学校 (十年前)

▼朝の光が校庭の芝生を照らし、露で濡れた草の葉がキラキラと輝いている。サッカーボールが軽やかに転がっては高く空へと舞い上がる。

 ワアーー…… 

 グラウンドから短い歓声がわいた。

 見事にシュートを決めた青年が、仲間たちに囲まれて笑顔を見せている。

 よく見ると近くの壁には『祝・サッカー部 県大会準優勝』の垂れ幕も飾られている。

 一方、その爽やかなシーンから少し離れたところ、うす汚れた外階段の下に、龍二は悪そうな友人と一緒に座りこんでいた。

 彼らにはサッカー部の青年たちのような爽やかさはないが、それとは異なるある種の威厳がある。

「ジブンも格闘技を始めたんや?」

 龍二がたずねると悪そうな友人はウンと頷き、その場で軽くシャドーボクシングをしてみせた。

「この間のケンカに影響されたっていうか。俺も龍ちゃんみたいに強くなりたくてさ」

 悪友はキラキラした目で龍二の方を振り返った。「なんていうか、漢になりてぇんだよな」

 それを聞いた龍二は大きくうなずくと、青い空を眩しそうに見上げた。

「ええで。今度は一緒にケンカしに行こか」


 カンッカンッ カンッカンッ 

 階段の上から足音が聞こえてきた。龍二たちは話すのを止め、静かに耳を澄ませる。

「今日の配線工事は三階の音楽室ですね」

「はい。よろしくお願いします」

 四十代位の大人が二人、和やかに会話しながら階段を上がっていく。

 片方はスーツにメガネをかけ、もう片方は作業服を着てコードリールを肩に担いでいる。

「案内は必要なかったですかな。毎週のように来ているんだから」

 と、メガネの男が肩をすくめて言った。

「ごひいきにして頂き、教頭先生には感謝しかありません」

 作業服の男がペコリと頭を下げる。

「もう、専属業者のようなものですなぁ」

 と言って、教頭と呼ばれたメガネの男は福々しく笑う。

「はい」

 作業服の男は再び頭を下げた。

「そういえばお宅のお嬢さんも、ずいぶん大きくなったんじゃないですか?」

「もう小学四年生です。早いものです」

 作業服の男が汗をぬぐいながら答えた。

「ずいぶん可愛くなったでしょう。見るからに賢そうな娘さんでしたもんねぇ」

 と教頭は汗でずれたメガネの位置を直しながら言う。

「いえいえ。うちの子は食べてことにしか興味がなくて」

 作業着の男はかぶりを振った。

「そんなことはないでしょう。ほらまだ一年生の時に、月と地球の関係について私に語ってくれましたよ」

 と教頭は懐かしそうな顔をした。

「いえいえ、賢いといえば教頭先生のお子さんですよ。あの名門の桜蔭中に通われているんですから」

 作業着の男はいかにも感心した様子で言った。

「お互い一人娘だから、可愛くてしかたないですよねぇ」

 教頭は目尻を下げながら靴を脱いだ。

 階段をのぼりきった二人は校舎の中へと消えていった。 








 ▽〈教頭  +190㎉〉








▼ガシャン ガシャ ガシャン

 駐輪場の方で大きな音が響いた。黙って煙草を吸いながら上の様子をうかがっていた龍ニたちは、そちらのほうに視線を移す。

 見ると自転車が将棋だおしになっており、ノブ郎が焦った様子でそれを起こそうとしていた。慌てれば慌てるほど自転車は互いに絡みあい、ペダルが車輪にはまりこんで複雑なオブジェの様になっている。

 龍二と悪友はその光景を見てニヤリと笑った。

「あいつはしょーがねーな」

「そやな」

 二人は視線を合わせると、駐輪場に向かって歩き出した。途中チラリと上を見て、校舎からは死角になっていることを確認する。


 バシッ

 龍二は無言で自転車を起こしているノブ郎に近づくと、後ろ頭をいきなり押した。

「う……」

 ノブ郎は前につんのめりながら呻く。

「なにやってんねん、ゴラ」

 龍二はいつものように顔を近づけて詰めよった。

「あ……ごめん……三島君のも倒しちゃってた?」

 謝ろうとして下げたノブ郎の頭に、龍二はヘッドロックをかける。

「悪いと思うんやったら、もっとちゃんと謝らんかい!」

「わ、わかったよ……どうやって謝ったらいいの?」

 ノブ郎がおびえた声でたずねると、龍二は口元を歪めながら手を離した。

「せやなぁ。三回まわって、ワンやなぁ」

「え……」

「なんや? 知らへんのかい」

 龍二はクルクルクルと軽快にターンをしてから、ノブ郎に自分の顔を近づけると、「ワン!」と威嚇するような大声を出した。

「…………」

「オラ、せっかく龍ちゃんが手本を見せてくれたんだから、お前もちゃんとやれよ」

 悪友が駐輪場の柱をドンッと蹴った。

 ノブ郎は少しためらってから、その場で三回まわると、小さな声で「ワン」と言った。

「ギャハハハ! マジでやりよったぁ!」

「プライドねぇのかよ~!」

 それを見た龍二たちは楽しそうにはやしたてた。








▽〈龍二たち  +170㎉〉

〈ノブ郎   -860㎉〉


▽ここでの狡猾ポイントは、龍二さんが〝先に同じことをしている〟という点でしょうか。

 ノブ郎さんとしては先生に訴えたくても、なんと言ったらいいのか、どのような被害を訴えるべきなのか、分からなくなります。

 表面的には同じことをしているので一見平等に見えますが、自分から進んでふざけてやったのと、強制されて仕方なくやったのとでは、その意味合いはまったく違うわけです。

 なんですか? 刑事さん。

「クラスメイト同士、なぜ仲良く出来ないのか」?

「龍二はどうして仲良くする子と、仲良くしない子を作って差別するのか」?

 ……あの~刑事さん。

 まだそんな絵空事を言っているのですか。

 ちょっとだけ、胸に手を当てて考えてみて下さい。

 ご自身の学生時代を思い返して下さい。

 本当はうすうす気付いているのではないですか? この世界はそういう風には作られていないことを。

 子供というのは残酷なものです。

 小学校低学年の児童であっても、自然とクラスメイトを〝友達要員〟と〝食事要員〟に分けて考えています。

 もちろん、誰だって仲間は欲しいし、友人は大切にします。

 同時に、プライド㎉を満たすための食事も必要なのです。

 子供たちは、ダメな子を嗤うことで、その食事を楽しんでいます。

 足が遅い・サッカーやバスケができない・喧嘩が弱い・顔も頭も悪い。そのような子は、いじられキャラになっていくしかありません。

〝カースト上位にあらずんば、人にあらず〟 

 本当は誰もが身に染みていることのはずです。








▼全ての自転車をなんとか元通りに直し、トボトボと立ち去ろうとしたノブ郎に向かって、龍二は舌なめずりをしながら声をかけた。

「まだ終わりじゃないで。今日は一緒に帰ろうや!」

 ノブ郎は、まるでナイフで刺されたかのように、ビクッと背中を震わせて止まった。



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