記憶:カラス

松林

▼風切羽のヒュンヒュンという音が聞こえてくる。

 広大な空のキャンパスに黒い影がシミのように浮かんでいる。

 ダイナミックなアクロバット飛行を繰り広げているのは、カラスたちだ。

 彼らは至近距離で編隊飛行をしているかと思えば、流れ星のようなスピードで空を駆け下り地面すれすれで急上昇するなど、驚異的な身体能力を見せている。


 カック カック

 キュッ キュンッ

 

 百匹ほどのカラスの群れが崖を飛び越え、いっせいに松林の中へ降りてきた。

 彼らの鳴き声は〝カーカー〟といった野太いものではなく、どちらかというとムクドリに似た優しいものだ。

 町中でよく見かけるゴミを漁るカラス(ハシブトガラス・ハシボソガラス)に比べると、この群れのカラスたちは体がずっと小さく、フォルムも丸みを帯びている。

 首やお腹のあたりには白い羽毛が混じっている。








▽可愛らしいですね。

 彼らは〝コクマルガラス〟という種類のカラスです。

 ご存じないですか?

 ほら〝魔女の宅急便〟に出てきたやつですよ。

 彼らの体重は約250gで、桃一個分ほどの重さです。

 ハシブトガラスが約650g、ハシボソガラスは約550gですので、これらの種と比べると半分以下しかありません。

「ずいぶん軽いですね」ええ、検死官さん。

 確かにそうです。

 しかし、小さいからといって侮ってはいけません。

 彼らはとんでもなく利口な鳥です。

 動物の知能を比較する〝脳化指数〟という指標では、カラスは猿と同レベルの知性を持っているとされています。








▼松林に降りたったカラスたちは様々な活動をし始めた。

 水たまりでバチャバチャと水浴びをしている者、木の横枝を鉄棒のようにしてクルクル回っている者、松ぼっくりをコロコロと蹴とばしている者など、じつに個性豊かだ。

 彼らは人間と同じように、好奇心をもって楽しく遊んでいるのだ。


 カック カック

 カック カック 


 食事の作法からも知性が感じられる。

 カラスは雑食性で木の実や果物だけでなく、カエル・カタツムリ・クモ・バッタなど何でも食べる。

 ナッツやクルミなどの硬い木の実や貝の殻を割るとき、彼らはそれらを高く空中まで持ちあげて落下させる方法を用いる。柔らかい草地や砂地、木々が密集している所などの割れにくい地形は避け、ちゃんと見晴らしの良い岩地まで運んでから落としている。








▽カラスの賢さをあげていけば枚挙にいとまがありません。

 南太平洋に生息するカレドニアガラス。彼らは道具を作り、それを使って食事をします。

 ちょうどいい太さの枝を見つけてくると、余分な枝葉を取り除いたり、先端をフックのように曲げたりして、釣り竿のような道具を制作していきます。これをくちばしで咥えたまま、木の穴などにつっこみ、中から昆虫やその幼虫をほじくり出して食べるのです。

 時間をかけて作り上げたこの〝DIY作品〟は、他のカラスに見つからないよう何処かに隠しておき、後で取り出して何回も使うようです。








▼カックカック カックカック

 

 地面でエサを食べていたカラスの所へ、別の一羽が近づいていった。

 二羽の体格に大きな違いはないが、後から来たカラスの方が偉そうにしている。首を伸ばして頭を高く上げ、ふんぞりかえって歩いている。

 先にいたカラスは、遠慮したようにエサ場から離れていく。

 後からきたカラスは、横取りしたエサを堂々と食べはじめた。








▽コクマルガラスの群れは恐ろしいほどの階級社会です。

 一位から最下位に至るまで、全てのカラスに厳密な順位がついています。

 群れのメンバーはこの目には見えない上下関係を、日頃からしっかりと意識し守っています。

 エサ場では獲物を譲らなければいけませんし、巣を作る場所にも優先順位があります。

 はい。

 そうです。

 まさに〝アニマルマッチ〟です。


 慶応義塾大学が行った、面白い研究があります。

 二羽のカラスの対面した時の心拍数の変化を、無拘束・自由行動下において解析したのです。

 その結果、〝劣位オスと対面した優位オスの心拍数は変化しないのに対し、優位オスと対面した劣位オスの方は、心拍数が変化して内臓に不快感を感じている〟ということが明らかになりました。

