本社ビル (三年前)
▼ソヨソヨソヨ
陽の光がたっぷりと差し込むエントランスホールの中庭を、大谷はゆったりとした足取りで歩いていた。
会社の顔ともいえるその場所は、さまざまな花が美しく咲き乱れ、清々しい空気が満ち溢れている。
花壇の手入れをしているお掃除のおばちゃんに向かって、大谷は親しげに頭を下げながら感謝の言葉を述べた。
「いつもありがとうございます。助かります」
▽〈年配の女性 +25㎉〉
▼社内の廊下を歩く大谷の周りでは、同僚や部下たちが次々と彼に気づき、尊敬のまなざしを送りながら挨拶をしてくる。なかには一時的に歩みを止め、深く腰を曲げて大谷に対する敬意をしめす者もいる。
大谷もそれに応え丁寧に挨拶を返し、時には短い会話を交わしながら、清掃のいきとどいた通路を進んでいく。
▽〈大谷賢治 +40㎉〉
▼〝部長室〟と記された重厚な木製のドアの前へとやってきた。
大谷はノックもせずにドアを開けると、堂々とした態度で中に入っていく。
部屋は茶色系で統一されたモダンなデザインが施されており、大きな地球儀や業界紙などが飾られている。
「今日はどういったご要件で?」
と、どこからか声がした。
部屋の中央には革張りのソファーとローテーブルが置かれ、だいぶ髪の毛の薄くなった原課長がチョコンとそこに座っていた。
大谷は〝部長〟と書かれたプレートの置いてあるデスクまで行くと、立派な椅子にゆっくりと腰をかけた。
「原さん、私の口から言うのは心苦しいのですが、職務上伝えさせていただきます。多くの人間から相談……いや、苦情が寄せられています」
と、大谷は原課長の方を見ながら言った。
「会社のお荷物だと、そう言いたいのですか?」
原課長はソファーに座ったまま、不機嫌そうな顔をした。
「そうです」と大谷はハッキリ答えた。「このままではチーム全体のパフォーマンスが上がりません。改善が見られなければ、転属をお願いすることとなります」
▽〈大谷賢治 +1500㎉〉
▽〈原タケシ -2800㎉〉
▼「飛ばしてもらって構わない。もっと気楽な部署に行きたいと思っていたところだ」
原課長は鋭い目つきになると立ち上がり、堰を切ったかのように言葉を続けた。「大谷君の出世の秘密を知っているぞ! 君は自分の仕事が上手くいったとき、成果の半分を直属の上司に譲ることで、彼らの機嫌を取ってきただろう。上司が昇進すると君も一緒に引き上げられるというカラクリだ!」
大谷は何も反論せず、静かに話を聞いている。
原課長は椅子に座る大谷を上から見下ろした。
「結局のところ、大谷君は出世のことしか頭にないんだろ? 私は違う! 武士道の〝誠の心〟だよ」原課長は遠くを見つめるかのような眼差しをして続けた。「君の行動には真心が無いよ。厳しく叱って恨まれてでも成長させてやろうという真心が。〝しっかり怒るけど、きちんと世話も焼いてやる〟それが本当に良い先輩だろう? 君のように上にも下にもヘコヘコと媚びて、お世辞ばかり言っている奴には分からないか!」
一方的に言葉を投げつけると、原課長はドスドス足音を立てながらドアの方向へと歩き始めた。
振動で棚の上にあった小さな置物が倒れて落ちる。
「人事的な決定には従おう、役職だけは君の方が上だからな。思いあがったままここでずっと過ごすがいい。私はどこに行っても、人と本音で向き合い、媚びずおもねらず、大望を持って生きていくつもりだ」
原課長はそう言い捨てると、乱暴にドアを閉めて出ていった。
▽なるほど、なるほど。
これは多くの場所で議論の対象となっている、少しややこしい問題ですね。
【説教は誰のため?】という問題です。
原氏の指摘どうり、大谷氏のやってることは〝相手を気持ち良くさせてるだけで、本当には本人の為にはなっていない〟ともいえます。
しかし、原氏のやっていることは〝人のために苦言を呈している〟という建前のもと、実は〝自分が気持ちよくなっている〟だけです。
どちらが正しいのでしょうか。
ちょっと二人が保持している、プライド㎉の総量を見てみましょう。
〈大谷賢治 総量 83000㎉〉
〈原タケシ 総量 2200㎉〉
これが現実です。
大谷氏はクレバーで冷徹です。
〝最後に自分が勝つため〟の行動をしています。そのために他人に媚び、他人の気持ちを汲んであげているのです。
原氏はズルく愚かです。
〝豪快だけど実はいい人〟という一見正しそうなキャラクターを隠れ蓑にして、プライド㎉を喰い散らかしているだけです。周囲にいる人たちも馬鹿ではありません。割に合わないことを徐々に理解し、時間がたつにつれ距離を置くようになります。
結局のところ、どちらが善でどちらが悪かなどという話ではありません。どちらも自分の利益を追求しているだけに過ぎないのです。
原氏のように目の前の短期的な報酬を取るか、大谷氏のように将来的に得られる大きな報酬を目指すか、という単純な違いに過ぎません。
どうしたのですか刑事さん、ため息などついて。
「部下に何かを指導するのは、とんでもなく難しいことだな」そうですね。本当にそうです。
助言、箴言、説教、忠告、アドバイス。
どんなに相手のためを思って発せられた言葉であっても、それを聞いた側のプライド㎉は確実にすり減ってしまうのです。
そして何より恐ろしいのは、アドバイスの瞬間〝言った側のプライド㎉は必ず増えている〟という動かしがたい事実です。
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