#06:パークの天使、倒れる(夢の生産ラインは止められない)
また今日も、1000円で夢を売る仕事。 私、
はぁ~、今日も夢の工場でお仕事か。
9月も中旬に入り、朝晩は涼しくなってきたはずなのに、日中の暑さは相変わらず。エアコンの効いたロッカールームでも、ユニフォームに着替えるだけで少し汗ばむ。
ロッカーの鏡に映る自分の姿を確認する。ジャンパースカートタイプのユニフォーム。最初は気恥ずかしかったけど、今ではすっかりお気に入り。エプロンを羽織り、紐を後ろで結んで...よし、準備完了。
この紐を結ぶ作業が私を切り替えさせてくれる。
今日は新商品の入荷日。季節の変わり目だから、商品構成も夏から秋へとシフトしていく。パークのマスコットキャラクター「ドリーミー」の新作グッズも入荷予定だ。きっと開店と同時に、たくさんのお客様が押し寄せるんだろうな。
「あ、椎菜ちゃん、おはよう!」
明るい声が響く。振り向くと、「スマイルキッチン」で働く森川千夏さんが、笑顔で手を振っていた。
「森川さん、おはよーございます」
森川さんは、パーク内でも評判の人気者。お子様からご年配の方まで、誰とでも自然に打ち解けられる接客の天才。人呼んで「パークの天使」。
一部の男性スタッフやお客様は、本気で森川さんのことを狙っているらしい。まあ、分かるけど。
「今日も暑くなりそうだね」
森川さんがロッカーの前で後ろ姿を確認しながら言う。いつもの朝の風景。でも、今日は何か違う。
普段は上げている前髪を今日は下ろしている。テーマパークの服飾マニュアルでは、基本的に目にかからないようにすることが推奨されているはず。特に森川さんは軽食を扱うから、いつもは前髪を上げて帽子で隠してるのに。
それに、いつもよりメイクが念入り。下地をしっかり重ねて、チークも普段より色を足してる。疲れた顔を隠したいのかな。
「椎菜ちゃんは今日も、マジックメモリーズ?」
「はい。今日は新商品の入荷日なんです。ドリーミーの秋コレクションとか」
「あ、そうなんだね。うちも今、秋メニューの開発期間なの」
森川さんの声が少し疲れた調子を帯びる。
「新作の試作と現行メニューの提供の両立で、みんな大変で...。パンプキンクリームのホットサンドとか、色々アイデアは出てるんだけど、なかなかイメージ通りにいなくて」
現行メニューの提供だけでも忙しいのに、新メニューの開発も並行して行わなければならない。しかも、お客様に対する笑顔は絶やせない。その重圧が、森川さんを少しずつ消耗させているように見える。
「森川さん、テスト期間中の高校生って、どう接客してました?」
私は気になることを別の質問に置き換えてみる。すごく疲れているのに、頑張り続けている人に、どう声をかければいいのか。その答えが、今の森川さんにも必要な気がして。
「あ、それね」
森川さんはユニフォームの襟を整えながら、優しく微笑む。自分がどんな状況でも相手ファーストの森川さんはやっぱりすごい。
「受験シーズンとか、制服で来るお客様には特に気を使うの。みんな頑張ってるから、ほっと一息つける場所でありたいなって。あと、予算を気にしてる様子の子には、さりげなくお得なセットメニューを勧めたり...」
そこで少し考えるように間を置いて、
「あと最近は、制服デートのカップルも増えてきたかな。彼氏が彼女の分まで払おうとして、でも彼女が申し訳なさそうにしてる時とか。そういう時は、さりげなくハーフサイズのメニューを提案したり...」
森川さんの言葉に考えさせられる。私も、夢を売る仕事してるけど、こんな風に一人一人のことを考えられてるかな。一対一の相手ファーストでいられるだろうか……
「疲れてる時こそ、笑顔が必要だと思うの。でも、押しつけがましくならないように。さりげなく、でも温かく」
森川さんは続ける。その声には確かな誠実さがあった。でも同時に、今の森川さん自身が、その言葉の実践者であり、犠牲者でもあるように見える。
「椎菜ちゃんも、もうすぐテスト?」
「え?あ、はい。来週からです」
「そっか。頑張ってね。でも、無理はしないでね」
最後の言葉が、どこか自分自身に言い聞かせているように聞こえた。森川さんは立ち上がる。その手が、少し震えているような...。
「じゃあ、行ってきます」
元気な声とは裏腹に、足取りが少し重い。見送る私の胸に、何とも言えない不安が広がる。でも、それ以上は何も言えない。みんなそれぞれ、頑張ってるんだから。
・ ・ ・
「いらっしゃいませ!」
マジックメモリーズでの業務は、いつも通り。朝一番は新商品の品出し。秋色に彩られたドリーミーのグッズたちが、キラキラと店内を飾っていく。
ドリーミーの新作マグカップを並べながら、さっきの森川さんの言葉を思い出す。一人一人に合わせた接客。確かに私も、お客様の様子は見ているつもり。でも、森川さんほど深くは考えられていないかも。
開店から1時間ほどが過ぎ、予想通り新商品目当ての常連さんたちで店内は賑わっていた。
ちらっと窓の外を見ると、スマイルキッチンも既に長蛇の列。お昼のピークはこれからだけど、森川さん、大丈夫かな。
その時、店の裏側がざわつき始めた。
「森川さんが...」 「えっ、マジで?」 「救護室に...」
断片的に聞こえる声に、胸が締め付けられる。
私は商品棚の整理を中断して、お店の裏へとまわる。廊下では何人かのスタッフが小声で話し合っており、その表情には心配と戸惑いが混ざっている。
「春日部さん!」
シフトリーダーの春日部さん(28歳)が内線電話で話し込んでいる。その表情が硬い。
「はい、分かりました。でも、今すぐの対応は...」
電話の向こうは、どうやらキャッスル(本部の隠語、夢の城の意味)らしい。緊急の人員配置について相談しているみたいだ。森川さんの体調が心配だけど、今この瞬間も、たくさんのお客様が夢を求めて並んでいる。私たちにできることは、その夢を途切れさせないこと。
通常なら、こういう緊急時は社員が補充要員として入る。社員は基本的に一通りの研修を済ませているから。でも今日は、パーク全体が混雑のピーク。各セクションから人を抜くのは難しそうだ。
私は無意識に、自分の胸元に付いている「くまくまバッチ」に目を落とす。クマのキャラクターが食べ物を食べている絵が描かれたバッチ。軽食提供の研修を終えたスタッフにだけ渡される、ライセンスのようなもの。
去年の夏、暇を持て余した時に受けた研修。まさかこんな形で役立つことになるとは。
「...はい。ええ、ちょっと待ってください」
春日部さんが電話を受話器で押さえながら、私の方を見る。その目に、何かが浮かんでいる。言葉にする前から、私には分かっていた。
私は黙ってうなずく。この制服に袖を通した時から、私たちは夢を守る仲間だから。
「はい。バイトですが、一名、戦力になる者が...」
春日部さんの声が続く。私は窓の外を見る。観覧車が、ゆっくりと回っている。夢の国は、今日も回り続けている。
そうだよね。お客様の夢は、止まらない。だから私たちも、立ち止まるわけにはいかない。
「私の夢の原価は、今日はちょっと高くつきそうだな...」
そう呟きながら、私は覚悟を決めた。
(#7につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます