記憶:原ノブ郎

自室 (一年前)

▼むさくるしいという表現がぴったりの六畳間。

 床には洗濯されずに放置された衣服が無造作に積み重なっており、どこに何があるのかを見極めるのが困難なほどだ。スナックのあき袋やジュースのパックなども、捨てられずに部屋のすみに転がっている。

 ベッド横の本棚には小説や漫画だけでなく、様々な小物が置かれている。天井近くに設置された灰色のエアコンの近くまで、フィギュアやアクリルスタンドなどの玩具が、埃にまみれてぎっしりと飾られている。

 部屋の中央に敷かれた古いラグの上には、テレビ・パソコン・ゲーム機・VRヘッドセットなどがあり、これらが生活の中心であることはおよそ間違いないようだ。

 パソコンのディスプレイには、未解決事件に関するWikipediaのページが開かれており、その内容はゾッとするほど細かく記述されていた。ケーブルの間には無造作に大型の狩猟用ナイフまで置かれている。

 ノブ郎はボサボサの髪をそのままにベッドに横たわり、テレビに夢中になっていた。

 ノブ郎の記憶には、彼が観ているアニメが大きく映し出されている。



♪ 深い緑に覆われた林の中、勇敢な青年と粗暴な山賊たちが対峙していた。

 山賊は美しい女性を人質に取っている。

  青年は素早く魔法の呪文を唱え、風をまとって空高く飛びあがった。

「うちおとせ!」

 と山賊たちは怒号を上げながら矢を放つが、青年には一本も当たらず全てそれていく。

  まわりを渦巻く風が盾となり、青年を守っているのだ。

「彼女から手を放すんだ」

 青年は山賊の頭目の近くに降り立った。

「ふざけるな! いけ、お前ら!」

 頭目は額に青筋を浮かべながら手下に命じる。

  青年は余裕の笑みを浮かべながら、「やれやれ、結果は分かりきってるんだけどな」と肩をすくめた。

  山賊たちがナイフを持っておそいかかってくる。

 青年は片手で印を結ぶと、「奥義・神凪」とつぶやいた。

  瞬間、周囲に烈風がふきぬける!

  気が付くと山賊達は全員倒れており、青年ははるか遠くで女性を優しく抱きかかえていた。

「ありがとうございます……」

 女性は感謝の涙を浮かべて青年を見上げる。

  青年は優しい笑顔を浮かべながら、女性をそっと地面に降ろした ♪








▽〈ノブ郎  +20㎉〉


▽ノブ郎さんが観ているこのアニメ、これは俗に言う〝俺TUEEE系(おれつえーけい)〟と呼ばれるジャンルの作品です。

 簡単に説明すると、高い能力を隠し持った無敵の主人公が、その能力をいかしてさまざまなシーンで大活躍し、周囲から『凄い!強い! 素敵!』と尊敬されて認められ、モテモテになるという物語です。

 ノブ郎さんはこれを見て、アニメの主人公と自分を同一化し、モブキャラに対して優越感を感じているようです。

 ノブ郎さんの顔をご覧下さい。今、彼は間違いなく脳汁(ドーパミン)を味わっています。

 彼は現実ではとうてい勝ち組になれません。そのため、空想の中で代償行為を行っているわけです。

 人間は想像するだけでも感情を動かせますからね。

 ん? なんですか刑事さん。また何か言いたいことでも?

「あまり建設的なコンテンツじゃないな」?

 なるほど。なるほど。

 実際の社会で荒波にもまれ、バリバリに活躍している刑事さんからすれば、そう見えるのかもしれませんね。

 ですが、私の意見はまったく違います。

 私は〝俺TUEEE系〟を高く評価しています。

 過酷な外界で負けつづけ飢えきった者にとって、これらの作品は最後の頼みの綱となる食料だからです。

 ノブ郎さんのように現実世界でこっぴどくやられ、強者から捕食され続け、その結果として病んでしまい自死を選ぶくらいなら、いったん自室に撤退して、一人でぼそぼそとプライド㎉を摂取している方が、ずっとマシです。

 はっきり言って引きこもりという行為は、生存戦略の一環なのです。








▼エンディング曲が静かに流れている。見ていたアニメ番組が終わったようだ。

 CMをいくつか挟み、次はテレビからワイドショーが流れだす。

 画面にはノブ郎の部屋とは正反対の明るいスタジオの様子が映し出され、司会者たちが軽快なトークを展開していく。

 番組では、その日のホットなニュースが取り上げられている。特に焦点を当てられたのは若手アイドルの不祥事だった。

 人気絶頂でドラマやバラエティーに引っ張りだこの、大手事務所に所属するアイドルが、飲酒運転で大きな事故を起こしたというのだ。

〝当面のあいだ活動休止〟

〝グループはそのまま活動〟

〝ライブなどへの影響は?〟

〝免許不携帯も!?〟

 次々と出るテロップに、ノブ郎の目は釘付けとなっている。








▽〈ノブ郎  +15㎉〉

 

