第二節 文字通りの艱難辛苦たち
第10話 結婚する訳じゃないし
「いらっしゃいませ!」
酒場に少女の元気の良い声が響き渡る。ルシウスとヒルダの二人組を見るや、栗色の髪の少女はぽっと頬を染め、盆で顔を隠してから、身の丈に合わない長いエプロンをひらりと翻して奥へ向かって叫んだ。
「二名様ごあんなーい……!」
「お前と同じくらいじゃないか」とルシウスが言う。ヒルダはくるくると給仕をする少女をじっと見た。確かに年頃は近いかもしれない。綺麗な髪留めで髪の毛をポニーテールにくくっている。
「ルシウス、人気者だね」
「慣れてる」
ヒルダは否応なしに天使のような僧侶の顔を思い出していた。似たもの同士で気が合わなそうだ。
「注文、お伺いします!」
「ミルクと、野菜スープと、麦パン」
「モンスター肉あるか。何でもいい」
「ミルクと野菜スープと麦パン! かしこまりました! モンスター肉は取り扱いがございませんが……、ラグナ牛のステーキなど如何でしょうか? 当店の目玉料理となっておりまして!」
「じゃあそれに――」
ヒルダは手を伸ばした。
「待って。ストップ。あんた、持ち合わせあるの?」
「余裕はある」
「わかった、じゃあ止めない」
ヒルダは手のひらを返して、「それでお願いします」と言った。
「かしこまりました!」
少女は輝かんばかりの笑顔で伝票に注文を書き込んだ。
窓の外はもう暗い。ヒルダは頬杖をついて、大きなあくびをかみ殺した。
「疲れたなぁ」
「まだまだこれからだぞ」とルシウスが足を組む。金髪を首のあたりで弄るのは、彼の癖なんだろうか。ヒルダの頬杖がそうであるように。
「明日からどうしよう。というか、今日の宿、どうしようか」
「野宿で――」
「ベッドで寝たい」
ヒルダの即答に、ルシウスが嫌そうな顔をした。ヒルダは彼の紫色の瞳を直視して、もう一度言った。
「ベッドで、寝たい」
「お前とは細かいところで気が合いそうにないな」
ヒルダは小さくため息をついた。
「私は宿を取るけど、ルシウスは好きにすれば」
「そうするか」
ヒルダは食より住に重きを置くが、ルシウスは食に、特に肉に並々ならぬこだわりがあるようだ。このあたりの価値観は別にすりあわせなくとも良いだろう。別に結婚するわけでもあるまいし。
「宿でしたら」
さきほどのポニーテール少女が言った。
「こちらの二階が宿になっておりますが、いかがなさいます?」
「あ、じゃあお願いします。一人部屋で」
「かしこまりました!」
商売上手だ。ヒルダは舌を巻きながらルシウスに視線を戻した。ルシウスは窓の外を見ている。
厨房だろうか、奥の方から女性の声が聞こえてくる。
「レラ!」
「はーい! 少々お待ちください!」
レラと呼ばれた少女は厨房の方へ吸い込まれていった。程なくして、おおきなステーキを載せた盆が運ばれてくる。
「お待たせいたしました、ラグナ牛のステーキです! こちらは麦パンと旬の野菜のスープ、それからとれたてミルクです!」
「ありがとうございます」
ヒルダが礼を言うと、自分の分の皿を引き寄せ、手を合わせた。
「いただきます」
「ん?」
すでに牛のステーキにかぶりついていたルシウスが顔を上げた。
「なんだそれ」
「祈り」
短く答えたヒルダは、なお首をかしげるルシウスを放っておいて、とっておきの夕食に手をつけた。
「おふたりは、冒険者のかたでしたか?」
レラが訊ねてくる。ひらひらとしたエプロンをたくし上げて、カウンターの席に腰掛ける。ヒルダはパンをちぎったパンを頬張って、ごくんと飲み下してから、「まあ、そうですね。こいつはともかく私は……三年ほど」と濁した。
さすがに救国のパーティのテイマーだなんて、自分から喧伝して回るような事でもないだろう。
「最近は冒険者のお客様が珍しくなったものですから」
レラは足をぶらぶらさせた。
「三年ほど前まで、ここのあたりは戦場の戦線でした。兵士の皆さんの詰め所があったので、武勇伝には事欠かなかったんです。魔王討伐を目指してパーティを組む人たちもいて……よくここで景気づけしてから旅立っていったんですけど」
「はあ」
「何が言いたいかっていうと、そういう武勇伝が聞きたくて!」
少女は目を輝かせた。
「も、もしよければ、ですけど、是非お聞きしたいですっ」
「レラ! お客様を困らせないの!」
奥から恰幅のよい女性シェフが出てきて、レラを叱った。しかしレラはそんな女性を見上げて、駄々をこねるように腕を突っ張った。
「だって、聞きたいんだもん、ちょっとくらい良いでしょ? お母さん」
なるほど親子か。ヒルダは少し考えて、食べる手を止めた。
「ええと……」
言葉を探している間に、ルシウスが口を挟む。
「こいつは救国の勇者一行のテイマー、ヒルダだ。何でも知ってる」
「ちょっとルシウス!」
「うそ、あの、ヒルダさま!?」
ヒルダの声とレラの声が重なった。
「お母さん、転生テイマーのヒルダさまが来てくださったよ!」
レラは踊り出さんばかりに腕を振り回した。完璧な給仕の顔はどこへやら、年相応の子供に戻ってしまったみたいだった。
いや、ヒルダも同じくらいの年頃なのだが。
「い、今は王命を受けて忙しいので、ちょっと、また今度に……」
「泊るんだろう、ここに」
ルシウスの
ルシウス、リーグルとはまた違うタイプの、やなやつ。
こちらを伺うレラの瞳はキラキラと輝いている。ヒルダはため息をかみ殺すと、食事をする時間だけくれと告げて、ひどく重たい匙を上げた。
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