BAR (一年前)
▼木製のテーブルには蔦がからみつき、壁ぎわには色とりどりのガラス皿が並べられている。部屋の隅にはヴィンテージのランプが置かれ、その柔らかな光が空間全体を暖かく照らしている。
ノブ子は洗練されたデザインで飾られた個室に一人で座っていた。以前より大人っぽいメイクをして髪をクルクルと巻き、大胆なシースルーのシャツを着こなしている。
「おつかれっ☆」
肩を叩かれ、ノブ子は振り返った。
真っ白に脱色した髪の毛の上に、パステルカラーのヘッドホンをした女性が、後ろからノブ子を見下ろしている。
彼女の鞄には、アニメに出てくる大きなキツネの缶バッチがたくさん付いていた。
「おつかれー」
と、ノブ子は軽く手をあげて応えた。
「お、いいじゃん。そのキャミワンピ☆」
サブカルファッションの友人は、チラリとノブ子の服装を見て言った。
「ありがとー。ほんと久しぶりだねー」
「瑞希は遅れて来るみたいだから先に飲んじゃお☆ ノブ子はグレープサワーでしょ?」
サブカル友人は席に腰をおろした。
「そうそう。葵はどうする?」
「私はシャーベット・フローズン☆」
カラン コロン
注文したトロピカルなカクテルはすぐに個室へと運ばれてきた。
「最近どう? ノブ子のSNS見てるけど、調子良さそうだよね☆」
葵と呼ばれたサブカル友人はカクテルを豪快にあおると、独特の口調でテンポよく話し始めた。
「そうでもないよ、メーカーの仕事も大変だよー。この前なんて後輩に『ノブ子さんにだけは言われたくないです』って、口ごたえされてちゃってさー」
と、ノブ子は苦笑いを浮かべて返す。
「でも昔から、『外資系の会社で働きたい』って言ってたよね☆」
「そうだねー。まぁ、夢は叶えたよね」
「いいなぁ~☆ 私なんか未だに夢を追いかけて、辛いバイトの日々だもんな☆」
「あー、たしか歌手になりたいんだっけ?」
「歌手っていうか、シンガーソングライターね☆」
「そっかー。でもほんと、夢は追いかけてる時が一番なんだから、焦らず今を楽しんだほうがいいよ」
ノブ子は、葵の肩をポンと叩いた。
▽〈ノブ子 +80㎉〉
▽〈葵 -50㎉〉
▼「まぁ……ね。私のはホントの夢っていう感じだからね。ノブ子のは夢というよりも、就職がうまくいっただけの話だよね☆」
▽〈ノブ子 -60㎉〉
▽〈葵 +60㎉〉
▼「……そうだね。じっさい夢だけじゃ食べていけないしね。それより葵ってヨーロッパに行ったことある? 実はこのまえ社長賞をもらって海外研修に行ったんだ。そこで向こうのエグゼクティブに会ってきたんだけどさぁ」
とノブ子はスマホを操作し、海外の写真を表示させた。
「ふ~ん☆」
「やっぱり凄かったねー。服もハイブランドだし、エステや化粧品にも全部こだわってて、無添加の高級品ばかり使ってたよ」
「ああ、それは大変だね☆ 私は最低限の化粧しかしてないや~。元からまつ毛も長いからマツエクも必要ないし☆」
と葵は真っ赤な顔をして言い、三杯目のカクテルグラスをかたむけた。
「…………」
「美容に高額投資しなきゃいけない人って、なんか大変そうだね☆」
「…………よそで恥をかかないために言うんだけどさ、あんたもそろそろ落ち着いた格好をした方がいいと思うよ。美容どうこう言う以前の問題だよ」
ノブ子は苦笑しながら、諭すように言葉をかけた。
「私はこれが気にいってるからいいんだ☆ 彼氏も好きだって言ってくれてるし。結婚したら落ち着くよ☆」
「……へ、へー。彼氏も変わってそうだね。葵もたまには、もっと常識がある人と付き合ってみたら?」
「ノブ子って彼氏いたことあったっけ? 私の記憶ではゼロなんだけどぉ☆」
カラン コロン
個室の扉が開いて、スーツ姿のボーイッシュな女性が入ってきた。短い髪を後ろに流し、額に汗を浮かべている。
「遅れてゴメンねぇ! 迷っちゃってさぁ!」
「瑞希、遅いよ~☆」
「なに飲む?」
「ビール、ビール! ドイツの」
瑞希と呼ばれた友人はスーツを脱ぎ、威勢よくワイシャツの腕をまくった。
「何? 何の話してたの!?」
「ん、彼氏の話とかかな☆」
「あ~、男ねぇ! 世の中に男がたくさんいるけど、結局どれも似たようなもんよ!」
瑞希と呼ばれたスーツの女性は、額の汗を光らせながら、ドイツビールを豪快に飲み干した。
「どうしたのよ。こじらせてんの?」
ノブ子は瑞希におしぼりを渡す。
「いやぁ、こういう女子会なら楽しいんだけどさぁ! 男ってどんな貧相そうな奴でも、酔っ払うと武勇伝みたいな話しかしないのよねぇ。本当にしょうもないわ!」
「……まーそうかもね」
「わかる、わかる☆」
二人は瑞希に同意して、大きくうなずいた。
「先週も職場の飲み会でさ、おじさん上司が新人の女の子にしつこく絡んでて。ずっと自分の話ばかりしてんの。愛想笑いを続けてる新人さんが本当に可愛そうでさ。一応、助け舟を出してあげたんだけど、そのおじさん、自分のしてることが全く分かってないんだよね!」
瑞希はうんざりした様子で言った。
「確かにそういう奴いる~。何年生きてんだって感じだよね☆」
「そういう時って、心の中でのツッコミが止まらないよね」
葵とノブ子は小さく笑みを浮かべながら、ウンウンとうなずく。
瑞希は運ばれてきた二杯目のビールにすぐ口をつけた。他の二人もそれにつられ飲むスピードが上がっていく。
「そういえばさぁ! うちらと同じ学校だった大谷凛ちゃんって覚えてる?」
と瑞希。
「あ~、あの子、今モデルやってるんでしょ? そういえばノブ子は仲良かったよね☆」
「そうだそうだ! ノブ子と凛ちゃん、学校でバディだった時あったわぁ!」
瑞希は大きくリアクションをすると、ノブ子の方を振り返った。
「……ちょっと一緒にいただけだよ。たいして印象に無いし」
ノブ子は明後日の方を向きながら、素っ気なく答えた。
「それがさ! このまえ深夜ドラマに凛ちゃんが出てたんだけど、彼女だけなんか学芸会レベルでぇ!」
と言い、瑞希は両手を大きく叩いた。
「確かにあの娘、なんか違う感ある☆」
「だよねぇ! 芸能界も可愛いだけじゃやっていけないよね!」
葵と瑞希は深くうなずき合った。
「……きっと意地になってるんでしょ。あそこまで出ていって、もう引くに引けないんだよ。かわいそうに」
とノブ子が小馬鹿にするように笑うと、葵と瑞希も同じように口元を歪めて笑った。
▽〈ノブ子 +170㎉〉
▽〈葵 +170㎉〉
▽〈瑞希 +170㎉〉
▽どうしました刑事さん、しきりに首をかしげられているようですが?
え?「誰が悪いのかよく分からなくなってきた」ですって?
え~と、それは道徳的な善悪の問題ですか?
う~ん。
なかなか難しいことをおっしゃいますね。
私はアンドロイドなので、倫理や道徳や善悪に関することは苦手なんです。
まぁお望みでしたら、彼女たちの関係性を生物学や熱力学の観点から話させていただきますよ。
美人というのは狡猾な搾取者です。優しく上品に微笑むだけ、ただそれだけで、他人のプライド㎉を吸い上げることができるのです。
凛さんがいい例ですね。
しれっとした顔で謙虚に振舞いつつも、自分が周りの人間より上だということはよく分かっています。分かったうえで気持ちよくなっているのです。
〝さりげなく美しさを見せつけて、その場の状況を楽しむ〟というのは、〝間接攻撃〟ですので批判すらされないわけです。
それに比べてノブ子さんの方は必死です。
美人にプライド㎉を吸われてしまった醜女(ブス)は、痛みと欠乏でいつもあえいでいます。
普通に生活しているだけでも苦しくてたまらないのですから、他人に噛みついてプライド㎉を補充しようとします。
その結果『嫉妬してる』『ねたんでる』『マウントを取ってる』などといった批判を受けることになってしまうのです。
〝悪口や自慢〟というのは、分かりやすい〝直接攻撃〟ですから。
やめて下さい!
濡れたタオルを投げつけないで!
いくら防水性能があるとはいえ、液晶やセンサーに悪い影響が出ますから!
もし回路基板が損傷したら、捜査を続けられませんよっ!
「あのな。毎回、毎回、おまえのトンデモ理論は不愉快なんだよ」「まぁ仕方ない。しょせんは機械なんだ」「こいつには赤い血が通っていないからな」
そうですね。
刑事さんたちの言う通りかもしれません。
たしかに私は一介のアンドロイドに過ぎません。
ですがですが、なんども申し上げて大変恐縮ですが。この世は正しいことだけで成り立っているわけではありません。
この残酷ともいえる世界の中で、さまざまな問題を解決していくためには、〝彼を知り己を知る〟ことも必要です。
イジメや引きこもりなどの問題でもそうです。あまり理解せずに行動すると、トンチンカンな結末を迎えてしまいます。
「なんだそりゃ!? 具体例を出してみろ」うーん、そうですね……
例えばですよ、子供が通う学校で陰湿なイジメがあったとします。
それに親が気付いたとします。
さて、どう解決したら良いのでしょうか?
よくあるのが〝被害者の親が長い時間をかけ、学校側にイジメの事実を認めさせ、加害者や先生に謝罪をさせる〟というパターンです。
よくニュースとかで目にしますよね。
でもこれって、問題が解決されたと言えるのでしょうか?
こんなことをしても、イジメを受けた子供が元気になるわけではありません。
この方法での決着は、親のプライド㎉が回復するだけであり、子供のプライド㎉は減ったままだからです。
結局のところ責任追及なんてものは〝我が子がイジメられた〟という事実にショックを受けた、親による親自身のための行動なのです。
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