リビング (三年前)

▼場面が切り変わった。

 窓の外では日が沈もうとしており、オレンジ色の残光が徐々に薄れていく。

 庭にある畑の端ではヒマワリがぼんやりと映し出されている。

 食卓の上には果物が入ったガラスのボウルが置かれ、キッチンからは野菜を切る音が聞こえてきた。

 ノブ郎は半袖姿でソファーに横になっていた。右手で文庫本を持ちながら、左手でテレビのリモコンを操作している。

 スゥゥゥゥゥゥ

 ノブ郎の頭上では白いエアコンがゆっくりと上下に動いている。


『――おおっと! アイちゃん限界か!?』

『バケツ、バケツ!』

 テレビではローカル番組の大食い選手権が放送されていた。

 無理をした選手の一人が吐いてしまったようで、画面の一部にモザイクがかかる。

「食べ物を粗末にしている感じがして、嫌ね」

 お鍋を運んできた母親が顔をしかめた。

「たしかにそうだよな。世界には食うに困ってる子供だっているのに……」

 ノブ郎は眉をよせ深刻ぶった表情を浮かべた。

 母親はしばらく一緒にテレビを見ていたが、鍋から聞こえてきたゴトゴトという音に気づき、慌ててキッチンへと戻っていった。


「ただいまー。あー疲れた」

 入れ違いに若い女性が部屋に入ってきた。彼女は肩にかけた大量の荷物をドサリと床におろす。

「あ、姉さん。お帰り……」

 ノブ郎は体を起こし振り返った。

「あー暑い。まじで疲れたわ」

 女性は吐き捨てるように言うと、エアコンのスイッチを乱暴に操作した。

 ウイイイイイ

 室内機のファンが力強く動きだし、観葉植物の葉がわずかに揺れ始める。

「ちょっと寒すぎない?」

 ノブ郎が毛布を引き寄せた。

「あんたは家のなかで一日中ゲームして、ジュースばっかり飲んで遊んでるから体が冷えてんのよ。こっちはこのクソ暑いなか働いてんのよ」

 女性は食卓の上にあった麦茶を手にとった。

「あら、ノブ子。あんた帰ってたの?」奥から母親がサラダを運んできた。「ちょっとお洋服を見てくれない? お出かけする時のコーディネートに迷ってて」

「えーめんどくさ。後にしてよ」

 ノブ子と呼ばれた女性は、嫌そうな顔をしながら手をパタパタと振った。

「『後で後で』って、この前もけっきょく寝ちゃったじゃない」

 母親は娘に対し、不満そうな顔を向ける。

「とりあえず、今は疲れてるから」

 ノブ子はスマホをいじりながら、食卓のイスにどっかりと腰をおろした。

 母親はため息をつきながら、お茶碗にご飯をよそり始めた。








▽おやおや、これは大変です。大事件です。

 見て下さい。  

 ノブ郎さんだけでなく、お母さんやお姉さん顔を。

 全員の目に張りが全然ありません。

 ちょっとためしに、この三人が保持している、プライド㎉の総量を数値化してみましょう。

  

〈母    総量 3000㎉〉

〈ノブ子  総量 4200㎉〉

〈ノブ郎  総量 1150㎉〉

  

 最初の記憶捜査の時に、三島龍二さんの総量も測ってありますが、彼は〈50000㎉〉という膨大なカロリーを蓄えていました。

 それに比べると、三人ともかなり低い数値なのが見て取れます。

 特にノブ郎さんの状態はひどいものです。

 完全に栄養失調状態であり、餓死寸前です。








▼「仕事でたくさんのお客さんを担当を付けられて、もう大変よー。発注ミスしないようにかなり気を使うし。なんだか睡眠も浅くなって体調も悪くなるし」

 ノブ子はうんざりとした様子で、前に座る母にため息を漏らした。

「大変そうだね、お疲れさま。でもあまり自分から体調不良をアピールしない方がいいよ……」

 と、ノブ郎は身じろぎしながら呟いた。

「べつにアピってるわけじゃないわよ。ただ事実を言っただけよ。新しいプロジェクトが始まっちゃって大変なのよー」

「……そんなに疲れるなら、ギチギチに仕事をしなくてもいいんじゃない? パソコンがあれば自宅でも起業できるし」

 ノブ郎は文庫本を持ち、顔を伏せたまま言った。

 ノブ子はサラダにフォークを突き刺しながら、「フン」と鼻で笑って返した。「あんたがパソコンでやってるのはただの遊びじゃない。趣味でカチャカチャやるのなら誰だって出来るのよ。起業なんてそう簡単じゃないの。現実の仕事にはたくさんの人が関わってくるんだから」








▽〈ノブ子  +70㎉〉

〈ノブ郎  -60㎉〉








▼「金稼ぎだけがそんなに偉いわけじゃないだろ。生き方は人それぞれだろ」

 ノブ郎は顔を赤くしながら反論した。

「人それぞれって言ってもね~。このまま引きこもってるわけにはいかないんだから、なにか資格をとるとか少しは自立につながることをしたら? ずっと仕事しないわけにはいかないんだから」

 ノブ子は余裕のある表情で果物を口に運び、モグモグと美味しそうに咀嚼した。








▽〈ノブ子  +30㎉〉

〈ノブ郎  -50㎉〉








▼「でも姉さんだって、しょせん雇われのサラリーマンだろ。それってカッコいい仕事とは言えないよね」

 ノブ郎は本を閉じると、ソファーに寝転がった。

「なに言ってんの。世の中には色んな職業があるけど、外資系企業で働くのはかなりイケてる仕事よ」

「それはどうかな?」

「じゃあ聞くけど、どんな仕事だったらカッコイイわけ?」

「そりゃあまぁ……プロスポーツ選手とか、アーティストとか、医者とか……」

「プッ」ノブ子は茶碗を持ちながら、わざとらしく吹き出した。「はいはい。いかにも引きこもりが考えそうなことだわ。そんな仕事は一万人に一人とかっていうレベルのものだから。外資で働くOLはもちろんそこまでじゃないけど、普通でいったらかなり上位の仕事だから」








▽〈ノブ子  +60㎉〉

〈ノブ郎  -90㎉〉








▼「いや~そうかな? 僕はそうは思わないけどな。まぁ世間一般的に言えば、真ん中くらいの平凡な職業でしょ」

「あのね。それは家から出てない人が、テレビやインターネットを見て考えてる〝世間一般〟でしょ。メディアには芸能人やスポーツ選手がよく出てくるから、そういうもの凄い人たちを基準にしちゃってるだけでしょ」

「そうかなぁ。しょせん社畜だろ」

「まぁ、一つ確かなのは、引きこもりのニートが偉そうに評価することではないわ」








▽〈ノブ子  +40㎉〉

〈ノブ郎  -130㎉〉








▼「……外資系だなんだっていうけど、それって結局は虎の威を借りてるだけだろ……姉さん本人はなんてことのない、ただのブスじゃん!」








▽〈ノブ子  -170㎉〉








▼「あんたみたいに趣味に逃げて毎日を潰して過ごしてる、くだらない人間に言われたくないわよ!」

 ノブ子は椅子を蹴るようにして立ち上がった。

「趣味すらまともにない、かわいそうな人に言われたくないね」

とノブ郎。

「私の趣味は人間観察よ! 街にはあんたみたいな変な奴が結構いるから、観察してるとかなり面白いわ!」

 ガチャリ 

 玄関の方で音がした。

「お父さんが帰ってきたわよ。二人ともいいかげんにしてご飯食べちゃいなさい」

 黙って聞いていた母親が、見かねて仲裁に入った。

「もういいわ。ごちそうさまー」

 ノブ子は素早く茶碗を片付け、足早にリビングを後にした。

 一方ノブ郎は、ようやくソファーから重い腰をあげ、ノロノロとした動きで食卓についた。


「お前がぁ甘やかしすぎなんだぁ!」

 玄関から呂律の回らない大声が聞こえてくる。

「もういいですから。お風呂わいてますよ」

 出迎えに行った母親の溜息まじりの声も聞こえてきた。

「今日なぁ、会社で子供の話題になったけどなぁ、俺がどんな気持ちでそこに居たと思ってるんだ!?」

 かなり酔っているのか、父親はドンドンと足を踏み鳴らしている。

「…………」

 一口も手をつけぬまま、ノブ郎は持っていた茶碗を静かに机に置いた。

「…………」

 虚ろな目をしたまま自分の部屋へ戻ったノブ郎は、おもむろに引き出しを開けると、中から狩猟用ナイフを取り出した。

 刃先は鈍く光っている。

「…………」

 ナイフをしばらく眺めた後、ノブ郎は頭を振ってそれを鞘にしまい、パソコンの前に座りこんだ。

 カタカタ、カタカタ、カタカタ

 カタカタ、カタカタ、カタカタ

 カタカタ、カタカタ、カタカタ

 ノブ郎は不祥事を起こした有名人のSNSを開き、悪口を書き込むことに没頭していった。








▽〈ノブ郎  +3㎉〉

〈ノブ郎  +3㎉〉

〈ノブ郎  +3㎉〉

 

