勇者と魔王の新大陸冒険譚

サケ/坂石遊作

第八遠征隊の上陸

第1話 プロローグ

 皆、死んじまえ。

 はそう思った。


「魔王――ッ!!」


 難攻不落の魔王城。

 玉座の間と名付けられたその部屋で、勇者は魔王と戦っていた。一心不乱に剣を振り続け、魔王の首を断ち切るためだけに肉体を酷使する。床が割れ、天井が裂け、戦いの余波は瞬時に城を瓦解させていった。


「勇者――ッ!!」


 魔王もまた、杖を振って応戦した。

 床から石の槍が飛び出て、壁からは砲弾が飛来する。どこからともなく兵器を取り出し行使する魔王の能力は強大だった。三人いた勇者の仲間たちは、魔王の攻撃によって全員が昏倒している。


 戦える者は、勇者一人。

 魔王を倒せるのは、勇者だけだった。


 だが、それはそれとして――――――――。


(帰りて~~~~~~~……)


 勇者は帰りたかった。

 正直、魔王のことなんてどうでもよかった。


 どうして自分はこんなことをしているのか……勇者はぼんやりと思い出す。

 ある日、いきなり脳内に女の声が響いたのだ。『貴方は勇者に選ばれました』と言われた。不気味だったので無視していたら、夜な夜な声が響くようになったため仕方なく応じることにした。


 その声が言うには、勇者は魔王を倒さねばならないらしい。

 なんじゃそりゃ。誰がそんなことやるか。

 勇者は激怒した。

 しかし、声は取り合ってくれなかった。

 指示に従わないと、ずっと頭の中で怒鳴り散らした。


『さあ、勇者よ! あと少しです! あと少しで魔王を倒せます!!』


 頭に声が響く。

 声の主は、どうやら女神と呼ばれる存在らしかった。善神とも呼ばれるらしいが、そんなことはどうでもいい。勇者にとってはただの死ぬほどウザい女だ。たとえ人類が彼女を崇め奉っていても、勇者にとっては万死に値する悪女だった。


『さっさと走りなさい! ここで距離を取られたら負けますよ!!』


(うるせぇ……)


 好き勝手言いやがって。

 こいつのせいで、俺の人生めちゃくちゃだ――!!


 勇者には夢があった。だがこのクソ女神のせいで、それは叶わぬものとなった。

 百歩譲って、いや千歩譲って、これが人類を救済するためには仕方のないことだとしたら許せたかもしれない。

 だが、どうやらそうではなさそうだった。


『ちょっと! やる気あんの!? アンタは久々に活きのいい駒なんだから、最後まで踏ん張りなさいよ!!』


 この女は勇者のことを駒としか見ていない。

 勇者が必死に戦っている間、この女はずっとケタケタ笑っているのだ。

 女神にとって、勇者はただの愉悦を得るための道具でしかなかった。


 腹が立って無視しても、頭に声が強く鳴り響く。

 声は激しい頭痛となって、勇者を苦しめ続けた。

 解放されたいなら従え。自由になりたければ魔王を倒せ。

 そんな女神の声に、従うしかないことが屈辱だった。


 頭が痛い。

 本当はもっとやりたいことがあったのに――。

 見たい景色がたくさんあったし、会いたい人もたくさんいたのに――。


『最終決戦なのよ! ボロ雑巾になるまで戦って――』


「――うるせぇ!!」


「――うるさい!!」


 怒りのあまり勇者が叫ぶ。

 その声が、重なった。


「……え?」


「……む?」


 魔王と目が合う。

 勇者と魔王は、全く同じ言葉を叫んだ。


 双方、思考停止して無防備になっていた。だが勇者は剣を振るのではなく、考える時間を作るためにその場を飛び退いた。魔王も同じように後退する。


 うるさい?

 誰に対しての言葉だ?


 俺は、クソ女神に対して言った。

 じゃあ、魔王あいつは……?


「――ちょい待ちじゃ」


 不意に魔王がそう言って、杖の先端で床を小突いた。

 四方の床が捲り上がって壁となり、あっという間に勇者と魔王を囲む部屋が完成した。天井もすぐに塞がれ、退路が断たれる。


 密室に閉じ込められた。

 焦る勇者だが――。


「案ずるな、これは攻撃ではない。特殊な部屋を創って外部との繋がりを断ったのじゃ。誰にも邪魔されずに会話するためにな」


 会話?