 これは人間が、自分より格上の相手と対峙してビビった時と、まったく同じ反応です。








▼群れのメンバーには、科捜研の研究者たちによって名前が付けられていた。

 ランキング一位の個体は〝黒衣(こくい)〟と呼ばれていた。高級ジャケットのような大きく立派な羽がその由来だ。

 彼は風切り羽を左右に振りながらノシノシと歩き、どこのエサ場へ降りたっても、他のメンバーに追い払われることはない。のっそりと立つ後ろ姿からは、威厳や風格のようなものさえ滲み出ている。

 誰もが彼に敬意をはらい、恐れつつも尊敬している。

 住居となる巣穴は切り立った崖の一番高いところにあった。ここがもっとも外敵から狙われにくい一等地なのだ。

  

 ランキング二位の個体は、黒衣の妻の〝白冠(はっかん)〟だ。

 名前の由来は、頭の白い毛が女王の冠のように見えること。

 黒衣のように立派な体格をしているわけではないが、こちらも堂々として佇まいに貫録がある。

 無礼なメンバーをつつくことはあっても、自分がつつかれることは全くない。


 カック カック

 キュン キュンッ

 

 しばらく黒衣と白冠を観察していると、二羽の夫婦がとても仲良く暮らしているのが分かる。

 カラスは尾の付け根から脂(あぶら)を分泌する特性を持っているが、この脂を非常にうまく活用している。

 黒衣はクチバシに脂をつけると、丁寧に白冠の雨覆羽(あまおおいばね)をケアしていく。このオイルマッサージのような毛づくろいは、コーティングと呼ばれ、保温・防水・虫除けといった生存上重要な役割があるが、二羽の行為はそういった実用的な面をはるかに越えている。

 コーティングが一通り終わると、白冠は甘えるように黒衣に体をすりつけた。そして今度は役割を交替して相手の体を優しく愛撫していく。

 二人はそれ自体が楽しいことであるかのように、濃密なコミュニケーションを行っているのだ。 








▽カラスは基本的に一夫一妻制です。夫婦仲はひじょうに良く、一番最初に選んだパートナーと、生涯をともにすることがままあります。

 育児や戦闘においても、夫婦は助け合って協力します。

 巣の中に小さいヒナがいる時期は、かわるがわる交代で餌を探しにいきますし、外敵との戦いの際には、タッグを組んで共に立ち向かっていきます。

 二羽は人間と同じように、強固な絆で結ばれているのです。








▼倒木の下の暗がりで、静かに昆虫を食べている大きなカラスがいる。

 その翼がくすんだ灰色に見えるのは、白と黒の毛が入り混じっているせいだ。

 彼の名は〝銀翼(ぎんよく)〟。

 群れのランキングだと、およそ七十位ほどの位置にいる個体だ。

 黒衣に匹敵するほど大きな体をしているわりに、周囲の仲間に対して従順に頭をさげ、隅の方でおとなしく過ごしている。百匹ほどのこのコクマルガラスの群れでは、だいぶ下の方のポジションだ。

 臆病で気が小さいのだろうかと勘ぐってしまうが、どうやら違う。

 若々しいその風貌からいって、彼は若年の新参者なのだ。


 ツィック ツィック

 ツィック ツィック

 

