第2話 ヒルダ、やさぐれる。

「全く意味が分からない!」


 王都の適当な酒場を見繕ったヒルダは、扉を押し開けて一言鋭く叫ぶ。

「ミルクを一杯ください!」

 一瞬だけヒルダに好奇の視線が絡みつくが、すぐに霧散する。平和の立役者、その一人は未成年のであり、あらゆる酒場を訪ね歩いては決まってミルクを頼む――噂好きの王都の人間たちは、ヒルダのそうした情報を細かく知っていた。だから明らかに寸足らず、ちいさな少女が入ってきても彼らは邪魔をしたりしない。

「はい、ミルクね」

 カウンター席に座って、おもむろに頬杖をついたヒルダを、豊満な肉体の女将が丁重に持て成す横に、麦酒ビールの瓶をジョッキでがぶがぶと空けている勇者クレイの姿がある。

「クレイもここに来てたんだ」

「麦酒ったらここだからさあ。ひっく、ひっく、うぇー」

 王の御前ではしっかり勇者を演じていたこの三十路も、もうすっかりできあがっているとみた。大人ってつくづく汚いなあ、とヒルダはため息をつく。

 いや、汚いのは大人ではなく、大人と酒の組み合わせか。

「クレイは領地を貰って領主をやるんでしょ。今からそんなんでどうするの。伯爵の酒代だけで取り潰しにならないと良いけど」

「はっはーんヒルダ。この俺をなめているな。領地経営のことはだな、知らないなりに、勉強するつもりでいるっ」

 空のジョッキをだんと置いた、その横にミルクのコップが置かれる。

「おまち」

「ありがとうございます、女将さん」

 小さく笑んだヒルダを見て、女将は頬に手を添えてにこにこと笑った。

「ヒルダちゃんはとっても良い子だわあ。それに比べてどこかの常連客は……」

 艶やかな視線が刺すようにクレイを指し示す。

「店の子は口説くわ、トラブルは起こすわ、ほんとにいいとこなしよね。勇者だとかなんとか言っても、こんなのがどこぞの領主さまだなんて、しかも伯爵だなんて、世も末だわ」

 クレイは口の端に泡をくっつけたまま女将を見つめ返した。

「この世の終わりは回避したろうがよ! この俺様が! 勇者クレイの大立ち回り、お前にも見せてやりたかったぜ、アニタ!」

 力強く名前まで呼んだのに、女将はつれない。

「ああそうね、そうだろうけど、王都じゃパーティで一番強かったのはヒルダちゃんだってもちきりよ」

「え? そうなんですか?」ヒルダは驚いて顔を上げた。

「そうよ。テイマー・ヒルダなしにこの和平は成り立たなかったって吟遊詩人の連中が歌うもんだから。……おお、ヒルダ。異なる世より賜ったたぐまれなる才能よ、ってね」

「なんでヒルダばっかり! 俺も敬え! あがたてまつれ!」

「どう考えてもどの角度から見ても、人徳よ。じ・ん・と・く」

「むぐう」

 吐き捨てる女将と何か言いたげなクレイの間に挟まれ、ヒルダはミルクをちびちび飲みながら、先ほど下された王命について考え込んでいた。


 いわゆる定年後のセカンドライフ、有り体に言えば転職、あるいは……よく言えばキャリアアップってところだろうか。聞くだけでも胃もたれしそうな単語の組み合わせだ、とヒルダは嘆息する。定年が十二歳だなんて聞いたことないけれど、おおきな仕事が終わってしまったから定年という言葉でもしっくりきてしまう。

 家や土地なんか買ったことも売ったこともないのに、町を作るなんてことができるんだろうか。町を作るには家が要る。ある程度の産業が要る。人を集めるにはインフラの整備も必要だし、何より管理者が必要で、それから――やることは山積みだ。何をどうやってどこから手をつけて良いか分からない。


 異世界転生者といえど、万能ではない。


 そう、ヒルダは外見こそ十二歳だけれど、一度別の世界で人生を経験してきている。


「……言うんじゃなかった」

 異世界転生を自覚したあとの振る舞いがいけなかった。実は違う世界の違う文明から来たのだと、口走らなければ良かったのだ。

 しかし当時ヒルダは九才。驚きのあまり口から出た言葉だとしても、一回放たれれば取り返しがつかない。またたくまにテイマー・ヒルダは幼いながらに神秘性を帯びた冒険者として有名になってしまった。

 異世界転生してきたテイマーがいる、と聞いてやってきたクレイにスカウトされて、現在があるのだから、本当にいまさらだ。幼かった自分が、違和感を口にしたことを悔いたところでしょうがない。


 異世界転生者は、この世界において神秘的なものであるらしい。前の世界の、特に「日本の人びと」が寺社や仏閣に感じていたような、霊的なものに近い存在らしいことが、暮らしていて肌で感じられた。

 王はその「異世界転生者」としてのヒルダにローレンの町を再興せよと命じたのかもしれない。その知識が、そのかつての経験が、活きると信じて。

 感覚的には、神頼み的な何かだろうか?

 ヒルダはストローをくわえて、首を傾けた。長いツインテールが頬に触れた。

 それならばなんとなく察しがつくけれど、諦めはつかないなぁああ。

 などとヒルダが考えていると、誰かが背後の入り口を押し開けた。ぎい、と音が響くかどうかのその刹那に、彼はヒルダの名を口にした。


「ヒルダ。お前か、王命を受けた少女というのは」


 知らない低い声だった。

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