#11:優しい4人の時間<2>(本の時間。朗読つき)
「じゃあ、少し読んでみましょうか?」
翔太くんの提案に、みんなでブランコから公園のベンチへ移動する。
琴葉ちゃんと春奈ちゃんの目が輝き、期待に満ちた表情で翔太くんを見上げる。
翔太君のいつも読んでいる本が気になっていたらしい。
私も自然とその輪の中に入っていた。
翔太君とテーブルを挟む形で、汗ばむ女子3人が座る。1対3の構図。
私が翔太君のとなりに行くべきかもしれないが、そこは、鬼ごっこのあとということで、許してほしい。
ベンチには金木犀の香りが、そっと風に乗って漂ってくる。
夕暮れ前の柔らかな光が、四人を優しく包み込む。遊具の影が少しずつ長くなり、どこか懐かしい雰囲気が漂う時間。そういえば昔、男の子が持ってきたヒーロものの漫画を公園で読ませてもらった記憶がよみがえってくる。みんな元気かな……
『星の王子様』。
翔太君が持つその本は、少し色褪せた表紙で、でも、大切に読まれてきた本には独特の魅力がある。私も小学生の頃、確か図書室で読んだことがある。けれど、その時、物語の本当の意味が分かったかというと、定かではない。今もきっとそうだろうという実感さえある。
「作者の意図を答えなさい」というテストは正解できるという自負はある。でも、それは本当の意味であっているのかは......疑問だ。そんなの作者に聞かないとわからない。私はひねくれ者だ。自負している。
「これは、大切なことを教えてくれる物語なんです」
金木犀の香りと一緒に届く翔太くんの声は、テーマパークのストーリーテラーとは違う温かさがある。自然と相手を包み込むような、相手の波長に合わせた声。そんな不思議な力を持っている。
本を開く翔太くんの手が、夕陽に照らされてオレンジ色に輝く。春奈ちゃんと琴葉ちゃんは、まるで魔法にかけられたように、物語の世界に引き込まれていく。さながら夕暮れの魔法使いだ。
「これは、王子様とキツネが出会うところです」
翔太くんがゆっくりとページをめくる。
「飼いならすって、どういうこと?」キツネのセリフに首を傾げる春奈ちゃん。
「それは...きずなを作ることかな。......僕はそう思う。」
翔太くんの答えに、私は思わずドキリとする。その言葉の選び方が、まるで大人のようで。
この「飼いならす」というセリフに限らず、星の王子さまは読み方が難しい。私も日本語訳しか知らないが、このあとキツネは、「仲良くなる」という表現を使う。
「星の王子さまは絆の話なんだよ」。昔、翔太君と同じようなことを誰かにそう言われた気がするが、あれは誰だったか......
「ねえ、翔太くん。この本、ずっと持ってるの?」
琴葉ちゃんの言葉が取り留めない思考をしていた私を現実へと返えしてくれる。
「ええ。大切な本なので」
その答えは、どこかまた深い意味を含んでいるような気がした。
星の王子様の話は進んでいく。
琴葉ちゃんと春奈ちゃんも、真剣な表情で聞き入っている。
私は翔太くんの声を聞きながら思い出そうとしていた。先ほど記憶のトビラが開きかけた、「星の王子さまは絆の話なんだよ」の言葉。あれも、むかし、男の子の声で語られたような気がする。今の状況のような既視感。それは大切な何かを思い出そうとするような、そんな感覚。
物語は静かに進んでいく。遊具の影が伸び、街灯が一つ、またひとつと灯り始める頃。
「人を大切に想う気持ちは、時間をかけて育っていくんですよ」
これは翔太君の感想だろう。でも、それも含めて、みんなが少しずつ物語の世界に溶けていく。私も、私の中にある何かがうっすらと姿を表し、そして溶けていく。捕まえられない。
琴葉ちゃんと春奈ちゃんの間に流れる空気も、さっきまでとは違う。二人の視線が交わるたび、小さな微笑みがこぼれる。物語は、確かに二人の心にも何かを残しているようだ。
黄昏時の公園で、四人の小さな物語が、静かに紡がれていった。まるで大切な夢を見ているような、そんな不思議な時間。翔太くんの声が、優しく響いていく。