 森の中から、なんとも甘ったるい鳴き声が聞こえてきた。

 緑豊かな木々の間を縫うように飛びながら、若手のカラスたちが森の奥に集まっていく。


 ツィック ツィック


 銀翼も他の者と同じように、甘えるような鳴き声をあげながら、色艶の良い一匹のメスのカラスにすり寄っていく。


 ツィック ツィック

 ツィック ツィック

 ……


 銀翼は何度もアプローチを続けるが、メスの方はそっぽを向いたままだ。

 このメスの名前は〝濡羽(ぬれば)〟。

 群れでのランキングは二十位ほど。

 人から見てもその美しさは際立っており、全身から放たれる艶やかな光沢は、丁寧に手入れされた日本女性の黒髪を彷彿とさせている。


 ツィック ツィック

 ツィック ツィック

 ……


 銀翼がいくらしつこく誘っても、濡羽はウンともスンとも返さない。そのうち岩山の方へと飛び去ってしまった。








▽おや、残念。

 どうやら振られてしまったようですね。

 人の社会の恋愛と同じように、カラスの世界もなかなかにシビアです。

 コクマルカラスのメスは、付き合う相手の地位や序列を細かく気にしています。

 自分よりも下のランクのオスなんて、相手にしようともしません。

 もしオスが、上位のメスと夫婦(つがい)になりたいと願うなら、どうにかして自分の序列を上げるしかないわけです。








▼しょんぼりとした様子の銀翼を残し、濡羽は岩山のてっぺんまで飛んでいった。

『私はかなりの美女よ。あなたにはもったいないわ』とでも言いたげな態度だ。

 銀翼にしてみれば、濡羽はまさに高嶺の花だ。 

 しかし、そんなふうにお高くとまっている濡羽だって、群れの一桁ランカーたちには全く歯が立たない。

 向こうからランキング七位と八位のカラスが、肩をそびやかしながら岩山の頂上へとやって来た。濡羽はそれに気づかずに石をひっくり返して虫を探していたが、七位のカラスに後ろから押しのけられてしまった。


 キャ キャ キャ


 彼は濡羽を無視して、石の下にいたミミズを美味そうに食べだした。

 エサを奪われた濡羽は、七位のカラスを恨めしげに見つめたが、今度は横にいた八位のカラスに頭を小突かれてしまった。

 たまらず濡羽はその場を逃げ出した。

 七位と八位のカラスは楽しそうにエサ場を闊歩している。


 キャ キャ キャ

 キャ キャ キャ

 ……

 ギャアー

 

 次の瞬間、七位と八位のカラスが急いでその場を飛び立った。

 黒衣だ。

 黒衣が断崖の巣穴から降りてきたのだ。

 黒衣は一桁ランカーたちを軽く蹴散らすと、千切れたミミズを口にくわえ、悠々と妻の元へと戻っていった。

      







▼ギャア ギャア

 ユップ ユップ

  

 雲一つない晴天の早朝、いつもは静かな時間帯に、突如カラスたちの鳴き声が響き渡った。

 群れの興奮はどんどんエスカレートしていき、その叫び声は周囲一帯を包み込むかのように広がっていく。


 ギャア ギャア

 ユップ ユップ

 ギャア ギャア

 ユップ ユップ

 

 カラスたちは思い思いの場所に陣取り、大声で騒ぎながら頭上に顔を向けている。

 騒ぎの原因は空にあった。

 雲の間に浮かぶ点のような三つの黒い輪郭。

 黒衣たちと銀翼が戦っているのだ。


 ギャアー ギャアー 


 黒衣はその巨大な体躯を活かし、力強い羽ばたきで高度を保ちながら、白冠とタッグを組んで空中戦を展開している。

 白冠が下方で相手の注意を引きつけている間に、黒衣が頭上から急降下して襲いかかる。二羽は緻密なコミュニケーションと完璧なタイミングで攻撃をしかけ、相手のダメージを確実に蓄積していく。


 ギャアー 


 銀翼の方も、王と女王を相手どりながら一歩も引いていない。木陰にいた時は灰色にくすんで見えたその翼は、太陽の光を反射して銀色に輝いている。

 三匹の真下にある松の木には、他のメンバーにまぎれて濡羽の姿もある。

 彼女の羽毛は見たことがないくらい逆立ち、その目は戦いの行方を凝視している。








▽「求婚だけのために、ボスたちと戦ってるんですか!?」どうやらそのようですね。

 検死官さんが驚かれるのも無理はありません。あの威風堂々たる群れのボスに挑むには、相当の覚悟が必要なはずです。

 逆にいえば、彼はそれほど濡羽に惚れ込んでいるのでしょう。

 そうです。

 恋の力です。

 繁殖シーズンをむかえ、群れでは新しいカップルが数多く生まれています。選択肢は色々とあるはずなのに、銀翼は他のメスで妥協する気などさらさら無いわけです。

 彼は戦いを選びました。

 大きなリスクは覚悟の上です。負ければ殺されるかもしれません。まぁそこまではいかなくとも間違いなくヒドイ目にはあうでしょう。

 しかし、もし黒衣に勝つことが出来れば、間違いなくランキング一位の座が手に入るのです。

『絶対に勝って、あの娘を射止める』

 銀翼の小さな背中からは、そんな意思が聞こえてくるようです。








▼高度を競い合いながら、三羽のカラスが全力で羽ばたき続けるなか、決着の時は突然やってきた。

 空中で激突した黒衣と銀翼が、おたがいの翼に嚙みついて組み合ったのだ。

 両者は足で相手の体を掴みながら、団子になって下の方へと落ちてゆく!

