第19話 契約交渉(2)
ヒルダは「
「おまえ、仮にも勇者パーティの一員だろう、何か持ってないのか」
「え、ええと」
ルシウスに訊かれて、ヒルダはくるくる頭を回した。
「クレイの大剣は切れ味の悪い安物だし、ジャスミンも使い勝手が良いから使ってるだけの杖だし」
「安物なのか」
「そうだよ。ゲームで言う初期装備。……たのみのリーグルは実家太いけどほとんど帰ってないって言ってるし」
「悪いがあいつには頼らない」
ルシウスがうんざりしたように言った。「あいつに貸しを作るなんて死んでもごめんだ」
「私は……鞄の中のものほとんど食べ物だし」
「貧乏くさいパーティだな、心底」
「貧乏くさい言うな」
《ふふふ》
ファーブニールは笑いながら二人の会話を聞いている。
「意地が悪い」
ルシウスが苦虫をかみつぶしたような声音でつぶやく。
《先に棲む者として、後続を試すのもよかろうて。して、契約士。そしてルシウス。おまえたち、何を差し出すつもりだ。人間の財宝か。魔族の財宝か。それとも――》
ファーブニールの艶やかな声が言うのが先か――
「わかった、とっておきをくれてやる」
ルシウスが手袋を脱ぎ捨てるのが先か。
いや、同時だったかもしれない。
黒い魔族の爪、細い指、その右手の薬指に嵌まっているのは、銀の台座に紫色の宝石をはめ込んだ、精緻な意匠の指環だ。
ルシウスが言い放つ。
「ひとりにひとつ。魔王の子のために造られる指環。この世に一つしか無い
ヒルダは息を呑んだ。
「ルシウス、そんな大事なもの、いいの?」
「これで永劫の土地が手に入るなら安いだろう」
《魔王の子。ほうほう。ますます気に入ったぞ、ルシウス。それで手を打とう》
ファーブニールの嬉しそうな顔が見えるようだった。ヒルダはルシウスを見上げて、その表情から真意を読み取ろうとした。
しかしルシウスは、無表情に指環を指から抜き取り、ヒルダに渡した。
「これでローレンの土地が手に入る」
「後悔しないの」
「後悔ならもう死ぬほどしてる。今更だ」
ヒルダはなんと言って良いか分からなくなった。ルシウスに抱きついたままだった腕をほどき、指環を両手で押しいただく。
「……正直な」
ルシウスは手を広げて見せた。人間のそれと違う、黒い水かきのついた手。ヒルダに見せびらかすように手をかざすと、その反応を見るようにこちらをのぞき込む。しかしヒルダは、困惑した表情を浮かべるばかりだ。
「どうしたの、ルシウス」
「お前のような人間がいるとは思っていなかった」
「……いや、本当に、いきなりどうしたの」
ルシウスは目を細めた。そしてその魔族の手で、髪の毛の先を弄った。
「俺に魔族の血が入っていることがばれたら最後だと思っていた」
「なんで?」
「魔族は人間を差別するぞ、容赦なく」平坦な声で、なんてことないようにルシウスが言った。「同じように人間も魔族を差別するだろう。……形ばかりの和平が成った。それを形ばかりにするなと
そうか、ルシウスは両方の王と会っているのだった。ヒルダは黙って手のひらの指環を見下ろした。軽いけれど、とても重く感じられた。
「俺は正直、無理だろうと思っている。俺の目には、魔族も人間も同じように醜く見える。無理だろう、和平なんてきれい事だ、無駄だと思ってる。今でさえだ。今でさえ」
ヒルダは鳶色の目をいっぱいに見開いた。
「じゃあなおさらなんで、大事な指環を……」
この指環はきっと大事だ。ルシウスにとって大事なもののはずだ。ヒルダにはそれがわかったから、なおさら分からなかった。
「なんで指環をあげちゃうの。和平都市のこと、信じていないのに」
「お前を信じたいから」
言葉が、なくなった。
「お前を信じてる、ヒルダ」
ルシウスが笑う。完璧な微笑で。
「混ざり物の俺を笑わなかったお前を信じている」
「だ、だって……それは」
笑うも笑わないも。それが当然だと思っていたから。多様性の社会から転生してきたヒルダが、ルシウスを笑うはずもなかった。
「だから、……ローレンの土地は必ず和平都市になる」
ずん、と重たいものがヒルダの胸中にのしかかる。それは人肌の拳のようでいて、柔らかいのに硬くて、ひどく、ひどくこそばゆくて――。
なんだろう。
ルシウスの期待は、ヒルダを困惑させた。
「……信頼に値するかどうか、分からないよ」
「それでも俺はおまえに賭ける」
「……分からないよ、ルシウス」
「お前はお前なりの道を行け。ファーブニールでさえ共生できる町をつくるんだろう」
応援、されているのだ。
応援なのだ。
これは、ルシウスなりの――。
ヒルダは指環を見下ろして、なんだか泣きたくなってきて、でもここ、多分泣くところじゃないしなぁ、とこらえて、慌てて夜空を見上げた。
「……ファーブニール。お待たせしました」
《長かったな。何を話していたのやら》
「少し、打ち合わせを」
ヒルダはそっと目元を拭って、ファーブニールに意識を集中した。
「指環を渡した時点で、契約は成立します。こちらの要求は、ローレンの都市の開発と存続。そしてそちらの要求は、この指環と、不干渉」
《ああ、間違いない》
「……ワイバーンを呼びます。お待ちください」
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