第2話 幼馴染と不可解なシフト表 前編

 朝晩はだいぶ涼しくなったとはいえ、日中はまだまだ暑さ厳しい9月中旬の放課後。カウンター席の端っこに座る私は壁に寄りかかりながら、とっくに冷めてしまったウィンナーコーヒーのカップを抱えて、キッチンで黙々とコップを磨き続ける彼に問いかけていた。

「……ってわけなんだけど、やっぱりどう考えても分からないのよね。ねっ?不思議でしょ?超常現象としか思えないよこんなの。蒼空くんもそう思うでしょ?」

 彼は手を止めず「ええ」とか「そうですね」なんて、まるで気の無い返事ばかりを繰り返す。なんだか蒼空君の様子が今日はいつもと違う気がする。そっけないというか、聞く耳が無いというか。機嫌が悪いのかな?それとも何か怒らせるようなことをしただろうか。

「……ねぇ?ひょっとして何か怒ってる?」

「いいえ、ちっとも」

「じゃあ私の話し聞いてた?」

「ええ、聞いてましたよ。幼馴染の彼と楽しく登下校しているお話しでしょう?」

「ちょっと、ちょっと。紀斗の事はどうでもいいんだってば。それに登下校じゃないし。その紀斗のバイト先の話が重要なんだから……」

「ええ、そうですね。大切な幼馴染の彼の話しですから、そりゃあ重要ですよね。で、なんでしたっけ?バイト先のパソコンが壊れて大変なんでしたっけ?」

「もう!やっぱり聞いてないじゃない!」


 彼のお店、このコーヒーショップ店BLUE-SKYに私が入り浸るようになって、早くも一か月が過ぎた。厳密に言うとここは彼の伯父さんのお店で、体調を崩して療養中の伯父さんの代わりに、今は蒼空君が1人でお店を切り盛りしている。蒼空君は都内の大学に通う20歳の大学生(見た目は中高生だけど)。親代わりだった伯父さんとお店の危機を救うべく、大学を休学して故郷であるこの街に戻ってきたらしい。そんな彼のお店に私が初めてお客となったあの日。蒼空君が持ちかけた謎解きゲームに見事勝利(ヒントをもらったおかげだけど……)した私は、このお店に「入り浸れる権」をゲットし、以来殆ど毎日このカウンターに座って彼を眺めている。何せ蒼空君の顔面偏差値ときたら、そこらのアイドルなんて比較にならないほどで、はっきり言ってブルーベリーより目に良いのだ。お客さんがいる時は私は大人しく黙って彼をぼうっと見つめるだけ。私以外に誰もいなければ、さっきみたいに世間話をして過ごしている。特に何があるってわけじゃないけど、そんな素敵な毎日。ただ、今日に限っては、私が幼馴染のバイト先で起こった不可解な出来事を話した途端、彼の態度が露骨に不機嫌になった。何がカンに障ったのだろう?そんなに変な話をしたわけでもないと思うけど……。



 それは昨日のこと。学校からの帰り道、最寄り駅の改札を出たところで鞄の中のスマホが震えた。

「緊急指令!牛乳とケチャップ至急購入ヨロシク!母より」

 なんだママか。何が緊急指令よまったく。せっかく今日もBLUE-SKYに直行しようと思ってたのに。スマホを鞄に投げ入れ、回れ右して歩き出す。スーパーは自宅と反対方向にある商店街の中ほどにあるが、通りは夕方の買い物客と帰宅を急ぐ人の群れでごった返していた。

 うんざりしながらも人の間を縫ってスーパーを目指していると、大通りから路地に抜ける小道の電柱にもたれかかる、一人の男性と目があった。

「ん?よお」

「え?あら」

 見慣れないジャージ姿だったのですぐには判らなかったが、近所に住む幼馴染の同級生、葛城紀斗だ。

「何してるの?買い物?」

「いや、バイトだったんだけどな」

 そう言いながら、忌々しそうに路地にある真心商店と書かれた店を睨む。

「さっき来たら他の奴がシフトに入ってて帰らされたんだ。これで今月二回目だぜ?」

「そんなことってあるの?」

「ありえないよな。こっちは予定たててシフト希望出してるってのに」

「なんだかよくわかんないけど。シフトを見間違えたってこと?」

 紀斗は軽く舌打ちすると、ズボンからスマホを取り出し私の顔の前に突き出した。

「そんな訳ないだろ。見ろ、今日のこの時間は葛城って書いてるだろ?」

 画面に表示された「九月シフト」と書かれたシフト表にはたしかに葛城と書いてある。

「ほんとだ」

「おかしいだろ?先に入ってた奴に文句言ったら、今日は僕のはずだって言うんで二人で事務所のパソコン確認したらそいつの名前になってやがった。わけわかんねえよ」

 たしかに色んな意味でわけがわからない。もう少し詳しく説明してもらわないと。

「シフト表が変更されてたんじゃなくて?」

 紀斗は苛立ちを隠さず頭を掻いた。

「変更があったなら俺のところに連絡が来るはずだ。まあ今までこんな事は無かったからわかんねえけど」

「ふうん。そりゃそっか」

 それに、と続けて紀斗はやや早口になって言った。

「うちのバイト先はな、前月の中旬までに店長にシフト希望を提出するんだ。店長はそれを見ながら翌月のシフトをパソコンで組む。俺たちは出来あがったシフトをそれぞれパソコンの画面を見てメモするんだ。俺はめんどくさいから写メ撮って済ましてるけどな」

「シフト表ってもらえないんだ」

「ああ、経費削減とか言ってプリントアウトしてくれない。シフト表自体はパソコンの画面に張り付けてあるから、電源さえ入っていれば誰でも見れるんだけどな。ちなみにパソコンを操作できるのも店長だけだ。」 

 つまりシフト表には店長以外、誰も手を加えられないことになる。

「店長さんに聞いてみれば?これおかしいですよって」

「そうしたいんだが、店長は買付けやら仕入れやらでほとんど店に居ないんだ。俺も面接の時に顔合わせたきりだ。シフト希望は机に置いとくだけだしな。先月末に今月のシフトを組んでから店には顔を出してないはずだ」

 出来上がったシフト表を写メしたのに、その原本自体が変更されている。唯一パソコンを操作し、シフトを変更出来るはずの店長は不在。なんとも不思議な話だ。

「どうにも腑に落ちないから、もう一回パソコンを確認しようと待ってるんだ。俺の代わりにバイトに入ってる奴がもうすぐ配達に行くはずだからその隙にな。おっ出てきたぞ隠れろ」

 紀斗に言われ、二人で電柱の陰に隠れる。

 ガラガラッと商店の引き戸が開いて、中から長髪のひょろ長い男が出てきた。目元まで黒髪がかかって人相はよくわからないが、血色の悪い青白い肌はどう見ても不健康そうだ。

「何だか気味の悪い人ね」

「ああ。俺も今日初めて話したんだが、たしか先月から入った新人だ」

 男は小ぶりな段ボールを荷台に乗せると、引き戸を施錠しバイクで走り去っていった。

「行ったな。よし入るぞ」

「え?ちょっと、私も?てか鍵持ってるの?」

「いや、裏口から入る。お前も来て誰か来ないか見張っててくれ」

「なんで私までそんなことを」

「手伝ってくれたらいいものやるぞ」

「えっ?なになに?なにくれるの?」

「うちの商店のカレンダーをやろう」

「えっと、本気でいらないんだけど」

 紀斗のことだから期待はしていなかったけど、想像以上に不用品だった。

「しょうがねえな。ならこれでどうだ?」

 紀斗は財布の中から一枚の紙切れを取り出した。

「ベサメルテの半額クーポンだ。これなら文句ないだろ?」

「えっ?ベサメルテ?半額?」

 私は紀斗の手から紙切れをひったくった。

 ここら辺ではちょっと名の知れた高級スイーツ店のクーポン券。なんで紀斗がこんなものを持っているのだろう。だが、見張りぐらいでベサメルテのクーポン券ならお釣りがくる。  

 しかしクーポン券に印字された文字を見て私は抗議の声をあげた。

「ちょっと!これカップル限定って書いてあるけど?」

「ああ、だから俺にはゴミだ。価値があるかどうかは碧次第だな」

 ぐぬぬ。まんまとしてやられた感じだ。

「まあ、どうしても相手がいないって言うなら、一緒に行ってやってもいいぞ」

「失礼ね、相手ぐらいいるわよ(ホントはいないけど)。ってか何で紀斗と行かなくちゃいけないのよ」

 そんな私の声は無視して、紀斗が小声で話しかける。

「よし、アイツが帰って来る前にさっさと終わらせるぞ」

 しぶしぶ後をついて店の裏手に回る。裏口の扉に暗証番号を打ち込み中に入ると、電気が消された薄暗い事務所は少しひんやりとしていた。

 事務机が四つ向かい合わせに組まれ、机上には多種多様なモノが雑多に置かれている。卓上扇風機に液晶ディスプレイが数台。電気ケトルに何かの小瓶。ボールペンは輪ゴムで束にされたものが無数に転がり、電源コードや分厚い本に書類まである。机の横には山積みにされた段ボールから天狗のお面や木彫り細工が飛び出していた。いったいこの真心商店とやらは何をしているお店なのだろう。

「お前はバイクが戻ってこないか見張っててくれ。帰って来たら裏口から逃げる」

「ええ?なんか怖いなぁ」

 ドキドキしながら外に目をやる。紀斗は事務所の奥にあるデスクトップ型パソコンの電源を立ち上げた。

「駄目だ。やっぱりこの画面から切り替えられない」

 青く光るディスプレイには今月のシフト表が映し出されている。シフト表の今日の17時の枠は、「葛城」ではなく「大川」となっていた。

「碧、お前パソコン詳しいか?」

「ぜんっぜん。てか、詳しそうに見える?」

「いちおう聞いてみただけだ。人間一つぐらい取り柄があるかと思ったけどな」

「どういう意味よ!」

「俺もコッチ方面はさっぱりだからなぁ。何か痕跡が残ってないかと思ったが、これじゃどうしようもないな」

 紀斗はお手上げだと言うように両手を上げた。私も気になってマウスをちょこちょこ動かしてみる。

「カーソルも出ないね」

「そうなんだよ。マウスを操作しても何も動かないんだ」

 たしかに、マウスをクリックしてみても何の表示も出てこなかった。

「でも、やっぱり店長さん以外は操作出来ないんなら、どこかのタイミングで店に来て、変更かけたとしか考えられないんじゃない?どんな理由かは知らないけど」

「そうだよなぁ。ここにバイトに入って半年経つが、こんなこと今まで無かったんだけどな。いちおう、写メ撮っとくか。さすがにもう変更は無いだろうが、また帰らされたら堪ったもんじゃないからな」

