第16話 同族嫌悪と、即断即決。

 一方ルシウスは、棟梁・トムスのたっての願いで大工たちの酒に付き合っていた。

 大工たちはおおきな大衆酒場に集結し、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを繰り広げた。トムスは大の酒好きということで、ルシウスは勧められるがまま一杯、また一杯、もういっぱいとやっているうちに――トムスのほうが潰れてしまった。

「……やらかした」

 魔族は酒精アルコールに強い耐性があり、特に酒をありがたがらない。半魔族のルシウスもその例に漏れなかった。水のように酒を飲み干し続け、気づいたら正気のルシウスを囲んで泥酔した男たちが累々と床に転がっていた。


「あーあ。どうすんのこれ」


 ドアを開くと同時に嫌な声が聞こえたと思ったら、嫌みなほど澄んだ女神の気が酒場中をみたした。僧侶リーグル。類を見ない若さで司教となった男。名前ばかりではないらしい、僧侶は銀髪を揺らして貼り付けた笑みをよこした。


「大変だね、接待」

「そんなこともない。……俺にしかできないこともあるだろう。それに、あいつにこんなまねさせられない」

 ルシウスは自分の膝にすがりつくように横たわっているトムスのはげ頭を見下ろした。

「それに、彼らは俺たちと長い付き合いになる。断る方が無粋だ」

「なるほど。魔族にも相応の常識はあるようだ」

 とげのある言葉を穏やかに突き刺してくるリーグルの考えは、ルシウスには読めない。

「あーあ。アル中寸前のが何人か居るよ。この僕が来てあげて正解」

 リーグルはてきぱきと何人かを横たえて治療を施している。ルシウスはトムスの頭を抱えたまま、訊ねた。

「……ヒルダはへこんでいなかったか」

「ヒルダの心配する前に自分の心配しなよ」

 リーグルはルシウスを見もせずに言い放つ。

「この人たちに正体がばれたら、どうするつもりだよ。ただじゃ済まないと思うけど」

 ルシウスは黙った。リーグルは処置を終えると、「正直さあ」と言った。

「ヒルダが君と同じ泥舟で沈むのを見るくらいなら、僕は彼女に舟を下りるように言いたい」

 リーグルのまなざしは鋭く凍るようだった。この目を知っている。これは、敵意だ。

「和平の末のが、彼女に害を及ぼすなら、僕は君に手を掛けるかもしれない」

 ルシウスは顔色一つ変えなかった。和平を乞いに来た使者が敵意をむき出しにすることにも、それを発するのがもっとも温厚と言われる僧侶であることにも、特に驚きはしなかった。

「それは、そうだろうな。実を言うと俺もこの計画には懐疑的なんだ。和平都市なんか本当にできるのかね」

 ルシウスは膝の上の人間の頭を見下ろした。

「言わせて貰えば、……机上の空論だよ、そんなものは」

「あー、いやになるな」

 リーグルは口に手をあてて苦々しく笑った。

「同類見つけたと思ったらよりによって魔族なんだもん」

 ルシウスは何も言わなかった。


☆――☆――☆


 レラに約束の勇者一行の物語を聞かせ、夜十一時を回った後。

 ヒルダはようやくツインテールをほどいて、黒いリボンをきっちりと束ねて鏡台の前へ置くと、個室に備え付けてある浴室へ向かった。あらかじめ頼んでおいた熱い湯へ水を足し、温度を調節したあと、桶を使ってそれをからだへ流す。石けんをたっぷり泡立て、肌の上に載せる。

 ゆったり浸かれる湯船はこの宿にはない。そもそも給湯設備が整っていないから、熱湯を水でほどよく冷まして使うほかないのだが、それでも浴室すら無い宿の方が多いのだから、あるだけありがたい。

 ヒルダは湯気で曇る鏡を手でなぞり、そこに映り込む自分の鳶色の双眸そうぼうをのぞき込んだ。

 問題を整理しよう。

「王命はローレンの町をこと。そして、そのためにはファーブニールの許可が要る。そして、工事の人員はもうこの町に集結している――」

 深く考えずともやるべきことは一つだ。ファーブニールの許可を得る。他にない。そしてその鍵を握っているのは間違いなく、テイマーの自分だ。


『ドラゴンに対話を試みたやつは今まで生きて帰っていないと聞く』

 ルシウスの言葉が耳によみがえってくる。危険な賭けだ。命を賭けるという時点では、あの三年の旅とそう変わらない。


「やるか……」

 ヒルダは頬を強く挟み込むと、ぎゅっと上へ押し上げた。水に濡れた鏡の奥にいるのは、やはり十二歳の幼い少女だ。

 でも。

 いや、

「私だから、やれることを、やろう」

 

 ヒルダは浴室を出ると、丁寧に髪から水分を取り除き、濡れ髪をツインテールに結い直して、宿を出た。

 居酒屋はとっくに閉まっている。人の絶えた通りに歩み出ると、雲の合間にちょうど月が顔を出したところだ。

「ルシウス」

 そっと呼びかけると、すぐさま、

「なんだ」

 声が返ってきた。

 ヒルダは宿のほうを振り返った。その屋根の上に、金髪をなびかせた紫色の瞳の半魔族が足を組んで座っていた。


「……まさか、野宿ってそこで? ここ数日見ないと思ったらずっとそこにいたの?」

「どこだろうと外なら野宿だろう」

「あっきれた。雨が降ったらどうするのよ」

「木の下に」

「木が無かったら?」

「……なんとかするさ」


 つまり行き当たりばったりというわけだ。

「私の相棒、思ったより適当だな……」

「そういうお前は濡れ鼠だが」

「――風呂上がりなんだよ、言わせないで」

 そしてヒルダは目を閉じた。


?」

 意識が飛んでいく。村の外のワイバーンはヒルダの提示した条件にためらいをみせた。

「ドラゴンの居る土地まで行きたい、貴方の翼を借りたい、できる?」

《ドラゴンが居るとすればそれは危険だ。妻を置いていくことはできない。あなたはそれを強制するか》

「――ううん、できないのなら、私は歩いて行く。その代わり、手伝ってくれるなら、相応の対価を」

 小声で交渉を続けるヒルダの隣にルシウスが音もなく降り立った。


「ファーブニールのところにいくつもりか」

「ちょっと黙って」

「ついていく。俺の分も頼む」

 ヒルダは思わずルシウスの顔を見上げてしまった。

「……どんな風の吹き回し?」

「いろいろあったんだよ」


 ルシウスがうんざりしたように後頭部を掻いた。そのまま金髪の毛先を弄り始めるから、なにかが「いろいろあった」のは確かだろう。多分。

「……じゃあ、もういちど頼んでみる」

「テイムして強制的に使役しないのか」

「――しないよ、滅多にしない」

「なぜ」

「方針」

「テイマーじゃなかったのか」

「テイマーです」

「テイムしてないだろ」

「でも、結果的にモンスターと交流して力を貸してもらう能力だし、これ」

「結果的にテイムしてないだろ。テイマーじゃなくて……なんだ、何か他にあっただろう、ええと、なんて言い表したら適切なんだ、これは」

 ヒルダはかぶりをふった。「ああもう、交渉してるんだから話しかけないで!」


《よいでしょう。場所を教えてください》

 ワイバーンが笑ったような気がした。

《妻と参ります。……つがい、死ぬときは一緒で》


「ありがとう。対価は必ず」

 ヒルダは心から礼を言った。

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