* * *
「そろそろおうちに帰る時間ですね」
本を閉じながら翔太くんが顔を上げる。
私は空を見上げる。街中だけどかすかに星の瞬きがいくつか見えた。公園には街灯の明かりがともり、静けさが増している。もう少しで夜の帳がおりきる。
「えー、もう?」
琴葉ちゃんが名残惜しそうな声を上げる。春奈ちゃんも少し寂しそうな表情。でも、確かに子供たちは家に帰る時間だ。
「また明日遊ぼうね」
そう言うと、二人の表情が少し明るくなる。物語の余韻を残しながらも、すぐに子供らしい笑顔が戻ってくる。
「うん!明日も来てね、椎菜お姉さん!」
「私も!私も来るから!」
琴葉ちゃんと春奈ちゃんは元気よく手を振りながら、一緒に帰り支度を始める。かばんを背負い、制服のスカートを整える仕草が、微笑ましい。二人の間には、もう先日の涙の痕跡は見当たらない。
「気をつけて帰ってね」
「はーい!」
二人は肩を寄せ合うように歩いていく。その後ろ姿には、確かな友情が映し出されているように見えた。物語を一緒に聞いた時間が、二人の絆をさらに深めたのかもしれない。
二人の姿が街角に消えると、公園には静けさが戻ってくる。私と翔太くんだけが残された空間に、秋の風がそっと流れ込む。
「二人を家まで送っていかないで大丈夫かな?」
「大丈夫だと思います。琴葉も春奈も、すぐそこのマンションなので。」
そういって翔太くんは視線を公園の裏手にあるマンションに向ける。
「そうか。あの距離なら大丈夫だね」
「はい。それに二人ともしっかりしているので」
ブランコに並んで腰掛ける。子供たちが帰った後の公園には、不思議な穏やかさが漂っている。街灯でできた遊具の影は、昼間のものより淡く感じる。でも、どこか懐かしい雰囲気を醸し出していた。
「みんな、楽しそうでしたね」
翔太くんの静かな声が、夜のはじめの空気に溶けていく。
「うん。本当に仲良しだね、あの二人」
私はゆっくりとブランコを揺らす。軋む音が心地よい。
二人の間に流れる沈黙は、どこか心地よい。言葉を交わさなくても、同じ時間を共有している感覚。それは私がテーマパークで感じる夢の時間とも違う、何か温かさがあった。
「そろそろ、私も帰らないと」
立ち上がる私に、翔太くんも静かに頷く。
「お姉さん、今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ。楽しかったよ」
翔太くんは『星の王子様』を大切そうにかばんにしまう。その仕草には、いつもの優しさが滲んでいた。
「おうちの近くまで送っていこうか?」
歩き始めようとした、翔太くんに声をかける。
少し驚いた顔をしたけどすぐにいつもの優し気な顔に戻る彼。そして少し申し訳なさそうな顔をする。
「すみません、お姉さん。」
うん?
「それは僕がいうべき言葉でした……」
・・・いやいや、男子小学生に送らせる女子高生もどうかと思うよ。
でも、ちょっと嬉しいのは内緒だ。
「ありがとう。私は大丈夫だよ。よりたい所もあるしね」
寄り道をしないで帰るつもりだけど、ちょっと嘘をつく。
「そうですか」
翔太くんは静かに頷く。
「気遣ってくれてありがとう。大丈夫だよ」
私は夜の帳に染まる公園を見渡す。翔太くんも同じように視線を巡らせ始めた。鬼ごっこをした遊具たち、物語を読んだベンチ。そこには、さっきまでの賑やかな時間が、まだほんのりと残っているような気がした。
公園を一周してお互いの目線があう。
「また明日」
「うん。また明日ね」
夕暮れの中に消えていく翔太くんの後ろ姿を、私はしばらく見送っていた。
(#12につづく / 24.12.3 PM20に更新予定)
次の更新予定
2024年12月4日 20:00 毎週 月曜日 20:00
椎菜のドクハク~ボーイッシュJKは今日も夢をつくる~ 坂道光 @sakamichikou
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