 紀斗はスマホを取り出すとディスプレイに向けてシャッターを押した。

 パソコン本体のスイッチから電源を落とし、私たちが裏口から出ると、辺りはもう暗く日が落ちかけていた。

「付き合わせて悪かったな。クーポンで甘い物でも食ってくれ」

「はいはい。それじゃまたね」

 手を上げて自転車で走り去っていく紀斗を遠目に見送り、家に帰る途中、私は紀斗の不可解なシフト変更について考えていた。

 一旦完成されていたシフト表が後から変更されたのは間違いないと思う。紀斗は組みあがった段階で写メに残していたし、今日確認した事務所のパソコンには違う名前が入っていた。問題は「誰が、どうやって、どうしてそんなことをしたのか?」だよね。でもこの全てに答えられるのは店長しかいない。あのパソコンを操作できるのは店長だけだし、「誰が」と「どうやって」は店長としか思えない。でも紀斗は、店長は先月末から店に来ていないって言うし……。まあそれだって紀斗も店長のスケジュールを全て把握しているわけはないだろうから、紀斗の知らないところで店長が来てシフトを組みかえていった可能性もある。「どうして」に関しては普通に考えて、元々の勤務日に都合が悪くなった誰かが店長に頼んで振り替えてもらったのだと考えるのが自然。今日の場合はあの不健康そうな男の人。でも、もしそうだったとしたら紀斗が言うように連絡の一つぐらいはあるんじゃないかな?うーん、今わかっている情報と私の脳ミソではここまでが限界。わからない事をいくら考えても仕方ないし、今日はもう真っすぐ家に帰ろう。

「ただいまー」

「お帰りー。遅かったじゃない。スーパー混んでたの?お風呂沸いてるわよー」

 台所から響くママの声を聞いて、私はサッと青ざめた。マズい、非常にマズい。

 買い物なんて脳の隙間にこれっぽっちも残っていなかった。

 そーっと姉の部屋を覗く。まだ帰っていないようだ。玄関に靴も無い。

 私は鞄からスマホを取り出すと、素早く姉にメールを打った。

「緊急指令!牛乳とケチャップ至急購入ヨロシク!かわいい妹より」

 私は送信ボタンを押すとさっさとお風呂に飛び込んだ。



 そんな昨日のことを思い返しながら、チラッと蒼空君を見る。大きな段ボールを抱えた配達員さんに愛想のいい笑みを浮かべながら「ご苦労様です」と声をかける笑顔は、いつもの蒼空君だ。

 だけど、キッチンに戻って私の前に立つ蒼空君の顔はやっぱりいつもと違う。

「で?不可解なシフト変更で困っている幼馴染のお話はもうおしまいですか?」

「なんだ、ちゃんと聞いてくれてたんだ」

「聞いてますよ。その幼馴染と美味しいスイーツ店に行くんでしょう?」

「……ひょっとして、蒼空くんヤキモチ焼いてる?」

「ヤキモチ?どうして僕がヤキモチを焼くんです?別に碧さんが幼馴染とベタベタしようが、高級スイーツ店に仲良く行こうが、そんな事は僕の関与しないところの話ですよ」

 ……蒼空君にしては珍しく、やや声が上ずっている。

「あのねぇ蒼空君。私と紀斗は確かに幼馴染だけどそれ以上でもそれ以下でもないの。昨日の話だって別に紀斗が心配なわけじゃなくて、ただ単に不思議すぎて興味が沸いただけよ。ひょっとして蒼空君だったらこの謎も解けちゃうんじゃ無いかなって話してみただけ。それに私、紀斗とベサメルテなんて死んでも嫌だし」

 そう言って横目で蒼空君を見ると、なんとなくだけど私を見る目が、少しだけ優しくなった気がした。

「まあ、お話を聞いて僕にはだいたいの事は解りましたよ。『どうして』の部分は憶測になりますが」

「はっ?えっ?分かった?分かったって何が?まさかシフト変更の謎が解けたの?私の話だけで?」

「ええ。だいたいは、ね。」

 そう言って彼はピカピカに磨き上げたクリアグラスのタンブラーをライトにかざした。タンブラーに反射してライトに照らされたその横顔が、なお一層美しく輝く。

「何で?嘘?ホントに?ホントに分かっちゃったの?ねえ、だったらお願い教えて!いったいどうやったらあんなことが可能なの?」

 あまりの驚きにキッチンに飛び込む勢いで尋ねる私に、彼は穏やかに応える。

「ええ、もちろん。それにこの件はなるべく急いだ方が良さそうな気がしていますし、碧さんには確かめてもらいたいこともあります。だけどひとつ、その前に僕から提案があります」

「えっ?提案?」

 キョトンとする私を見て、ようやく彼にいつもの笑顔が戻った。

「僕と、ゲームをしませんか?」

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BLUE-SKY @zawa-ryu

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