第6話 いっときの別れ、旅。
☆――☆――☆
早朝。
「いただきます」
ジャスミンは小さなあくびをしながら、そしてリーグルは食前、女神に祈りを捧げながら、ヒルダのその声を聞く。
「前から思ってたんだけど」とリーグルが言う。「それは女神への祈りじゃないよね。それは誰に向けたものなんだい」
「この食事を生んだ森羅万象に」
「……つまり、ありとあらゆるものに?」
ジャスミンが言い換える横で、祈りおえたリーグルは銀髪を背中で結い直して、自分の食事に手をつけた。ヒルダはさじを手に取ってうなずいた。
「ここにこの食事を運んでくれたひと、この食事ができるまでに手を掛けてくれた人、私の糧になってくれる全てに対しての感謝」
「それは複雑ね……」
リーグルはずず、とスープを啜り、ジャスミンはパンを頬張る。そしてヒルダは、麦のパンをスープに浸して食べる。
「自然の恵みを受けるのに、感謝しないとね」
「それは僕に言わせれば女神の恩寵のひとつだよ。僕が思うに――」
「長くなるから手短に説明して」
気を悪くしたふうのリーグルは、唇から離した匙をヒルダに向けた。
「きみ、そういうとこが可愛くないよ。大人の言うことにはよく耳を傾けるもんだ」
「リーグル、匙で人を
「時間は大丈夫なの?」
「ん。わざわざ見送りに来てくれてありがとう、二人とも」
ジャスミンは微笑んだ。
「クレイがあんな感じだけど、私達三年も旅した仲じゃない。最後になるかもしれない朝くらい、一緒に食べたかったの」
ジャスミンの言うとおり、クレイはまだ部屋でぐうぐう眠っている。ヒルダは笑った。
「平気。あいつとはまた顔を合わせると思うし」
「そうなの?」
ジャスミンがおっとりと首をかしげる隣で、
「――それを言うなら僕も、またきみと顔を合わせるかもね、ヒルダ」
リーグルが言った。ジャスミンとヒルダは顔を見合わせた。
「……なんで?」
「女神様への信仰心で以て女神様に聞いてごらんよ」
先ほどのことでご立腹らしい、リーグルは秀麗な顔を背けた。
「そうしたら、いずれわかるさ」
「元気でね、ジャスミン。魔法の先生、頑張ってね」
「ヒルダも。無茶しないで、身体を壊さないようにね、それから――」
額や髪や頬に触れながら別れを惜しむジャスミンとヒルダ。
「もう行きなよ、時間だよ」
「リーグル! 邪魔しないで」
にやりと笑って、子供にするようにヒルダの頭をかき回すリーグル。
「女神の恩寵がありますよう。――ほら、行った行った」
ヒルダは荷物を背負い直して、二人を順繰りに見上げた。
「うん、行ってきます」
「気をつけて」
「またね」
また、というリーグルの言葉にひっかかりながらも、手を振る。二人はヒルダの姿が見えなくなるまで立っていた。
空はようやく太陽が顔を出したばかりだ。
昨日の店の前にはすでにルシウスが準備を整えていた。しかしこっちはヒルダと違って簡単な旅装で、武器らしいものは腰のナイフ、同じくぶら下がっている何かの巾着、そして昨日は羽織っていなかった
「ずいぶんと大荷物な」
「例の旅の名残でね」
ヒルダはおおきなリュックをおろすと、目を閉じる。
「――手伝ってくれる?」
そして、目を開く。
「これからとても良い子たちが二頭そろってここにやってくる」
「どこの馬をスカウトしたんだか」
ルシウスが呆れたように言う。ヒルダは即座に言い返した。
「人のものじゃない。まさか、他人のものを奪うようなまねはしないよ。泥棒じゃないんだから」
それより、とヒルダは口を開いた。
「例えば馬だったら、目的地までどれくらいの時間がかかるんだろう?」
北部リンドと南部ヴルム。その間は、地図で見積もっても大変な距離がある。その間に位置するローレン要塞のあたりとなれば、やはり相応に時間が掛かるだろう。
「馬なら走り通しで三日はかかる」
即答したルシウスに、ヒルダは少し考えてから、じゃあ、と言い添えた。
「……あの子たちならちょっとは早く着くかな?」
次の瞬間、ルシウスの頭上に羽ばたきが響いた。
「えっ」
「あはは」
不思議とルシウスの驚愕顔は、ヒルダの笑いのツボに刺さる。
ワイバーンは小型の竜で、食用にされることもある。昨日まさに、ルシウスが食べていたのがそのワイバーンの肉だった。
「さっきまで影も形もなかったが⁉」
「呼んだから」
しれっと言うヒルダ。ルシウスは金髪をその強風になびかしながら、ふわりと降り立つ二頭の竜を見ていた。
「人間のテイマーってやつはみんなこうなのか? 町の外のワイバーンを呼び寄せるのが普通なのか?」
「ふたりとも来てくれてありがとう。これは先払いの――」
ヒルダは答えずに、リュックのなかから丸々とした豚の燻製を取り出した。
「人間用しか都合できなかったんだ、本当はモンスター肉がよかったよね」
しかし二頭はその豚の燻製を分け合って食べた。そして、あとかたもなく食べてしまうと、ヒルダに向かって尻尾を向け、翼を広げて背中を示した。
「うん、ありがとう」
リュックを背負ってその背へしがみつくヒルダへ、
「おい」
まだ硬直したままのルシウスが聞いた。
「本当に? 乗るのか?」
「ルシウスも乗ってよ。別にワイバーン乗りは魔族の専売特許じゃないでしょ」
「ぐ」
何かを喉に詰まらせたみたいな声を出して、ルシウスはおっかなびっくりとその背にまたがった。乗られたワイバーンは、居心地が悪そうにルシウスを背負い直した。
「うわっ」
「そこじゃないって言ってる」
ルシウスが慣れない様子でワイバーンの背にしがみついたのを見て、ヒルダは二頭に号令をかけた。
「ローレンの城塞までおねがい」
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