繁華街 (十一年前)

▼ネオンの灯りが揺れている。

 ギターをかき鳴らすストリートミュージシャン、黒っぽい服を着た怪しげな客引きたち、ドラッグストアの脇で奇声を発している若者、それぞれが夜の街の一部となり、独自のリズムでエネルギーを発散している。

 路地裏にあるラーメン屋では、夜遊びのシメにと立ち寄った人々が、コッテリとした夜食に舌鼓をうっている。

 

 けばけばしい店の前を、黒塗りの高級車がゆっくりと通り過ぎていく。

 車の後部座席には、ずいぶんとお腹に貫録のついた姿の竜一が乗っていた。

 ムードたっぷりのジャズが流れるなか、竜一は隣に座る女性の腰に手を回しながら、車内でふんぞり返っている。


 道路の前方に、プロレスラーを思わせる大柄な男が歩いてきた。彼の身長は百九十㎝をゆうに超えているようで、明らかに他の通行人とは一線を画している。

 竜一が乗る車のヘッドライトが当たっているのにも関わらず、大男はまったく急ぐ様子がない。誰よりも自分が優先だと言わんばかりの態度だ。








▽〈竜一  -190㎉〉








▼「おい、鳴らさんかい」

 竜一は小さな声で、運転席にいる若い衆に命じた。

 ブーーーーーーーー!!

 まるで試合開始のゴングかのように、夜の街にクラクションが鳴り響く。

「なんだよ、うるせぇな!」

 と大男はふり返り、車に近づいてきた。

 シャツ越しに筋肉の輪郭がムキムキと浮き上がっており、ただの巨体ではないことが見てとれる。本当にプロレスラーかもしれない。

 バンバンッ

 大男は車のボンネットを強く叩き、クラクションを鳴らされたことを抗議してきた。

「なにしてんだ、ゴラ!」と若い衆が叫びながら車を降り、大男に詰めよった。「このやろう! 誰の車かわかってんのか?」

 次の瞬間、若い衆の体が宙を舞った。

「う……」

 アスファルトに投げ飛ばされた若い衆は、背中をしたたかに打って身動きがとれなくなった。

「おい……俺たち山月会だぞ……」

 と、若い衆はかろうじて声をしぼり出した。

「山月会? だから何だ? そんなもんで腰が引けるかよ」

 大男はそう言うと、社内にいる竜一の方をにらみつけた。








▽〈竜一  -720㎉〉








▼「てめぇ……吐いたツバ飲み込むんじゃねーぞ……」

 「ふん」

 若い衆の負け惜しみを一笑に付すと、大男はそのまま飲み屋街へと消えて行った。

 人々が周囲に集まりはじめた。

 人間が倒れているにもかかわらず、野次馬たちは遠巻きに見ているだけで、誰も黒塗りの車に近づこうとはしない。

 若い衆はなんとか自力で体を起こし、息も絶え絶えになりながら運転席に乗りこんだ。

「ス、スイマセン」

 若い衆は小さくなって謝った。

「アホんだら! あとつけて、どの店に入ったんか調べぇや!」

 竜一は後ろから運転席の背もたれを蹴りつけた。

 若い衆があわてて外に出ていくと、竜一はどこかに電話をかけ始めた。



 数時間後、光のささない路地裏の空地に、二十人ほどの山月会の組員が集まっていた。

 空地の真ん中には先ほどの大男が立ち、武器を手にした組員たちに囲まれている。

 竜一は高級車の後部座席に座りながら、その状況を遠くから静かに眺めていた。

「オラァ」 「このヤロウが!」

組員たちと大男が殴りあいだした。

竜一は車の外に出ると、タバコを吹かしながらゆっくりと月を見上た。

「ぼちぼちやな」 

 大男が袋叩きにあったのを確認した後、竜一はのんびりとした足取りで空地に向かって歩いていった。

 ザッ

 竜一が近づくと、組員たちはいっせいに姿勢を正して頭を下げる。

「おい、兄ちゃん。大丈夫か」

「……」

大男は鼻をつぶされ、完全に戦意を喪失している。

「ウチの若いもんが悪かったな。後でよう言うておくわ」

 竜一は子分たちにかしずかれながら、アザだらけになって倒れた相手の顔をマジマジと覗き込んだ。

「……いえ俺の方こそ……スイマセンでした」

大男はなんとか声をしぼり出して答えた。

「せやけどな兄ちゃん、あまりいちびらん方がええぞ。今日はこの辺で許したるけど、次は山ん中連れてって、オシッコ漏らすまで泣かすで」

 竜一は相手に顔を寄せると、タバコの煙を吹きかけた。

「……はい」

 大男は力なくうなだれた。

 竜一はブランドものの財布を取り出すと、そこからおもむろに一万円札を十枚ほど抜いた。

「迷惑料や、とっとけ」そう言いながら大男に向かって突きつける。

「……いただけません」

 大男は首を振って手を後ろに引いた。

 竜一は強引に札束を押し付けると、有無をいわせず無理やり握らせた。

「ほな、帰ろか」

 二十人ほどの組員は路地裏の空地から撤退していく。

 竜一は大きく胸を張ると彼らの先頭に立ち、肩で風を切りながら悠々とその場を後にした。








▽〈竜一  +1900㎉〉








▼高級車の後部座席に乗り込んだ竜一は、運転席に座る若い衆にむかって労いの言葉をかけた。

「今日は、山月会の看板守るためにご苦労やったな。ありがとさん」

 若い衆は照れくさそうに頭をかきながら、「いえ、とんでもないです」と返答し、夜の街に向けて車を発進させた。








▽〈若い衆  +220㎉〉



▽彼らがやっていることは、ただの暴行傷害事件です。

 普通に逮捕案件です。

 ただ、ここでも悪知恵を働かせています。

 人は酷い目にあわされても多額の金銭を受け取ってしまうと、被害届を出しづらくなるのです。

 そうです。

 竜一氏にとって自腹で出した十万円は、食事代なのです。

 関係性を築いておくことで、自分の影響力を増やす意味もあります。


 竜一氏は、めちゃくちゃな行動を取りながらも、ところどころで部下にきちんと感謝を伝えています。 

 大谷氏と同じように、人心掌握に余念がありません。

『ありがとう』は魔法の言葉です。

『ありがとう』という言葉の裏には、次のようなメッセージが含まれています。


〝私はあなたを認めています。

 私にとって、あなたはとても大切な価値のあるメンバーです。

 こうしてまた一歩、あなたの群れでの立場は強くなりました〟


 ええ、そうです。

 感謝には自尊心を高める力があります。

 人が『ありがとう』と言われ嬉しく感じるのは、プライド㎉が増えるからなのです。

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