高級クラブ (二十一年前)
▼金色の間接照明が部屋のすみずみにまで光を届け、大理石の床やベルベットのソファーを優しく包みこんでいる。
天井からは豪華なシャンデリアが吊り下げられ、スワロフスキーのクリスタルがキラキラと輝いている。
VIPルームの入口に立った竜一は、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見渡していた。
「補佐、本当にこれでいいんですか?」
組員がウイスキーの箱と茶菓子の包みを指さした。
「ああ。これでええんや」
竜一はうなずく。
「菓子は安物だし、ウイスキーも中途半端な〝四十四年もの〟ですよ。いっそのこと〝六十年もの〟にした方が良かったんじゃ?」
組員のぼやきに竜一は答えず、手を振って会話を終わらせた。組長がクラブのママと腕を組んで階段を上がってきたのだ。
「始めたってや」
竜一が小声で合図をすると、すぐにVIPルームの照明が消え、部屋の奥からケーキが運び込まれてきた。精巧なアイシングと見事なデコレーションが施されており、周りにはシャンパンが並んでいる。
「失礼しまぁ~す」
「おめでとうございます~」
ホステスたちが組員の間に割って入ってきた。男ばかりでむさくるしかった雰囲気がガラリと変わり、一気に場が華やぎだす。
「おやっさん、おめでとうございます!!」
「還暦、おめでとうございます!!」
「おう! ありがとう」
組員たちに祝われた組長は、ソファーに深く腰掛けて満足そうな笑みを浮かべた。
竜一は浅く座って前傾姿勢を崩さない。
「来週、組をあげての正式な祝賀会がありますさかい、今日は前祝いっちゅうことで」
椅子に浅く腰かけた竜一は、そう言いながら組長のタバコに火をつけた。
組長はうなずきながらゆっくりと煙を吸いこむ。
「おやっさん、これ受け取って下さい」
「おう」
組員たちは思い思いの贈り物を組長に渡していく。
ゴルフクラブ、ブランドもののネクタイ、なかには車を一台プレゼントする者もいる。
竜一は準備していたウイスキーのボトルを手渡した。
「ほんまに、みなさんから慕われてはりますな~」
クラブのママが口に手をあて驚いた顔をする。
「そらそうや。ワイらはこの世界に入ってからずっと、おやっさんの背中を見て任侠を学ばせてもろとるんや。バブルの頃、よその組の親分らが派手に贅沢して遊んどるなか、おやっさんだけは質素な生活を貫いとったんやで。そのおかげで今これだけ不況やっちゅうのに、うちの組だけどんどん規模が大きなっとる」
竜一は話しながら再びライターで組長のタバコに火をつけた。
ホステスたちが持っている高級なジッポーよりも、竜一が手にしている百円ライターの方が、早いし確実に火がつくようだ。
「それは付いていきますね~」
「すご~い」
ホステスたちもわきまえたもので、組長の方を見ながら手をたたいて歓声をあげている。
「いやいや、世話になっているのは俺の方だよ」と組長は首を振った。「こいつらが体を張って俺たちの町(シマ)を守ってくれてるんだからな」
組員たちはその言葉を聞いて、照れくさそうにしている。
竜一は組長に近づくと、耳元でそっと声をかけた
「おやっさん。こないな時にアレなんですが、ついに人虎組のトップがワビを入れてきましたで」
「本当か!」
▽〈組長 +5100㎉〉
▼「三年か。思ったより長くかかったな」組長は目を閉じてグラスをあおった。「おい、一番高い酒を持ってこい。今日は本当にめでたい日になったぞ」
店のボーイが慌ただしく店の裏へと走っていく。
組長は竜一の肩に手を置くと、ぐるりと周りを見渡した。
「みんな! 今後ともこいつのことを贔屓にしてやってくれよ。街では凶悪だのなんだのと悪い評判ばかり流れているが、これほどスジを通す男もなかなかいねぇ。この間の懲役の時もいっさいうたわなかったしな」
「おやっさんに色々なことを教えて頂いたおかげです」と、竜一は恐縮したように頭を下げた。
ボーイがドンペリのゴールドとブルーを抱えて現れた。
シャンパンコールが行われ、何度目かの乾杯が終わった後、ホステスが小皿に茶菓子を取り分けた始めた。
タバコを吸おうとした組長の手が止まる。
「お前、これは……」
「はい。おやっさんの話を聞いてから、ワイも好物になってもうて」
「懐かしいな。あん時は本当に……。この茶菓子の中に拳銃を隠して、ギリギリの掛け合いに行ったんだよ。俺も死ぬ覚悟だった」
組長は茶菓子を一つ手にとると、じっとそれを見つめた。
隣ではママが黙って丁寧に、グラスについた水滴を拭きとっている。
