第17話 ファーブニール・サーチ

 ヒルダと契約を取り交わした二頭のワイバーンは、二人を乗せて空高く舞い上がった。ワイバーンの上で魔法の白地図を広げたヒルダは、声高に叫ぶ。

「ローレンの土地の西を探していこう。私が誘導する!」

《了解》

「そっちのワイバーンさんは、後ろの人が吐かないように気をつけて」

《――了解》

「そんな指示は出さなくても――」

「もしファーブニールと出会った時に吐きそうになってたら承知しないから」

 ルシウスは黙ってしまった。ヒルダは白地図を広げ、目を閉じる。

 人の足では届かなかった場所も、この高速の竜の翼であれば――きっと今晩じゅうには。

「……あの人たちをあっと言わせて、って言葉を撤回させてやるんだから」

「お前そんなこと考えてたのか」

「私はね、意外に粘着するんだよ」

 ヒルダは言った。

「こう見えて、十二歳の子供だから」


 平原には様々なモンスターが眠っていた。夜行性のものはワイバーンの羽ばたきに息を潜め、群れを作るモンスターたちは固まって身を縮める。だが、ヒルダが求めるのはたったの一頭。ファーブニール。あの城塞で見た、深紅のドラゴンだけだ。


「もう少し西を攻めていこう。方向転換」


 あまり接近しすぎても、こちらの身が危ない。とにかく体を張ってくれているこのワイバーンのつがいに被害が及ぶことは避けたい。

「ファーブニールがいるのは西のほう。巣の外観とかは聞いてないの? ルシウス」

 ルシウスは答えなかった。もう彼はだめかもしれない。ヒルダが嘆息したときだ。

「……ん? ストップ」

 ヒルダの意識の端に、力強い拍動が入り込んできたのはそのときだ。

「ちょっと戻ってみて」

 ワイバーンたちがそろそろと方向転換する。すると、拍動はより力強いものとなってヒルダの脳裏に迫ってきた。

 彼女だ。


「五キロ圏内に彼女がいる、ふたりとも、もっと上に上がれる?」

《可能な限り、やってみよう》


 ワイバーンが上昇していくと、ローレンの土地がどんどん小さくなって、地面が遠くなっていく。ヒルダが目をこらして確認すると、小さな崖の下に、彼女は小規模な巣を作っており、そこで緑色の目を光らせていた。


 ぞくりと悪寒が走る。


――ばれている。これ以上ワイバーンたちとともに接近するのは危険だ。


「ふたりとも、もう大丈夫。地面に下ろしてくれる?」


 ヒルダはぐったりしたルシウスを引き取り、二頭のワイバーンに告げた。

「契約はここまで。気をつけて巣に帰って」

《迎えはいいのか?》

「ありがとう。でもそのときは他のモンスターに頼むよ。あてはあるから大丈夫」

 ヒルダは手を伸ばしてワイバーンの鼻面を交互に撫でた。

「本当に、ありがとう」




 ルシウスの指を使って、勝手に巣の場所を書き込んだヒルダは、ルシウスを引きずるようにして歩きながら、片目を閉じた。

「ファーブニール。お話があります。私と契約をしてくれませんか」

 返事はない。聞こえているはずなのに、全く応答が無い。彼女の力強い拍動ばかりがヒルダの耳にこだまする。

「ファーブニール。人間が怖いのですか。それとも憎いのですか」


《信用ならない》

 彼女の低い声とほぼ同時に、ルシウスがうめいた。ヒルダは立ち止まり、彼女の言葉に耳を澄ませ、ルシウスを地面に座らせた。


《人間は信用に値しない。よってお前とも契約できない、よ》


契約士けいやくし?」

 ヒルダは思わず目を開いた。聞いたことのない単語なのに、妙にしっくりくる。

「契約士――」青い顔をしたルシウスが言った。「それだ。テイマーなんかより、契約士のほうが、……」

 そして力なくうなだれた。ヒルダはルシウスに訊ねた。「契約士ってなに?」


《テイマーなどという矮小な俗物が幅をきかせるようになってから久しい》

 

 風が吹き渡るような声音が、ヒルダの頭の中だけで広がっていく。


《テイマーは調教師のことだ。こちらの精神を隷従させ、屈服させる術を扱う。忌まわしい。だが契約士はその名のとおり対等に契約を交わして履行するもののことだ。古い能力だと思っていたが、生き残りがいたとはな》


 ヒルダは巨大な竜を前に困惑していた。「隷従」や「屈服」といった強い単語が頭の中をぐるぐるまわった。


《おまえはずっと自分のことをテイマー調教師ふぜいと同一視してきたか》


「私は、自分の能力の名をそれだと教えられて育ってきました、から」


《無理もあるまい。知る限り最後の契約士は私が殺してやったからな》

「殺した……」


 ヒルダの思考はいったん停まってしまった。いまヒルダの目の前、いや五キロ先に居るのは、この世で最も強いモンスター。食物連鎖の最上位に属するドラゴンだ。


《わかったら、この場を去るが良い。少女よ。私は人間が嫌いだが、どんな生き物であれ、年若いものを殺すのはもっと嫌いだ》


「その契約士は何を望んだんですか?」

 ヒルダはかすれた声を絞り出した。「私達は、そのようなことをしないと、約束します」

《……言いたくない》

「わかりました」


 ヒルダはゆっくりしゃがみ込むと、ぬかずくように地面に手をつき、――隣にへたり込んでいるルシウスの外套の裾を握りしめた。ここまできてはいそうですかと帰る訳にはいかない。ファーブニールは目の前に居る。

「……私達の望みについてお話しします。その間、最後まで聞いてくれることを約束してくれますか」


 少しの間があった。

《……許そう。聞くだけだ》


「ありがとうございます。では――」

 ヒルダは頬を伝う汗もかまわず、ゆっくりと話し始めた。

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