バタバタと駆けて行く。歩の逃げ足は速かったが、何とか追いついて背後に迫った。瞬間、ランドセルに括り付けられていた体操着入れを見て、
「あっ!歩っ!ちょっとタンマ!」
と、呼び止めた。歩が足を止めて振り向いたのを確認してから、少しだけ通り過ぎていた自分の家にダッシュで戻ると、庭に面している掃き出し窓からドタドタと上がり込んで居間に向かう。
衣類を入れている籐編みの棚の中から、ガサガサと体操着入れを引っ張り出していると、洗濯をしていた母が脱衣所から顔を覗かせた。
「あら、忘れ物?」
「うん、体操服」
「まあ。まったく、もう来年から中学生になるのに、どうしてあんたはそんなにそそっかしいのかねえ。
「へーいっ」
母の小言に生返事をして体操着入れを片手に家を飛び出し、ダッシュで道路に戻ると、歩は先を行かずに立ち止まって待ってくれていた。
「どうしたの?」
「体操服忘れてた。今日、マラソン大会の練習あっただろ」
「うん。もしかして、僕のを見て思い出したの?」
「おう」
「あはは。じゃあ、僕のおかげで命拾いしたね」
「なんだと!こいつっ!」
「わああっ!もう、朝から走るのやだよおっ!」
また追いかけっこが始まり、他に誰の姿も見当たらない田舎道をバタバタと二人で駆けた。と、その時、背後からゴオオオオと轟音がして、
「あ、歩っ!ストップ!」
「え――」
——―プァアアアアアアンッ!
というけたたましいクラクションを鳴らしながら、ゴオオオオッ!と大きな貨物トラックが真横を通り過ぎていった。二人して、白線も引かれていないような狭苦しい道路の端で身を縮めていると、排気ガス混じりの風をもろに浴びて、思わず咳き込む。
「げほっ、げほっ……くそっ、なんだよ、あのトラックっ……」
「げほっ……ここのところ、毎日だね」
俺も歩も走る気を無くして、トボトボと登校班の集合場所まで歩いた。
「危ないよな。なんで、あんなのが急に通るようになったんだろ」
「なんか、普段通ってた山向こうの道が土砂崩れで通れなくなったらしいよ。母さんが言ってた」
「へー。だからって、わざわざうちの前の狭い道を通らなくたっていいのになあ」
「ホントだよね。休みの日もお構いなしで朝っぱらから通ってるし。この間なんか、せっかく早起きして『ポケモン☆サンデー』見てたのに、いいところで通って来てさ。凄くうるさかったんだよ」
「それより、今日のマラソンは俺が一番を獲るんだからな!」
「また?」
「また、って。この間は歩だっただろ」
「そうだっけ?この間の練習の時は翔じゃなかった?」
「それは前の前の時だろ。俺の勝ち、負け、勝ち、負け、勝ち、勝ち、負け、負け、勝ち、負け、で来てるから、今のところ互角なんだ」
「よくそんなに覚えてるね。記憶力いいなあ」
「今日が、いよいよ最後の練習日だろ。明日のマラソン大会でどっちが一等賞の金メダルを獲るのかは当然、練習で勝ちが多い方に決まってる。絶対に負けないからな、歩!」
「あはは。そんなの分かんないよ。でも、せっかくなら僕だって金メダルを獲りたいから、負けないよ、翔——―」
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