▽これは俗に言う、メシウマ状態です。

 メシウマとは〝人の不幸で飯がうまい〟という意味の、インターネットスラングです。

〝人の不幸は蜜の味〟と、まったく同じものですね。  

 そうです。

 先ほどのアニメと同じように、これもノブ郎さんにとっては、生きていくために大切なカロリー源というわけです。

 こういったものに支えられて、ノブ郎さんはなんとか精神のバランスを保っているわけですね。

 まぁ一種のジャンクフード。体に良い栄養がほとんど含まれていない、エンプティカロリーとも言えますが。








▼ニュース番組は次のトピックへと移り、一人の野球選手の特集が始まった。

 画面が昨夜の試合のハイライトに切り替ると、劇的なプレイが次々と紹介される。

 ワアアアアア~ ドンドン ワアアアアア~

 インタビュアーがマイクを持ち、試合のヒーローインタビューが始まった。球場からは歓声と拍手が響きわたる。

『みなさんのおかげで、ここまで来ることが出来ました』

 力強いスイングでホームランを放った二十代前半の選手は、はつらつとした様子でスタンドに向かって手をふり、インタビュアーからの質問にハキハキと答えていく。

『これからもチームで足りないところを補いあい、優勝を目指して一歩ずつ進んでいきたいです!』

 彼の発言は謙虚で明るく前向きであり、彼の表情には自信が満ちあふれている。

『こうやって頑張っている選手を見ると、野球ファンだけでなく、私たち社会人も元気をもらえますね』

 ニュース番組の司会者が、ほがらかな表情でコメントを締めくくった。








 ▽〈ノブ郎  -20㎉〉








▼ノブ郎は黙ってリモコンを手に取ると、おもむろにテレビを消した。だるそうにベッドから起き上がると、パソコンの前に移動する。

 カタカタカタカタ カタカタカタカタ

 彼の指はキーボードとマウスを巧みに操り始めた。

 新型のモニターが黒い光沢を放つ中、画面では彼の選んだキャラクターが敵を大胆になぎ倒し、戦場を軽やかに駆け巡っていく。

 ヒュー バンバンバンバン ドドドドド 

「ふ~」

 一試合終わると、ノブ郎は首に巻いたタオルでひたいの汗をふきながら、手元にあったペットボトルのジュースに口をつけた。

 画面を切り替えると、オンラインのチームメイトから、彼の活躍を称賛するチャットが大量に送られてきていた。

  【やった~(*^▽^)】

  【ノブさん動体視力良すぎ。無双じゃん】

  【Good job :D 】

  【もはや尊いわ、ノブさん次も組んで】

  【さっきのってどうやんの?】

 ノブ郎は一時的に対戦を止め、質問者に対して丁寧にテクニックを解説し始めた。ネットの向こうからはさらに感謝の言葉が返ってくる。

  【お~! これは知らなかった。ありがとう!】








▽〈ノブ郎  +30㎉〉








▼トントン

 突然、ノブ郎の部屋のドアがノックされた。

 ヘッドホンを外していたノブ郎は驚き、ビクッと体を震わせた。

「ノブ君、カウンセラーの鈴木先生が見えたわよ。ちょっと開けてちょうだい」

 母親だろうか。ドアの向こうからいかにも心配そうな声が聞こえてくる。

 ノブ郎はいそいでパソコン画面を消すと、物音を立てないように息を殺した。

 ドアには後付けの鍵がかかっている。

「ノブ郎くん。開けてくれないか?」

 今度は落ち着いた男性の声が聞こえてきた。

 ノブ郎は黙ったままドアに近づき、隙間から廊下を覗いた。

 カウンセラーの鈴木はシンプルで清潔な服装をしており、落ち着いた雰囲気を漂わせている。

「ノブ郎、開けてちょうだい。今日はこのあとに佐々木さんも来るんだから、あなたの部屋も片付けておかないとダメなのよ」

 再び母親の声が聞こえてきた。

 何を言われようと関係ないといった感じで、ノブ郎は身じろぎ一つせず、静かに息をひそめている。

「寝てるのかしら?」と母親はつぶやいた。「せっかく来ていただいたのにスイマセン。最近は外出もしなくて……」

「いえいえ、いいんです。手紙を書いてきましたから」

 カウンセラーの鈴木はハキハキとした調子で返した。青白い顔をしているノブ郎とは対照的に、健康的な浅黒い顔色をしている。

「あの……先生は本を何冊も書かれたうえ講演もされていますよね。私も読ませていただいたのですが、引きこもりにも種類があるとか?」

 母親は疲れきった様子でたずねた。

「はい。そうです」

 カウンセラーの鈴木は自信たっぷりの声で返事をした。








▽〈カウンセラーの鈴木  +120㎉〉








▼「うちみたいなケースは立ち直れるもんですか? あの子はよく『俺は世間一般によくいるタイプの引きこもりとは、わけが違うんだよ』なんてことを言っていますが……」

 母親はうなだれながら、おずおずと尋ねた。

「お母さん、大丈夫ですよ。孤立状態にある人は、みなさん同じようなことを言うんです。自分が特別だと思いたい心理です。ですが、私どものやり方なら必ず良くなります」

「そうでしょうか」

「大丈夫です。時間はかかるかもしれませんが、まかせて下さい」

 カウンセラーの鈴木は手紙を書き終えると、閉ざされたドアの下に滑り込ませた。

 白い封筒がノブ郎の散らかった部屋の中へと入ってくる。

 カウンセラーの鈴木は、母親と少し雑談を交わした後、大きな足音を立てて玄関から帰っていった。








▽「せっかくお金を払ってカウンセラーを呼んでいるのだから、意固地に閉じこもっていないで話くらい聞いたら」? 

 たしかにはたから見たら、そう思うかもしれませんね。

 う~ん。

 はっきり言ってそれは難しい注文です。

 何故なら〝カウンセリングを受ける〟という行動自体が、プライド㎉を減らしてしまうものだからです。

 自分の問題を見つめ直すという行為は、今の自分のダメな部分を再認識することになります。それは劣等感を刺激してしまい、さらなる精神的ダメージを負うことに繋がります。

「そういうことを乗り越えなければ、現状は変わらない」?

 いやいや、そう簡単ではありません。

 成功した社会人のように、プライド㎉の残量に余裕がある人であっても、自尊心にダメージを受けることは非常に苦痛であり、そのような状況はなるべく避けようとします。

 プライド㎉が枯渇しきっている引きこもりの人たちに、カウンセリングを強いることは、脱水症状の人をサウナに入れるようなものです。

 根本的に無茶な話であり、本人からの抵抗は当然の反応と言えるでしょう。








▼ブロロロロロ……

 大きなエンジン音が聞こえてくる。

 ノブ郎が窓から外を見ると、赤い車が走り去っていくのが見えた。








▽一方カウンセラーの先生の方は、余裕たっぷり、いいご身分です。

 彼らはお金を受け取るだけでなく、仕事を通じて充実感とやりがいを感じています。 

 カウンセリングを職業として行い、お金を稼ぐのと同時に、それによって自己実現や自尊心の向上を行っているのです。

 もちろんモンスタークライアントや、大変な出来事にぶつかることもあるでしょう。

 それでも仕事を変えないのは、カウンセリングとはカウンセラー自身のプライド㎉を増やすための効果的な方法であるからです。

 患者の幸福のため以上に、カウンセラー自身の精神的幸福に寄与するものだからです。








▼ノブ郎は差し込まれた白い封筒をつかむと、押し入れを開けそのまま中へと放り込んだ。

 押し入れの中はすでに色々な物が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれており、ちょっとしたことで雪崩をおこしそうな勢いだった。

 押し入れを閉めようとしたノブ郎の手に一冊の本が触れた。それはすべり落ちると開いて床に広がった。

 卒業文集だ。

 調子に乗って騒いでいる龍二の姿が飛び込んでくる。

 目立つヤンキーたちだけでなく、かわいい女子生徒や、活発な運動部のメンバーの写真も目に入る。

 中にはノブ郎が写っているものもあった。所属していた将棋部の少年たちとの、和気あいあいとして楽しげな写真。

 しばらくの間、ぼんやりとそれらを眺めていたノブ郎は、やがておもむろに立ち上がった。

 カリカリ カリカリ カリカリ

 ノブ郎は机に向かうと一心不乱に何かを描きはじめる。

 紙の上には次第に絵が形をなしていく。

 彼が描いているのは……漫画だった。








▽「何を遊んでいるのやら」ですって? 

 いえいえ刑事さん、ノブ郎さんは極めて真剣に取り組んでいるのです。

 はい。

 これももちろんプライド㎉の枯渇からくる行為です。

 ちょっと机の上を見てください。そうそう、そこに雑誌が置かれていますね。開かれて折られているそれです。

 そこに〝〇〇漫画賞の締め切り〟というのがありますよね。おそらくノブ郎さんはこれに応募するつもりなのでしょう。

 長いこと引きこもり生活をしていても、同世代との差は非常に気になるものです。だからといって正規のルートでの挽回は難しいため、彼は一発逆転を狙っているのです。

 もし漫画賞で認められれば〝漫画大賞を取った人〟として、身を立てることができます。減少したプライド㎉を一気に回復することが出来るのです。

 そうですね。

 たにかに、このようなハングリー精神から努力を続け、素晴らしい作品が世に出ることはありますね。

 まぁ……大抵の場合、さらに無駄な時間を費やして、歳を重ねるだけなのですガ。








▼カリカリ カリカリ カリカリ カリカリ

 カビ臭そうな部屋の中で、背中を丸くしたノブ郎は、必死に絵を描き続けていた。

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