第2話 恋愛不適合者、呼び出しを受けまして

  「あ、神田。昨日は大丈夫か?」


 翌日。島﨑が話しかけてきた。声の調子から察するに、純粋に心配してくれているらしい。病気の事は話していないため、手放しに心配してくれるのはありがたい。

 「ああ、悪い。あの時はほんと急いでて…」

 「…まあ良いってことよ。それより数学だよ、数学!神田なら数学の問題なんて息するより簡単だろ?期末も近いし…頼む!教えてくれ!」


 極力人との関わりを避けてきた僕にとって、島﨑は唯一の友達だ。僕に症状が現れてもむやみに触れず、普通に接してくれている。高校から一緒になった彼だが、最初からその優しさは変わることがない。それにどれほど助けられてきたことか。


 「もちろん。…僕にできることなら」

快諾すると、島﨑は余程嬉しいのか楽しそうに教えてもらいたい所を列挙していく。


 人は一つ何か重大な秘密やコンプレックスを持っていると、少しだけ、年相応らしからぬ可笑しな思考に入ることがあるらしい。

 目の前の親友が弟のように感じられたり、不意に自分や他人の行動を、箱庭で見るような感覚になったりする。そして…人付き合いは男女の仲だけとは限らない。

 「こんな些細なことで喜ぶ親友を大事にできれば、それで良いのかもしれない」

そんな風に思える日常を眩しいと思ってしまうような、変に達観した気分になる。


 「ねえ、移動教室なんだけど」

 不意に、僕を現実に引き戻すような硬い声がした。

聞こえた声の方を向くと、委員長の宮瀬さんが仄かに苛立ちを含んだ眼差しをこちらに向けている。

 「消灯しなきゃいけないから、早く移動してくれる?」

 時計を見ると、チャイムが鳴る五分前。

委員長である彼女は、消灯などの学級運営の基本管理を担っている。これは明らかに時間を見て移動しない僕らが悪い。言葉にもさっきより若干棘が増している。


 「あ、ごめん。おい、島ざk…」


 呼びかけたところで、島﨑は僕の腕をがしっと掴んで引っ張った。

 「え、ちょっ!?」


 僕にも、宮瀬さんには殊更、顔を向けることなく、彼はただ僕を引きずって目的の教室に向かおうとする。急変した彼の態度に訳が分からない僕は、いわば「拒否柴」状態に近い。教科書類をどうにか取りまとめ、教室を出る。


 「あ、そうだ。神田君、これ」


 そう言って駆け寄ってきた宮瀬さんは、紙切れを一枚、僕の手の中に押し付けた。その直後、島﨑が余計に勢いよく引っ張ってよく見えなかったが…

 一瞬、彼女が微笑んだような気がした。



 午前の授業が終わって、昼休み。

 僕は今、売店で残り1個だったパンを食べることも忘れて、島﨑の隣で高校生活史上最大の謎に立ち向かっている。


 朝、委員長、宮瀬さんに渡された紙には、彼女の丁寧な字でこう書かれていた。

 『神田君。今日の放課後、生徒会室に来てください。待ってます。 宮瀬』


 僕が通う高校は、教室棟が3つ、図書館棟、管理棟がある。

 美術室なども教室棟にあり、職員室も各学年の階にあるため、管理棟には用務員の作業部屋と倉庫、生徒会室、多目的室、応接室、事務室、校長室、二階に実験室くらいしかない。だから、普段は誰も用がなければ立ち寄らない。しかも生徒会室。  

