第5話

 姿見の前に移動し、椅子に座る。月城さんが櫛で髪を梳きながら、優しい手つきで鋏を入れる。

 ちょき、ちょきと小気味のいい音を立てながら、俺の伸びきった髪が切られていく。引きこもってから一切手入れをしていなかった髪は、伸び放題に伸びており、汚らしい印象を与えるだろう。それでも月城さんは気持ち悪がらずに接してくれる。本当に天使のような人だった。


「私は美容師じゃないから、お望みの髪型にはできないけど、外に出られるようになったらちゃんと美容師さんに切ってもらおうね」

「俺は月城さんが切ってくれるならそれでいいです」

「ダメだよ。私、下手だから」


 下手と言いながらも、月城さんは手際よく髪を切っていく。俺の頭を撫でる優しい手つきが俺は好きだった。

 一時間ほどで散髪を終えると、月城さんは鏡を見て、満足げに頷く。


「うん、さっぱりしたわ。格好良くなった」

「格好良くなんて」

「ううん、格好いいよ」


 俺だって自分が格好良くないことはわかっている。だが、月城さんは全肯定してくれる。俺の下がりきった自己肯定感を爆上げしてくれる存在だった。

 シャワーで髪を流し、久しぶりに外行きの服に着替えた。


「それじゃ病院に行こうか」


 月城さんに促され、玄関の前まで行く。玄関のドアが、果てしなく高い壁に感じる。それを察した月城さんがドアを開けてくれる。月城さんがいてくれる。そう思うと外に出ることができた。

 久しぶりの外の空気はとても新鮮だった。春ということもあり、桜が咲いている。

 いつか月城さんと花見に行きたいなと思いながら、俺は病院に向かった。


 病院はそれほど離れていないところにあった。

 待合室では暗い顔をした患者たちが椅子に座って待っている。ぶつぶつと何事か呟いていたり、動き回っている人がいた。

 その人たちの中にいるのは正直怖かったが、月城さんが背中を擦ってくれるので、なんとか堪えることができた。

 三十分ほど待合室で待っていると、俺の名前が呼ばれた。

 病室の中に入ると、中年の男性の医師が俺たちを出迎えた。


「どうされました」


 俺は来た理由を話した。医師は黙って俺の話を聞いていたが、やがてひとつ頷いて質問を始めた。


「食欲はありますか」

「自分では何も作ろうという気になりません。食べないときは一日一食とかで生活してました」


 そんなような質問が繰り返される。俺もできるだけ自分が辛いと思っている部分は話したつもりだ。夜寝つきが悪いとか、昼まで寝てしまうこと。風呂にも入らず衛生面がやばいこと。気分の落ち込みが激しく興味のあることでもやる気が出ないこと。たまにすごく活動的になって無限にアイデアが湧いてきて眠れないこと。概ねそんな感じだ。

 医師はそれらすべてを聞き終えると、ひとつ頷き、結論を出した。


「双極性障害の疑いがありますね」

「双極性障害、ですか」

「はい。簡単に言うと、気分が高くなる躁状態と気分が沈む鬱状態が交互にやってくる病気のことです」


 聞いたことはある。昔は躁鬱病と言われていたはずだ。俺がその双極性障害なのか。


「まだ様子を見てみないと断定はできませんが、その疑いは十分にあるでしょう」


 確かに俺は気分が沈むと何もする気が起きなくなるし、逆に無敵状態の時もある。思い当たる節はあるのだ。


「とりあえず薬を処方するので、それで様子を見ましょう」


 そう言って医師はカルテを書きこむと、診察を終えた。

 月城さんが患者への接し方についていろいろ質問していたのが印象的だった。


「よく頑張ったわね」


 薬を貰って家へ帰ると、月城さんが褒めてくれた。俺はそれだけで幸せな気分になった。

 そうか。この憂鬱な気分も、病気のせいなんだ。そう思うと少し気が楽になった。


「がんばったご褒美に今日は新人くんの好きなもの作るわね。何が食べたい」

「……ハンバーグ」


 少し思案してそう答える。月城さんは頷くと買い物に出掛けて行った。



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