第三節 認め合うための諸運動

第21話 作戦会議は朝食の場で

 ある朝。

「やっぱり最初に何を建てるかだよなぁ。あの巨大な土地だろ? 何か策はあるのか?」

 口を開いたのはクレイだ。食器をガチャガチャ言わせながらの食事は騒がしい事この上ない。だがヒルダはその子供みたいな食べ方をいちいちただそうとしたりはしなかった。

「最初に建てるのは拠点だってことはもう決めてある」

 と肉を頬張ったルシウスがもぐもぐ言う。口の端から滴ったソースを拭うふきん使いなどを見ていると、一応曲がりなりにも隣国の王子だという実感が湧いてくる。

「まずは拠点だ。作業員を収容できる拠点がないと滞在に無駄な金が掛かるからな」

「なんで?」

 ヒルダはパンをちぎりながらたずねた。

「拠点を建てることにいまさら文句をつけるつもりはないけど、なんで、お金が掛かるの?」

「――お前、予算が国から出てるのは知ってるよな?」

「ううん、知らない」

「おい。じゃあ……予算の申請を国へ通すのが俺だってのも知らないのか」

「うん、初耳。私、つくれってしか言われてないから」

 ルシウスが椅子から転がり落ちそうな勢いで斜めに傾いたのに対して、リーグルが大げさに咳払いした。上品な匙使いを乱して、不機嫌そうな瞳がルシウスとヒルダを交互にうつす。

「そんなたいそうな役回りを魔族に任せるなんて、王は何を考えてるんだか」

「あのねリーグル」

 ヒルダはリーグルの顔をじっとのぞき込んだ。不機嫌は三日ほど前から続いていて、それがヒルダとルシウスに由来するものだということはとうにわかっている。ルシウスがリーグルの服に吐いた件だろう。そりゃ不機嫌にもなる。

「――仮にリーグルの考えてることが当たってたら、ルシウスはむやみやたらに予算を無駄遣いしたり、虚偽の申告をしてお金を抜いたり、立場を利用して魔族軍を手引きしたりできるよ。でもルシウスはそれをしない。それどころかしようとしてる。なぜだと思う?」

「……おひとよしだから」

 吐き捨てるように言ったリーグルは匙を置いて、美貌をいかめしくゆがめた。

 ひどくおかんむりだ。

「俺にも立場があるんでね。……まあ、お前が俺を疑って掛かりたい気持ちは分からんでもない」

 ルシウスが答えた。最後の一切れを咀嚼し終えた参謀役は髪の毛の先を弄って、ちらりとリーグルに視線を遣った。

「和平の使者ってのはバランスが難しい。お前たちだって感じたろう。お前たち一行が三年前、魔族領で感じたことがすべてだ」

 クレイとリーグルが黙った。懐に抱えた和平文書と、それを魔王に届けるための道のりはけっして一筋縄ではいかなかったし、道理も通っていなかった。和平を申し出に行くのに、魔族に手を掛ける矛盾に悩む夜もあった。……特にクレイは。

「俺は外見が人間に似ているからな。やりやすいだろう、そのほうが」

「まあな。おまえが魔族魔族してたら、周りがびっくりするかもしれん」

 クレイがうなずいた。 ルシウスは笑った。

「正直で宜しい。……そういうわけだ。敵地でむざむざ自分を追い込むようなマネはしない。不安なら、ヒルダに申請書を確認してもらう」

「……私?」

「お前以外に誰がいる? 

 ルシウスはやや呆れたふうに言った。

「ファーブニールの言葉を忘れたのか」



《契約士。お前の力は、意思あるもの、全ておまえの盤上へ連れていける。お前は生きた天秤、考えるはかりだ》

 ルシウスの指環を引き渡すとき、ファーブニールはそういった。

「私の盤上……それは、人間でも魔族でもってこと、ですか?」

《そうだ。ただ、引き際は心得よ。これは、私からの忠告だ》



「私、実はこの力の全貌を知らないんだけど」

「ただの凄腕・規格外テイマーだと思ってたからね、僕たち」

 リーグルが目を細めた。「契約士だなんて、女神の書くらいにしか出てこないものだと思ってた」

「逆に、出てくるんだ。契約士」

「そうだよ。きみは興味ないだろうけど」

「……うん、そうだけど」

 今度はリーグルが斜めに傾いた。


 ヒルダは斜めになった司教から視線をそらし、ルシウスを見た。

「じゃ、最初にやるのは王都への申請作業ってこと?」

「ああ、申請書はもうできている」

「どこに?」

「ここに」


 ルシウスが手を開く。そこに展開されていくのは、小さな光を集めてつくった書類のようなものだった。

「すごい。ジャスミンの【参照】に似てる」

「理論上は魔術師の【参照】と同じらしい。秘された情報を展開する技術だ。これを、王都の係へ【転送】するだけでいい。承認されればここに承認印が【転送】されてくる」

 ビー玉かガラス玉のような小さな水晶をつまんで、ルシウスは言った。ヒルダはテーブルから身を乗り出して、目をこらしてそれを見た。

「ねえ、小さすぎて見えない……」

「目が悪いのか?」

「魔族の目がいいんだよ。たぶんだけど」


 そうやってくっついているヒルダとルシウスを見て、リーグルはおおきなおおきなため息を漏らし、足でクレイを小突いた。

「ここから逃げよう。こいつらのイチャイチャで口の中が酸っぱい」

「誰もイチャイチャしてないと思うがなあ」

「ふん」

 リーグルは鼻を鳴らし、立ち上がった。

「対価はつけにしておいて」

「まて、俺も行くよ」


 ローレンの土地に際したラベンの町は、今日も各地から集められた大工たちであふれている。誰も彼も新生ローレンの地のために結集した名工ばかりだ。

「ようトムス。やってるかい」

 クレイが声を掛けると、はげ頭の大工は朝となく昼となく飲んでいる酒を振りかざして答えた。

「いつ工事が始まるんだい伯爵さん」

「そろそろだと思うんだがね」

「最初の工事はじきに始まるでしょう」とリーグルがにこやかに言った。つくづく、司教の仮面を被るのが上手い。

「それまではゆっくりと過ごしてください」

「ありがとうございます司教様。一杯どうですか」

「僕は遠慮します。飲めないので」


 そのときだ。

「ローレンの伯爵とやらはどこにいる?」 


 艶やかな女の声が二人の鼓膜を揺らした。

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