 でも宮瀬さんは生徒会副会長だから、場所に関して違和感はない。

…要件を書いていないあたり、第三者に読まれてはまずいんだろうか。


 まだ島﨑に相談はしていない。…してはいけないような気がする。

朝の彼女に対する島﨑の反応を見る限り、彼に彼女の相談を持ちかけないほうが良いと、本能的に察知した。

 「神田、さっきから何を物思いに耽ってるんだよ。…さては恋愛封印宣言を取り消さねばならない時が来たな?その紙に運命のお相手からの招待があるんだろ〜!」

 冗談半分で言うこいつは、この内容を見た自分を解ってないんだろうな…と思っている間に、ひょいと紙を取られた。

 「あ、おい、返せよ!」

 にひひ、と笑う島﨑だが、文面を見た途端その笑顔が凍りつく。


数秒の沈黙。

夕暮れでもないのに、かぁぁ、と間抜けな声でカラスが鳴いた。


 「神田…頑張ってこいよ」

諦めと自嘲の混じった笑みをうかべ、島﨑は僕の肩をぽんと叩いた。

これはまずい。見当違いもいいとこだ。

 「いや、まだ要件が何なのか分からないし…」

必死でフォローするが、島﨑は悟りを開いたような顔で「大丈夫。お前なら大丈夫だ、神田。頑張ってこい」とばかり繰り返す。


 その日の午後、目の前の友人は、まるで雑な木彫りの人形がおざなりに置かれているようだった。



 ―放課後。とりあえず僕は生徒会室のある管理棟に向かう。

 僕の他に管理棟へ向かう生徒はおろか、先生すらいない。


 西日が僅かに差し込んではいるものの、それでも教室棟より若干仄暗い空気が、廊下を満たしている。

 初夏にしては肌寒くすら感じる。空気感に影響されすぎているのかもしれない。戻りたい気持ちをぐっと飲み込んで、来る時間を間違えれば廃墟にも思えるような空間を進んでいく。


 生徒会室に着いた。

電気はついていない。誰もいないのだろうか。扉に手をかけ、ダメ元で引いてみる。

 鍵は…

 変に手が汗ばむ。鍵の閉め忘れなど、よくあることだ。それほど動じる必要もないのに。太鼓を荒打ちするかのように煩い心臓が、この部屋の静けさを嫌と言うほど引き立てている。


 扉を開けると、今まで閉められていた部屋から風がくる。ごくりと唾を飲み込み、僕は生徒会室に足を踏み入れた。


 「来てくれたんだ」

 「ひゃいぃ?!」

変な声が出た。

よく見ると、最初の声の主は、扇風機の風に当たる宮瀬さんだった。

 「ふっ…そんな素っ頓狂な声出さなくても…ふふっ…はははっ…ふはっ……はぁ…とにかく、来てくれてありがと」

静かにツボに入っていた彼女は、笑いを無理に飲み込むと、僕を真っ直ぐ見る。

 「何で僕を...?」

 1番の謎を問うと、彼女はきょとん、としてから少し恥じらう様子を見せた。

 今日の彼女は何だか違う。教室での無表情は何処へやら、目の前の彼女はころころと表情が変わる。これが素なのか?一瞬、狐につままれたのかとさえ思った(彼女への敬意も現実性も露ほどもないが)。


 「頼み事があって…神田君、確かパソ研でしょう?動画のデータをUSBに落としたいんだけど、私、機械弱くて…お願いしても、良いかな」

 今、あの純真無垢な瞳に映っているのは、恐らく腑抜けた顔の男子だろう。餌を乞う鯉みたいに口をはくはくさせ、僕はワンテンポ遅れて返事をした。

 「あ…あ、勿論。でなきゃ生徒会の仕事が進まないもんね。ははは…」

 

 はいはい、告白だなんて馬鹿なこと考えてた僕が悪いんですよーだ。

やっぱり、何かにつけて優秀な宮瀬さんに限ってそんな事があるわけない。たまたま同じクラスにいたパソコン研究会の男子を頼っただけだ。島﨑のせいで変な考えに頭を支配されかけていたんだろう。…まあこれで、島﨑に躊躇わずに報告できる。

 ほ、と僅かな自分への失望と安堵が入り混じった吐息が出た。気を取り直して彼女からUSBメモリを受け取り、言われたデータをパソコンから落とし始める。

 彼女も彼女で自分の仕事を始め、その間僕らはほぼ会話をしなかった。普段お互いに会話をしないせいか、この空白はさほど気まずいと思わなかった。


 「…終わったよ」

USBを渡す。

 「ありがとう」

彼女は小さくそう言ったきり、何も言わなかった。

しばらく向かい合ったまま沈黙が続く。

 「それじゃ、」

彼女に背を向けようとした時、くい、と制服の袖が引かれる。

 「…どうしたの?」

見ると、部屋を出るために消灯した薄暗さの中でも分かるほど、彼女は頬を紅潮させていた。何だかとても言いづらそうにしている。


 データに不備があったのか?それとも寝癖?僕はそんなに重大な失態を犯してしまったのかと、僕は慌てて今日一日を高速で省みる。

 「あの…神田君に伝えたい事があって…」

伝えたい事…そう言えば今日、日直だったっけか。まさか日誌を書き忘れてた?

そのまま本題が続くものだと思っていたが、彼女は俯いたまま黙り込んでしまった。

これは、催促してはいけないやつなのか…?話の内容に見当もつかない僕は、やはり彼女が話すまでを待つしかない。

 こういう時に時間を気にする程、僕はケチではない…が。

 呼吸音さえ聞こえそうな、数十秒の深い沈黙。


 流石に…もう良くないか?…いや。

まさか彼女が話すことを忘れているわけではないだろう。よほど躊躇うことなん だ。きっと…僕なんかの答えでも彼女の決断を大きく揺らがせてしまうような。

 一応、「大丈夫?」と声をかけようとしたその時、彼女は突然大きく息を吸った。

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