記憶:三島竜一

組事務所 (二十四年前)

▼ものものしい唐獅子の屏風と黒檀の壁、そして金色の代紋のはいった額縁が、ここが一般のオフィスでないことを物語っている。

 暴力団組織〝山月会〟のヤクザ事務所だ。

 室内には変わったものがたくさんあるが、特に目を引くのは壁に貼られた木製の名札だ。ナンバー1の組長から下っぱの組員にいたるまで、構成員の名前が役職順にズラリと並べてある。

 ほとんどの名前が黒い文字で記されているが、なかには赤文字になっている人間もいる。じつは名札をひっくり返すと色が変わり、懲役中の者が一目で分かるようになっているのだ。

 

 三島竜一は黒い革のイスに腰かけ、七~八人の男と一緒に飯を食べていた。

 組員のほとんどが白いジャージを着ているのに対して、竜一と彼の向かいに座る男だけが、パリッとした洒落たスーツを身につけている。

「竜一さん、翔さん、緑茶で大丈夫ですか?」

「おお」 

 ジャージ姿の若者が急須を手にたずねてきた。翔と呼ばれた男は鷹揚にうなずく。

 スーツ組の二人はかなり上の立場なようだ。

「……さっきテレビのニュースに出てた奴、あれって竜一の兄弟分か?」

 と、翔は豪華な天丼をかきこみながら口を開いた。

「あぁそうや。えらい騒ぎになっとったな」

 竜一はチキン南蛮をほおばりながら答える。

「もう全国区の有名人だな。たいしたもんだ」

 翔は強面の顔で豪快に笑いながら、感心した様子で膝を叩いた。

「そやな」

 竜一は飯をかきこむと、ハムスターのように頬をパンパンに膨らませながら、ぼんやりと窓の外を見た。

 空には暗雲が広がり、激しく雨が降っている。


 バサササ


 突如、上の方から何か黒いものが落ちてきた。

「なんやあれ」

 竜一たちは急いで窓に近づいた。

 地面の水たまりにジャケットが二枚落ちているのが見える。部屋の中は一瞬の静寂に包まれた後、ざわめきが広がった。

「おい……あれ、俺のアルマーニじゃねーか?」

「あっちはワイのヴェルサーチや」

 翔と竜一は唸り声をあげた。すぐに下っぱが雨の中を走ってジャケットを回収しに行く。

「おい、これ」

 翔は泥だらけの服を手に取り、声を震わせながら天井を見上げた。








▽〈翔   -830㎉〉

▽〈竜一  -860㎉〉








▼「ああ、テツさんやろな。今日は当番で上の階に詰めとるはずや」

 竜一が顔をしかめながら言うと、翔は無言でツカツカとドアの方に歩き出した。

「ちょっと待てや。どないする気や」

 竜一は慌てて翔の腕をつかむ。

「ぶっ殺すに決まってんだろ」

 と、翔は憤怒の表情をしながら振り返った。

「いやいや、あかんよ。ザブトンはこっちの方が上やけどな……大先輩やぞ」

「先輩だ? 関係あるか!」

 翔は竜一をにらみつける。

 竜一もにらみ返した。

「あの人も相当ストレスが溜まっとんのや。長い懲役終えてやっと帰ってきた思たら、後輩二人が出世しとって、自分は役職ナシのチンピラや。逆の立場やったら堪らんで」

 そう言うと、竜一は後ろの壁に並んだ名札を指さした。

 組のナンバー3である〝若頭補佐〟の所に、竜一と翔の名前がある。

「それにな、テツさんはゴリゴリの武闘派やで。八年前の事件では、かこんできた四人をたった一人で病院送りにしとる」

 と、竜一はなだめるように翔の肩に手を置いた。手首に付けられた金の時計がピカリと光る。

「誰に説教してんだ? てめぇ」

 翔は顔をぐいと竜一に近づけ低い声ですごんだ。「てめぇは相手が強けりゃケンカしねぇのかよ? じゃあ何か? 自分より弱い奴としかやらねぇってことか!?」

「そんな話ちゃうわ」

「『ちゃうわ』じゃねーだろこの野郎。スジ違いのことをされて黙ってたら、それは俺の目指す道じゃねぇんだよ」

 翔は、竜一の手を振り払った。

「金稼ぎも大事だけどな。俺たち極道は〝漢を売ってる稼業〟なんだよ。先輩だろうが何だろうが、舐められたら終いなんだよ!」

 翔はタンカを切るとドアを開け、上へと続く階段を駆け上がって行った。


  ガチャアァン! ドン! ドゴン!

