運動は好きですか?
僕は運動が苦手な少年でした。どちらかと言えば勉強やゲームの方が得意な。
昔、親戚のおばさんに言われたことがあります。
「あら! もう小学四年生? 大きいわねぇ! でも四年生っていったら、〇〇小学校なら二階の教室よね。グラウンドから遠くなって、休み時間に遊びに行くの、大変になっちゃうわね」
僕はわけがわからず、こう答えました。
「図書室に近くなるから、嬉しい」
体力テストなどと呼ばれたものは、だいたい最低クラスでした。
マラソン大会はいつもビリか、ビリから二番目でした。ある年のマラソン大会で、クラスの運動神経の良い男の子が喘息のために休んだ時は「アイツが不戦敗だから僕はビリじゃない!」と喜んだほどに。
しかしまあ、大人になってくると様相が変わってくるわけです。
新型コロナウイルスが蔓延し、ステイホームが叫ばれだした頃から少しずつ筋トレを始めたのですが、これがなんと四〜五年近く経った今でも続いているのです。
もともと勉強でも何でも(こうやって文章を書くのでも)、一日で一気にノルマをこなすよりも少しを長期間に渡って進めていくのが得意なタチです。したがって筋トレも、割と軽いものをなるべくほぼ毎日取り入れながら過ごしているわけですが、軽めとはいえこの期間続けられてきたのは我ながら大したものです。少なくとも、私のように運動が苦手だった人間にとっては。
さて、ここで振り返るわけです。
なぜ運動嫌いだった私が、これだけの期間続けられているのでしょうか。
これには自分なりの答えが出ています。
「他人と比べられなくなったから」です。
思い返せば、学校の体育というのは同級生と一緒にやるものです。したがって、上手な人とそうでない人が自ずと現れます。それで、毎回自分が下手な側につくのが嫌だったわけですね。
当然、身体が疲れるからとかいったものもあるでしょうが、お勉強でもゲームでも、スポーツのような身体的疲労は少ないでしょうが、疲れるには疲れたはずです。そもそも、本気でやって疲れないものなんてないはずですから。
したがって、疲れるからというのは理由にならない。
何かしら人生の序盤の段階において、自分が運動が下手な側であると自覚し、劣等感ゆえに苦手意識を持ってしまった。それゆえ更にスポーツから逃げ、かえって己の弱点を強化してしまったわけです。
いま、筋トレが継続できているのは自分一人だからでしょう。
自分一人のためにやっているから誰かに劣等感を抱くことなく、ただ健康だとかダイエットだとかといった目標だけを見て継続できているのです。
そして数年間継続しているという事実が、むしろ自己肯定感を生み出し、かつて抱いていた劣等感を駆逐してくれてさえいるのです。
「大人になってからの勉強は楽しい」という人がいます。
勉強は、学生時代に最も分かりやすく優劣をつけられてしまうことの一つであると言えるでしょう。
嫌いだった人も多いと思います。
しかしどうでしょう。
比べる相手がいなくなり、自分のペースで自由に自分の興味を突き詰められる勉強。
一度やってみては。
音楽など芸術も同じことが言えると思います。
音痴のために合唱コンクールで足を引っ張ってしまった記憶のある人も、授業で描いた絵が下手で笑われた人も、比べる人がいなくなった今、コッソリ始めるチャンスです。
さて、こうやって物を書くという行為もそあかもしれません。
PV数やいいね数で差がつく世の中です。
しかし一度振り返ってみて、競争とは別枠で書くことを楽しんでみてはいかがでしょう。
何でも優劣をつけなければ気が済まなかった、あの若い頃とはお別れして、ただ楽しむことに専念してみるというのも、それはそれで楽しい大人の遊びです。
何気ない話をするつもりが、説教臭くなってしまったかもしれません。
このあたりで失礼いたします。
ぬるめの日記 ぬるめのたおる @Null-Towel
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