 バッ

 地面に激突する寸前で、銀翼はなんとか羽ばたき、安全な高さに戻ることに成功した。

 一方、黒衣の方は落下のスピードを殺しきれず、受け身をとりそこなって荒地の上に転がった。

 銀翼は勝機を見逃さなかった。

 地面に舞い降りた銀翼は、弱った黒衣を仰向けにひっくり返すと、翼の上にのしかかって尻尾に噛みついた。

 

 ギャアー

 

 ついに精魂尽き果てたのか、黒衣は悲鳴を上げて松林から逃げ出した。

 いつの間にか、白冠も遠くに飛び去っている。


 勝敗は決した。

 銀翼は勝利の余韻にひたりながら辺りを一周し、黒衣たちが使っていた崖の巣穴へ入っていった。松の木の上で見守っていた濡羽の方を向いて、愛情を込めた鳴き声を発し始める。


 ツィック ツィック 

 ツィック ツィック 

 

 濡羽はそれに応えるように、ゆっくりと羽ばたいて最優良物件へと入っていく。

 銀翼は嬉しそうな様子で濡羽を迎え入れると、すぐに巣穴から飛び出し、どこからかみずみずしい木の実を見つけて咥えてきた。

 口移しで木の実を渡された濡羽は喜んでそれを食べ、感謝の意を示すかのように頭をかたむける。

 二羽は互いの羽毛をそっと触れ合わせながら、巣の中で仲むつまじく寄りそった。








▽〈銀翼  +8000㎉〉








▼一連の事件は多くの仲間たちに目撃されていた。

 今日この瞬間に、メンバーの力関係が再編されたことが、カラスたちの態度から見てとれた。

 木のてっぺんに止まった銀翼は、胸をはって背すじをのばし、首をふくらませて下界を睥睨している。

 一方、濡羽の方も新たな地位を手に入れたことで、自信に満ちた行動をとり始めた。

 食事中の〝一桁ランカー〟の横に降り立つと、以前とは逆に肩をそびやかして歩き、相手の足を引っかけて噛みつき、引きずり回して追いかける。

 一桁ランカーの方もビクビクした様子で、その場を明けわたして逃げて行く。

 

 カック カック 


 その後も濡羽はことあるごとに、自分より上位であった者たちに突っかかり、その権勢をしめしていった。








▽〈濡羽  +6000㎉〉


▽たいしたものですネ。

 色々な意味で。

 どうされました? そんな不機嫌な顔をされて?

「なんですか、濡羽のあの態度は!」まぁまぁ落ち着いて下さい。人間社会でもよくある話ではないですか。

 男性が出世すると、なぜか連れ合いの女性の方も偉くなるわけです。

『うちの主人は、一流企業の部長なの』

『うちの亭主は、官僚ですわ』 

『うちの彼氏は、ヤクザの組長だし』

 といった感じです。

 濡羽は本人の実力とは関係なく、高い地位を得ました。

 この群れのナンバー2となったのです。

 信じられないかもしれませんが、群れのメンバー全員が完全にそのことを受け入れ、ランキングが書き変わったことを一瞬にして共有したのです。


 鳥たちの記憶はここまでです。

 メインモニターの電源を切りますので、チェアを軽く回転させて正面にお戻りください。

 はい。ご視聴ありがとうございました。

 今見ていただいたように、プライド㎉とは人間特有の心の闇ではありません。この宇宙に組み込まれた摂理のようなものです。

 これは自然淘汰や弱肉強食などと同様に〝種の保存〟に結び付くことがらであり、どうすることも出来ない自然の法則とも言えます。


 ――――と、普通の人間ならそのように常識的に考え、あきらめつつもこの摂理を受け入れるでしょう。

 そう、普通の人間であれば。

 おそらく現在発生している殺人事件の犯人は、この自然の摂理を受け入れることができない人物です。

 どうしようもなくやるせないこの事象に対して、腹の底から怒っている人物なのです。

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