第4話
ごんごん、ごんごん、ごんごんと三枚の鉄が飛んで来ました。泥ちゃんは何が飛んできたのかよくわからなかったのですが、危険が迫っていると思って、思わず手をあげて面戸をかばったのです。何かが、自分の頭皮にはりついて飛んでいくのを感じ、その息に、頭皮がしびれて、髪の毛が立つような気がして、また、ボーッ、ボーッと音をたてて、目をさますと、トカゲのような怪人が、むちをもちながら、二メートルもむこうへ、立っているところでした。
地下室のドアがひらいて、ネズミのお面をかぶった異人が出てきました。腰の袋がぱんぱんにふくらんでいて、その中に何かを見つけたのです。異人はドアを開けたとたん、勢いがないので応援に行こうとしましたが、まさか自分が敵わないと思ったので、いつでも逃げられるように身構えました。
部屋の空気はどんよりと冷えて、今にも雨が降り出しそうなような、黒い雲が街を覆っているような気がしました。三人はそこに立ったまま、まるで火薬の詰まった火薬筒が倒れたかのように、にらみ合っていました。ちょっとでもうっかり火をつけると、たちまち爆発してしまいそうでした。
泥は息をひそめて、三人の奇人をおどろかせないようにしていましたが、またしても、三つの鉄片が、壁の中にはめこまれていました。冷や汗をかいて顔をそむけると、さっき助けてくれた俠客の姿がありました。
「この間、道端に寝てた酔っ払いじゃないですか」泥ちゃんは言いました。
しかし、その重苦しい空気も、長くは続きませんでした。が、黒衣の俠客が剣を振りかざしたのを見て、三つ編みのトカゲは鉄線でくるんだ鞭を引き、ポケットいっぱいのネズミは身をかがめて逃げだそうとしました。一瞬の怒声に、三人はいっせいに力をこめてそれぞれの行動を開始しました。
鼠はむっぺらになって門の方へ突進しましたが、黒衣の男にとめられました。ところが、そのとかげのむちは、稲妻のように、すぐそばまでやってきました。この鞭、俠客の首に向かって、一見すると頭を打って、実際にあの黒衣の男の気を散らせます。俠客はかくれもせず、剣をあげて鞭をさえぎりましたが、とかげの奸計にはまりました。が、その鞭が剣をつたわって俠客の腕に巻きついたので、トカゲは勢いにまかせて俠客の腕を引きちぎられそうになりました。
黒服の俠客は、目の前のトカゲ異人の企みに気づきましたが、宙にとびあがって、くるりと身をひるがえしました。やがて、トカゲは鞭をふりほどこうとしましたが、そのすきに、お面のネズミも逃げてしまいました。
泥ちゃんは、口を開けて、何が起こったのか、理解できませんでした。あまりの衝撃に、頭では今見た映像が読めませんでした。風のようなものが自分のそばを吹き抜けたかと思いましたが、気がつくと、思いがけなく腕をはずされた酔客の姿はなく、黒服の大酒飲みは指でぴょこんと躍り、とんぼ返りのように、達磨のように立ちなおっていました。
さっき見たものに、まだ何かがあると思っているうちに、黒い服の男が、首をひねって、ドアの外にむかって、何かを投げているのが見えました。すると、少し離れたところで悲鳴が聞こえました。
黒服の俠客が振り返りますと、泥は彼の唇の端がかすかに上がったのを、彼の顔を覆っている黒いベールを通して見ました。もう一度、黒服の俠客は剣をふりあげ、鞭を持ったトカゲは鞭をひきしめました。次の瞬間、二人は力を合わせました。ところが、こんどは、何か暗黙の瞭解があったらしく、二発もたたないうちに、窓をぶち破って、表通りへとび出してしまいました。
すると、トカゲはとうとう鞭の話を始めました。長い鞭は天にも届きそうなほどの力がありました。その鞭は、地面に打たれたように、三ふるえしましたが、舞い上がった土ぼこりがまだ残っているうちに、彼が腕をふるうと、その鞭は、霊蛇のように、地面からとびあがって、黒装束の人の首もとへ走っていきました。鞭は、トカゲ仮面の異人の手に、毒蛇のように牙を剝き、躍り上がって、その男ののどを襲おうとしました。黒ずくめの男は、それをさえぎるようにして、前腕をのばしました。その鞭の頭に流れ星がつっこんで、それがかえって見当をうしなって、黒衣の俠客の腕にからみつきました。
トカゲ仮面の異人は、その様子を見て、すぐに問題に気づいたのですが、もう手遅れでした。彼の鞭は俠客に摑まれ、ますます強くなっていた。鞭をおさめようとしましたが、俠客の力の方が強かった。
黒ずくめの男が力をこめたかと思うと、トカゲの仮面の異人は、からだをとりつけられたように、思わず前へころげ落ちて、その場にもぐりこみそうになりました。すぐにジャンプして、宙返りをして着地し、足場を固めました。
トカゲ仮面の怪人は、とっさに腰をおろしましたが、どうやっても、黒衣の男の手から鞭をはなすことはできません。すると、黒い服の男が、また手をあげるのが見えました。虎口から激痛が襲ってきて、黒衣の男は締めつけられた鞭に掌を当てました。鉄の糸で編まれた鞭は、まるで一本の弦のように、ぴくぴくとうごき、その力は鞭をつたって、異人の手に伝わりました。とかげの面の異人がまだ手をゆるめないのを見て、黒衣の男はまた、むちに手をあてました。その掌の下で、鉄の鞭がぶんぶんと音をたて、異人は電気にふれたかのように、かちりと小さな音をたてて、トカゲ仮面の異人の虎口から血が噴きだしました。
この異人も男です。貧弱な生れ方をしていながらも、強敵を前にして一歩も引かない彼を見ると、痛みをこらえてもう一方の手に手をかけ、両手に力を入れて、砕けた虎口をむりやり握り返しました。錐の痛みに舌を噛みちぎりそうになり、口もとからは血が流れました。
この姿勢を見て、黒衣の俠客はもう手を残しません。また一発、今度はすごい力を使いました。鞭は、まるで竜が海に出て、大蛇が山を出るように、はげしくふるえました。すると異人の鞭を持つ手は骨が砕けるほど震え、ついに鞭の柄が抜けて俠客の勢いに乗って飛び立ちました。黒ずくめの男は勢いに身をひるがえして、一振りしました。鞭の柄は彼のまわりをぐるりと廻り、飛んで帰って元の主人の頭をたたき砕いたのです。
異人の頭には穴が開いていて、真顔から入って、後頭部から出てきました。銅の鋳物の仮面は結局彼の生命を保てなくて、ただ彼を落として落ちてすべての死体が街頭に露出してただ面目を失いました。
トカゲの仮面の異人を退治した俠客は、残された血の跡をたどって、トカゲの仲間を追い求めました。ところが、追っかけて行くと、その血痕は、壁に囲まれた曲がり角の中に消えていました。どこに行ったんですか。わかりません。とにかくいなくなったんです。
泥ちゃんは、この二人の戦いの一部始終を、そばで見ていました。神が降りてきて、救世主が降りてきたような気がしました。さっきの大戦が、まるで大芝居のように、うわべもうわべも、幻のように思われました。この乞食はしばらく驚きましたが、気がつくと俠客はもう帰ろうとしていました。
それでようやく、はっとしました。
「俠客です!俠客です!待っています!」彼はあとを二歩三歩とついていきました。しかし全然後ろの部屋の中で、呉社長の死体はまだ誰も納棺しないことを忘れました。呉さんだけでなく、呉さんの家族も今回は全員殺されてしまいました。
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