「熱い時代の骨太な話、えらい勉強になります。おやっさんの人生を本にしてもろたら、今の若い連中も喜ぶやろなぁ」
と、竜一は茶菓子を一口かじって言った。
「そうか? でも字ぃ書くのは面倒くせぇなぁ」
組長は笑いながら茶菓子をほおばると、ママからグラスを受け取る。
「お話さえ聞かせてもろたら、知り合いのライターにまとめさせますよ」
竜一が体を乗り出すと、組長はいぶかしげに片方の眉をあげてニヤリと笑った。
「ずいぶんと熱心に勧めんなぁ。なんかあんのか?」
竜一は小さくなって引っ込み、しょぼしょぼと目をしばたたかせた。「いえ、ワイ一人で独占してんのは、しのびないさかい」
それを聞いた組長は口を開けてガハハと笑い、「……ん、まぁそうだな。この稼業に入ってから四十四年間、我ながらよくやってきたもんだ。一つくらい何かを残してもいいかもしれん」と、再び竜一の肩に手を置いた。
「もしよろしければ、さっそく」
▽〈組長 +440㎉〉
▼夜も更けてくると組員たちは、おおっぴらにはできない話題で盛り上がっていった。
仮想通貨や詐欺、建築事業や飲食事業について、楽しみながらも熱心に情報を交換している。
「そういや俺に何か相談があるらしいじゃねぇか。どうした? なんでも言ってみろ」
テーブルに盛られたフルーツをママに食べさせてもらいながら、酔っ払った組長は笑顔で竜一に話しかけた。
「実は、年が明けたら改名しようかと思うてまして」
竜一は真剣な顔をして答える。
「渡世名か」
組長がささやくように言うと、竜一は深くうなずいた。
「はい。ほんでなんですけど、おやっさんの名前から一文字頂くことはできへんでしょうか?」
「ああ、そんなことか。他ならぬお前の頼みだ、もちろんかまわんよ」
▽〈組長 +590㎉〉
▼口に残っていた乾きものを酒で流し込むと、組長も真剣な顔つきになった。
「じつは俺の方もな、お前に相談したいことがあんだ」
「はい。なんでっしゃろ」
「若頭(カシラ)がとうとう赤落ちしたろ。これでもう三十年以上ムショから出てこれねぇ。俺も色々と考えたが、ナンバー2が不在じゃこの組はどうにもならねぇよ。それでな、補佐のどちらかをカシラに上げようと思ってんだが……」
組長が視線を向けると、竜一は慌てて首をふった。
「ワイはそんな器じゃありまへん。それやったら、やはり漢気のある翔のやつが適任かと。あいつはあと半年で出てきますし」
「バカ、翔じゃ話になんねぇよ。あいつが今ションベン刑をくらってるのだって、組のためでも何でもねぇ〝自分ごと〟だしな」
組長は酒で喉をうるおすと、竜一の方をむき膝と膝をつきあわせた。「どうしてもお前にカシラをやってもらいてぇんだ。どうだ? 引き受けてくれねぇか?」
「……自分に勤まるか分かりまへんけど、おやっさんのご意向やったら」
竜一は自分の膝に両手をおき、ペコリと頭を下げた。
「そうか」
組長は満足そうにうなずくと、琥珀色の液体を飲み干した。
▽少し芝居がかったところもありますが、三島竜一氏もなかなかの言霊使いです。
彼は〝おもてなし〟の心得をしっかりと身につけていますね。
若くして裏社会をのぼっているだけのことはあります。
はい、そうですね。
一般社会であれ裏社会であれ、結局そこにいるのは同じ人間です。
上下関係、人間関係で気を使うべきポイントは変わりません。そこは一緒です。
しっかりと相手のプライド㎉に配慮した動きをすれば、そこには結果がついてきます。
裏社会が一般の社会と異なる点は、その暴力性でしょうか。
極道の世界では、〝カエシ〟と呼ばれる復讐行為を重要視しています。
何か嫌なことをされた際には、決して泣き寝入りなどせず、相手に対して同等以上の報復を行うわけです。
一般社会では『復讐は何も生まない』とか『あなたの大切な人は、復讐なんて望んでいない』といった言葉がしばしば聞かれます。特に現代日本では暴力を否定する傾向が強く、穏健なやり方が多数派の意見となっています。
確かに、報復はさらなる報復を生み出し、憎しみの連鎖を招いてしまうため、あまりお勧めできるものではありません。できるだけ平和的な解決法を模索するのは正道でしょう。
一方で、裏社会の住人たちは、そのような穏健な考え方をしません。
自分や仲間がやられた場合は、きっちりと仕返し(カエシ)をおこない、面子(メンツ)という名前のプライド㎉を取り戻します。
そうです。
そうやってアニマルマッチを勝ち抜き、覇気をまとって愉快に暮らしていく。
それが、不良の極みであるヤクザたちの生き方なのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます