#07:天使からの手紙

ロッカールームで、私は再び制服を着替える。今度は白を基調とした飲食店用のユニフォーム。元のユニフォームにつけていた、「くまくまバッチ」も、付け替える。


「ハニーベアー。君の出番だよ」


指先で胸元のバッチを軽くノックする。まさか、こんな形で役立つ日が来るとは。研修を受けたのは、去年の夏。暇を持て余した時期に「体験してみない?」と誘われて。森川さんもメンターとして指導してくれたっけ。


「椎菜ちゃん、ありがとうね」


スマイルキッチンのチーフ、井上さんが声をかけてきた。研修の時にもお世話になった人だ。


「いえ、当然のことです」


「いや、本当に助かるよ。椎菜ちゃんなら大丈夫だって、私も知ってるからさ」


そう言って、井上さんは優しく微笑む。でも、その目は疲れている。ここ数時間、現場は完全に修羅場だったんだろうな。


・ ・ ・


「いらっしゃいませ!」


最初の接客。家族連れのお客様だ。両親と小学生くらいの男の子。


「お席はどちらがよろしいでしょうか?」


と聞きながら、私は窓際の空いている席を確認する。そうだ、この時間なら...。


「あちらの窓際のお席は如何でしょうか?15分後にパレードが始まりますので、お食事をしながらご覧いただけます」


「え、そうなの?」


男の子の目が輝く。両親も嬉しそうな表情。


マジックメモリーズでは、商品を売るだけ。でも、ここでは違う。時間と場所と、そこで生まれる思い出。全部セットで提供するんだ。それって結局、夢を売ることの本質なのかもしれない。


朝、森川さんと話したことを思い出す。


「受験シーズンとか、制服で来るお客様には特に気を使うの。みんな頑張ってるから、ほっと一息つける場所でありたいなって」


・ ・ ・


昼のピーク時。次々と押し寄せるお客様の波。


「お待たせいたしました。フルーツサンドのセットでございます」


汗を拭う暇もない。でも、不思議と体が覚えている。去年の研修で学んだことが、自然と身体に染み付いているみたい。


「森川さんは今日いないの?」


常連らしきお客様が尋ねてくる。


「申し訳ございません。本日は...」


言葉を選びながら答える。森川さんの体調には触れず、単に「お休み」とだけ。


「そう...。あの子、いつも頑張ってるものね」


お客様の言葉に、胸が締め付けられる。森川さんは、こんなに忙しい中で、一人一人のお客様との関係も大切にしていたんだ。


・ ・ ・


ようやく昼のピークを越え、短い休憩時間。


ロッカールームで椅子に座り、深いため息。はぁ~。

「つかれた~」


なんとなしに、ロッカーからスマートフォンを取り出すとメッセージが届いていた。森川さんからだ。


『椎菜ちゃん、本当にありがとう。

井上さんから、椎菜ちゃんがヘルプに入ってくれたと教えてもらいました。

いま病院から家へ帰ってきました。体調管理できていないと反省です。



椎菜ちゃんにお願いがあります。

実は、私のロッカーに手帳があるの。

お客様一人一人のことを書き留めているんだけど...

特に14時に来られる田中さんのことは必ず見ておいてほしいな。


それから、時間帯別の注意点とか、パレードとの兼ね合いとか、

いろんなことを書いてるから、よかったら参考にしてね。♪』


ひとまず森川さんは、家に帰れたようで、少し安心した。

森川さんのメッセージに従い、ロッカーを開ける。整然と片付けられた中に、一冊の手帳。


パラパラとページをめくると、細かな字で埋め尽くされたページが次々と現れる。天候による客層の変化、パレード前後の席案内の工夫、予算や時間に配慮が必要なお客様への対応...。


そして、田中さんのページを見つける。

森川さんが「見ておいてほしい」といった場所。特に念入りに読み込む。


「椎菜ちゃん、ごめん。休憩おわりで~」


井上さんの声だ。

慌てて手帳を閉じる。

でも、今確かに見たもの。それは単なる接客マニュアルじゃない。一人一人の「物語」だ。


そうか。私が考えていた「夢の原価」って、もしかしたら...。


立ち上がりながら、手帳の重みを感じる。今日はいつもと違う夢の工場で、新しい夢の作り方を学ぶことになりそうだ。


そう思いながら、私は再びスマイルキッチン...いや、夢の工場へと向かう。


(#8につづく)

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