第18話 契約交渉(1)

「『ローレンの地』と呼ばれるこの土地を、私達の新しい居場所にしたい、そう人間の王がおっしゃるのです」


 ヒルダは言葉を慎重に選んだ。言葉一つで命のみならず王都まで吹き飛ぶ可能性があるから、なおさらだった。

「私は、そのことについて貴女の許しを得るためにここまで参りました」

 ヒルダの顎を冷や汗が伝いおちる。

《なるほど。私の許しがほしいと》

「そのとおりです、ファーブニール」

 ヒルダは鳶色の瞳を上げた。遙か遠くでこちらを見ているであろう、ファーブニールの目をのぞき込むように。

「この土地に人間が住む権利を――」

《権利。権利と来た。……はは。この大地は誰の物でもない、私のものでも、まして女神のものでもないというのにか》

 失言だったろうか。


「……やつは、なんて言ってる」

 ルシウスが青い顔を上げる。ヒルダはルシウスの美しい横顔をのぞき込み、唇を震わせた。

「この土地は誰の物でもない、女神のものですらないって」

「そりゃそうだ」


 ルシウスは唇の端を曲げて笑う。

「ファーブニールにこう言ってやれ。権利だなんだ所有物だどうだであとでごちゃごちゃ抜かすような事が無いように、と。この後永劫に続くかも知れない都市だぞ」

「言えるわけないじゃんそんなこと」

「言えって」


「……あとから、土地の所有の権利を貴女と争いたくないのです、ファーブニール。この土地は、以後、長く栄える都市となる可能性が高いので」

「ずいぶん優しい言い方だ」

「うるさい」


《……そこに軍師でもいるのか? それとも参謀か》

 ヒルダは目をぱちくりとさせた。

「軍師? 参謀?」

《少女よ、身の丈に合わぬ言葉を使うでない。ぼろが出るぞ》

 あまりに挙動不審だったのか――ルシウスはヒルダの腕を掴み、そして声を張った。


「聞こえるか、ファーブニール。いにしえの竜の落とし子」

 ファーブニールの声は穏やかに彼を迎え入れた。

《お前か、参謀は》

 ルシウスはヒルダを介してファーブニールと繋がったようだ。

「ああ、おおむねそのようなものだと思って貰ってかまわない。俺は魔族と人間の間の子だ」

《ほう》

 ルシウスはなめらかにそこまで言ってのけると、いったん息を吸い込んだ。

「我々魔族と人類は手を取り合って和平都市を築くことで合意した。その都市が築かれるのがこの一帯、人間にローレンの地と呼ばれるこの荒野だ。騒がしくなるが、かまわないか」


《ふふ》

 ファーブニールは楽しそうに笑った。

《騒がしいのは嫌だ、と言ったらどうする?》


ヒルダは蚊帳の外ながら、つばをごくんと飲み込んだ。なんと答えるのだろう。


「土地の規模を縮小するまでだ」

《それでも嫌だと言ったら》

「さらに規模を小さくし、都市の場所をここから離そう」

《それでも、嫌だと言ったら》


 ルシウスは即答した。

「面倒だ、殺す」

 ヒルダはひっくり返りそうになった。


「ルシウス! なんてこというのバカ! アホ! 考えなし!」

《あはははははは!》

 慌てたヒルダが咎めるのと、ファーブニールが哄笑するのとは同時だった。



《良いぞ、そこな男、名を聞かせよ》

「ルシウス。ただのルシウスだ」

《ルシウス。覚えたぞ。……ふふ、愛いやつよ》


 愛いやつ⁉

 ヒルダは何が起こっているかさっぱり分からなかったが、とにかくルシウスはファーブニールのお気に召したらしい。


「愛いだのなんだの言われても」とルシウスがぼやく。

「俺は生来に興味が無い。他を当たれ」

「ルシウス! 余計なこと言わないでよ!」

 ヒルダがツインテールを逆立てて怒るのへ、ファーブニールがたしなめる。

《そこも含めて、愛いやつよ。……少女よ、私は嬉しい。このような引き合わせがあるとは思わなかった》

「ですが、ファーブニール」

《よいだろう。この土地に都市を築くことを許そう。ただし我が安穏を脅かさないことを約束してほしい》


 聞き間違いかと思った。ヒルダは飛び上がって、ルシウスの腕を抱きしめた。


「うそ! 本当に!?」

《その代わり、条件がある》


 ファーブニールは笑いながらその「条件」を告げた。


《担保として、この土地に相応の宝物を寄越せ。それで契約と成そう、契約士》

「宝物!?」


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