「おらぁ!」

 すぐに叫び声やガラスが割れる音が響いてくる。

「騒がしいなぁオイ、どうした?」

 奥の部屋から着物姿の還暦近い男がやってきた。背はそれほど高くないものの、顔に残る傷跡やゆったりとした所作から貫禄がにじみ出ている。

「組長!」

 全員が一斉に振り返って挨拶をする。

「おやっさん、すいません」

 と竜一は頭を下げ、ことの顛末を手短に説明した。

「あぁそうか。あいつらは本当に……しょうがねぇな」

 組長は大きなため息をつくと、顎をしゃくって付いてこいと合図をした。



 上階はさんさんたるありさまだった。

 イスはひっくり返り、グラスは割れて中の液体が飛び散っている。

 クリスタルの灰皿も真っ二つになっており、床にはタバコの吸い殻が散乱している。

 下っぱの組員たちはどう対処していいかわからず、周囲で立ち尽くすばかりだ。

「何やってんだ、お前ら!」

 組長が一喝すると、翔がこちらを振り返った。片足をひきずりながらゼイゼイと荒い息をしている。拳からは血がしたたり骨まで飛び出している。

 もう一人、部屋の中央付近に、凶悪そうな男が大の字で寝転がっていた。

 男の顔は腫れあがり服はビリビリに破けている。意識を失っているようでウンともスンとも言わない。

「あの最強のテツさんを……マジかよ……」

 若い衆の一人が小さな声でつぶやいた。

 ジャージ姿の下っぱ連中の目には、翔に対する尊敬の念がちらほらと見え始めた。








▽〈翔  +4400㎉〉








▼組長は再び大きくため息をついた。

「翔、お前な。自分を抑えることを知らんと、そのうち死ぬぞ」

「すいません」翔は机に寄りかかりながら、組長に向かってペコッと頭を下げた。「でもですね、おやっさん。交通事故で死ぬのなんかは勘弁ですけど、俺はケンカで命を落とすなら本望なんで」

 翔が言い返すと、組長はあきれたように手を振った。

「翔に包帯を巻いてやれ。テツは病院だ」

 下っぱ組員たちが部屋の後片付けを始めた。破片や散らばった物を丁寧に拾い集めていく。

 組長は部屋の奥にあるイスにどっかりと座り、腕を組んで静かに目をつぶった。

 竜一はそのすぐ後ろに立ち、組長の顔色をうかがいながらそっと話しかける。

「ワイが付いていながら、この不手際。申し訳ありまへん」

「補佐と古株がケンカしてちゃあ、俺が困んだよ。な?」

「はい」

 竜一は素直に頭を下げた。



 一時間後、部屋の中はすっかり片付いていた。

 翔は片足に添え木を当てられ、包帯でグルグルに巻きにされている。

「いててて」と言いつつも、翔の顔には笑みが広がっている。

 ジリリリリ

 急に電話が鳴り響いた。

「はい、山月会ぃ」

 下っぱ組員がドスの効いた声で電話に出た。

「え? はい……はい……」会話が進むにつれ、出だしの勢いとは裏腹に組員の顔色がどんどん曇ってゆく。

 大きな案件なのだろう、組員は電話の子機を持って組長の元へと走って来た。

「おう。どうした」

 電話を受け取った組長の顔つきも、次第に険しいものへと変わっていく。

「おやっさん、どないしました?」

 電話が終わると、竜一はすぐに組長に声をかけた。

「……大丈夫だ心配するな。ちょっと行儀の悪い連中が、うちの縄張りに入ってきてるだけだ」

 組長は落ち着いた声でゆっくり静かに応えた。








▽〈組長  -790㎉〉








▼「人虎組の連中ですね?」

 竜一はたずねると、じっと組長の顔をのぞきこんだ。

「ああ。奴ら協定なんて最初から守るつもりも無いようだな」

 組長は苦笑した。

「この前のキャバ嬢引き抜きといい、裏カジノの件といい、このまま放っといたらアカンですね」

 そう言うが早いか竜一は、若い衆を五~六人連れて颯爽と事務所から出て行った。

 翔は立ち上がることすらできず、イスに座ったまま竜一たちをただ見送っていた。




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