▽ノブ郎さんがキーボードを叩いているところで、記憶が終わりましたネ。

 はい。どうやらここまでのようです。

 う~ん。

 刑事の皆さん、期待に満ちた目でこちらを見られていますが、現時点では全く犯人がしぼりこめませんね。

「……お前は科捜研の肝いりじゃなかったのか?」刑事さんのおっしゃるとおり。まったく申し訳ない。

 まぁアレです。一度推理ミスをしているので、慎重に検討していきたいわけです。

 ちょっと、やめて下さい。

 そんな風に、あからさまな溜息をつくのは。


 ノブ郎さんはネットでのアンチ活動にいそしんでいましたね。

 そうです。

 もちろんこれも、プライド㎉によるものです。

 そもそも〝アンチ活動〟とは、ミスした誰かを集団で叩くことで、自分より下の存在を作り出す行為です。

 それによって、枯渇したプライド㎉を補充できるのです。

 構造的にはイジメと全く同じですね。

 「…………卑怯な行為だな」

 たしかにそうですね。

 卑劣で卑怯な行為です。

 しかしですね、カロリー残量のことを考えると、私にはどうしても彼を責める気になれません。

 そうです。

 ノブ郎さんはギリギリの所で、殺人や自殺といった極端な行動を踏みとどまっているのです。アンチ活動によってなんとか精神を安定させ、なんとか糊口をしのいでいるのです。

 

「……ひとまずアンチ活動の件は置いておいておくとしても、姉弟で仲良くするなど身近な所から少しずつ、現実を変えていくことは出来ないもんかね」なるほど。

 剣道や柔道の段持ちである刑事さんたちらしいご意見ですね。

 あなたたちのような偉丈夫は、そのように考えるのかもしれません。

 強き人には、それくらい簡単なことに思えるのでしょう。

 はっきり言わせていただきます。

 弱者にとっては、それが大変難しいのです。

 ノブ郎さんの周囲の環境を考えてみて下さい。

 龍二さんのような人は、ノブ郎さんのことをエサとして見ています。腹をすかせた肉食獣とわかり合うのは不可能です。 

 同様にノブ子さんも顔を合わせた瞬間から攻撃的です。最初から〝喰うモード〟に入っています。行動や言葉によって彼我の差を知らしめ、プライド㎉を補充しようとしてきます。

「いやいや、お前が言っていることはおかしい。そもそも家族というのは……支えあうものだろ……」ええ、ええ。刑事さんのおっしゃるとおり。それは分かっています。

 たしかにそうですよね。

 それが理想です。

 外では争っていたとしても、家の中でくらいは仲良くすべきだと思います。

 パッ

 ではこの統計データをご覧ください。

 おや、刑事さん。

 苦虫を噛み潰したような顔をされましたね。

 そうです。

 お気づきですね。

 『家族仲良く』たったそれだけのことが、どれほど難しいことかを。

 障害となるのは〝競争心〟です。

 競争心というものは、自分と近しい者、同じグループの者に抱きます。視界に入る頻度が高い相手に抱きます。

 逆に全く違う業界の人や、遠い国の知らない人には抱きづらい感情です。

 幼い頃から一緒に暮らしている兄弟姉妹は、関係性が近く、どうしてもプライド㎉の競合相手になるのです。

 「子供を比べてはいけない、ってやつか!?」

 いいえ、子供の頃だけの話ではありません。成長して大人になってからもそうです。どこかにずっと競争心を持ち続けています。

 ノブ郎さんの家族だけが特別なのではありません。これは普遍的なものです。

 その結果が先ほどの統計データです。

 刑事のみなさんは職業柄、何度か見たことがあるのではないでしょうか?

〝日本の殺人事件の半数以上は親族間で起きている〟という、恐るべきデータを。



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