 それは……好都合だ。

 こちらも、少し訊きたいことがある。


「勇者よ。頭の中に妙な声が聞こえるのではないか?」


 単刀直入な魔王の問いに、勇者は目を見開いた。

 それは、勇者が訊きたいことと同じだった。


「……まさか、お前もか」


「うむ」


 魔王は深く頷く。


「ある日、突然、声が聞こえたのじゃ。従わなければ、頭が割れそうなくらい大きな声で叫ばれる。だから渋々従って、魔王をやっておる」


「……同じだ。俺も、女神とかいう奴のせいで勇者なんかやってる」


「そっちは女神か。妾は邪神じゃ」


 邪神。聞いたことのない存在だ。

 人類の常識では、この世を見届ける神は勇者の頭に巣食う女神ただ一柱。だがそれは人類の常識であって、魔王たちの常識ではない。


「お主、女神のことをどう思っておる?」


 その問いに、勇者は少し考えて答える。


「最初は、人類の味方かもしれねぇと思ったよ。でも違う。こいつは……俺を駒にして遊んでいるだけだ」


「妾の邪神も同じじゃ。あの男の目的は魔族の救済ではなく、魔族と人類の戦いを上から目線で楽むことじゃ」


 人類と魔王軍は、勇者が生まれるよりずっと前から絶えず争っていた。

 表向き、勇者は人類救済のために女神から選ばれる戦士ということになっている。となれば魔王も同様なのだろう。


 だが神々の実態は、盤上の駒遊びに興じるだけの醜悪そのもの。

 勇者と魔王は知っている。

 奴らは――この世界に興味なんてない。


「むかつくのぉ……」


「ああ、むかつくぜ……」


 揃って、苛立ちを露わにする。


「むかつくから――手を組まぬか?」


 魔王が妙な提案をした。


「手を組む?」


「うむ。お主、新大陸というものは知っておるか?」


「新大陸!!」


 反射的に叫ぶ勇者に、魔王はびくっと肩を跳ね上げて驚いた。


「な、なんじゃ急に。びっくりしたのじゃ」


「知ってるも何も、俺が今、一番行きたい場所だ! あれだろ!? 生態系も何もかもが未知だらけの、二年前に発見されたばかりの大陸!! 最近は古代文明が栄えていた可能性も指摘されている、未踏の大地!」


「う、うむ。どうしてお主がそこまで詳しいのかは気になるが、その通りじゃ」


 新大陸に詳しい理由。

 それは、勇者が諦めた夢に関係していた。


「……俺は、本当は勇者なんかじゃなくて、冒険をしたかったんだ」


 女神のせいで手放さざるを得なかった夢を、勇者は語る。


「未知の世界を見るのが好きでな。色んなところを旅して、色んな景色を見て、色んな人と出会いたかった」


「勇者の使命を果たしながらでは無理だったのか?」


「無理無理。だってコイツ、寄り道を許さねーもん」


 とんとん、と勇者は頭を指で突いた。

 どういう理屈か、この部屋は本当に女神の干渉を防ぐらしい。あのうるさい声が今は全く聞こえない。


「お主が新大陸に行きたい理由は分かった。……実に都合がいいのじゃ」


 どういうことだろう?

 首を傾げる勇者に、魔王は続ける。


「妾たちが憎んでいる、女神と邪神についてじゃがの。新大陸にらしいのじゃ」


「……いる?」


「うむ」


 勇者は女神の存在を、声以外で認識したことがなかった。

 しかし冷静に考えれば、喋れる以上はどこかで生きているはずだ。

 女神は生きている。他の生物と同じように、この世界に存在する。

 つまり――。


「いるってことは…………ぶん殴れるってことか?」


 無意識に口角を吊り上げた。

 そんな勇者の反応を見て、魔王も同じように――ニヤリと笑う。


「話が早いのぉ」


 魔王の提案。その全貌が見えてきた。


「勇者よ。妾と一緒に新大陸へ行き、奴らをぶん殴らんか?」


「……ははっ」


 勇者は思わず笑う。


「そんなの――乗るに決まってるだろ」


 最高に痛快な計画だ。

 ずっと考えていた。あのクソ女神に一矢報いるにはどうしたらいいかと。

 その答えが今、輪郭を帯びる。


「でも、どうするつもりだ? 今の俺たちじゃあこの部屋を出た瞬間、また神どもの操り人形になってしまうだろ?」


 見たところ、この部屋も万能というわけではないらしい。壁や床が先程からずっと軋んでいる。亀裂の入った天井からパラパラと石片が落ち、足元に転がった。あまり長くは保たなさそうだ。


「この部屋を出た後、相打ちする。そして、一度死んで蘇るのじゃ」


「……どういうことだ?」


「神々の干渉は肉体に紐付いておる。なら、一度死んで肉体を捨て、来世で別人になれば奴らから逃れられる」


 魔王は杖を軽く振った。

 その先端にある水晶が淡い光を灯す。


「妾の持つ《輪廻転生》という力があれば可能じゃ。……信じてくれるか?」


「……信じるさ」


 皆、死んじまえ。そんなことばかり思う人生だった。

 自分を操っている女神も、自分が戦っている間に図々しく人生楽しんでる人類も、自分のことを救世主だと勘違いして勝手について来た旅の仲間たちも。

 そして何より、自分自身に――死んじまえとずっと思っていた。


 だから、魔王の提案は一筋の光だった。

 抵抗すらできなかった人生で、最後に抵抗できると知れた。こんなに嬉しいことはない。リスクを無視してでも信じる価値がある。


 ここから先は――取り返す人生だ。


 夢だった冒険のために。

 女神に一矢報いるために。

 勇者は、次の命を燃やすと誓う。


「一緒に始めようぜ。神々をぶん殴る冒険をな」


 勇者と魔王は、互いに笑みを浮かべた。

 部屋が崩れると同時に、二人は武器を構える。


「魔王、くらえ――ッ!!」


「勇者! 死ぬがいい――ッ!!」


 双方、距離を縮め、渾身の一撃を繰り出した。

 勇者の突きが魔王の胸を貫く。同時に、魔王が床から放った槍は勇者の心臓を貫いた。

 互いに口から血を吐きながら、目を合わせる。


「いくぞ――」


 吐き出した血で紅く染まった魔王の唇が、微かに震えた。

 魔王が力を発動する。

 朦朧とする意識の中で、勇者は最後に声を聞いた。


『はーー!? 相打ちとか、つまらないんですけどーーー!!』


『これで372勝368敗24分けかぁ。ちっ、今回は勝てる駒を選んだと思ったんだけどな』


『ちょっと魔族の補充しすぎじゃない? レギュレーション違反よ!』


『その分、知能は低めにしただろ? そっちこそチート級の祝福ばっか与えやがって』


『勇者には与えてないわよ!!』


『そりゃお前の趣味じゃねーか』


 死の間際で勇者は歯軋りした。

 やっぱり、こいつら……俺たちのことを駒扱いして遊んでやがったな。


 今に見ていろ……。


 絶対に、探して出して……。


 絶対に……ぶん殴ってやる。


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