#05:朝の予定は、勝手に増える (4日坊主にならないために走っていたら猫を拾った話)
私、椎名椎菜はなぜかまだ日が昇りきらない時間に目を覚ました。
今日は久しぶりのバイトが無い日曜日だったりする。
カーテンを開け、窓を押し上げると、朝の空気が部屋に流れ込んでくる。まだ日が昇りきっていない空が、淡いブルーグレーのグラデーションを描いている。早朝の街は、いつもと違う顔を見せていた。新聞配達のバイクのエンジン音が遠ざかり、どこからともなく鳥のさえずりが聞こえ始める。パン屋からは焼きたての香りが漂い、まだ目覚めていない家々の間を、ゆっくりと朝が進んでいく。誰もが忙しない平日とは違う、ゆったりとした空気が流れている。
ふふ、朝の空気にあてられて、町を眺めながら文学少女になってみる。
ま~、そんなことはどうでもよく、最近の私は運動不足を感じていた。
バイトと勉強の両立で、なかなか体を動かす時間がないし、週末のバスケ部の練習にもほとんど参加できていない。
そんなわけで、私は朝のジョギングを始めることにした。平日は学校、土日はバイトがあるから、走れるのは朝しかない。何だかんだ今日で4日目なので、三日坊主は避けられた。
「はぁ~、眠い」
朝6時。まだ薄暗い空の下、ジョギングウェアに着替えて家を出る。いつもテーマパークまでバスで通る道を、今日は走って巡ることにした。
「原価ゼロの健康投資」
そう独り言を言って、自分を鼓舞する。朝の空気は気持ちいいし、これならイケるかも...なんて思ったのも束の間。 走り始めて5分もしないうちに、早くも後悔が襲ってくる。
「もうちょっとくじけそう。こころの収支があっていない。このままでは4日坊主の悪夢。辛くない。頑張れ、私。出来る子、私。」
そんな呪文を唱えつつ走る。
はたから見たらちょっと怖いかもしれない。
周りを見渡すと、同じように朝のジョギングを楽しむ人たちの姿が目に入る。みんな颯爽と走っているのに、私はもう息が上がりそう。やっぱり運動不足だったんだな。
気分を変えるため、この際、何時もと違うことをしようと少し脇道に入る。
すると、小さな公園が見えてきた。普段はバスからちらっと見える程度の場所だ。
「ここを通って...ん?」
茂みの中から、かすかな鳴き声が聞こえる。
足を止めて耳を澄ませると、猫の鳴き声だ。
茂みをのぞき込むと、そこには小さな子猫がいた。グレーとホワイトのぶち模様で、首輪をつけている。迷子になったみたいだ。
「あ...」
子猫を抱き上げながら、ふと思い出す。この前、バイトでプリンセスティーナのペンダントを売った時の話。暗い森で迷子の子猫を助けるエピソード。莉央ちゃんに話したばかりなのに、まさか自分が似たような経験をすることになるとは。
「こんな朝っぱらから、おとぎ話の国へ異世界転移!?」
思わず笑みがこぼれる。ドリーム・ファクトリーで売ってる夢が、こんな形で現実になるなんて。
子猫は人懐っこい性格らしく、私の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。首輪を見ると、「うに」という名前と住所、電話番号が書かれているんだけど...住所の部分が雨に濡れたのか日焼けしたのか、ほとんど読めない。名前以外では、電話番号だけがかろうじて判読できる状態だった。
「よし、まずは電話してみよう」
スマートフォンを取り出して、電話番号に電話してみる。でも、誰も出ない。
「そっか、まだ朝早いもんね」
もう一度うにちゃんを抱き上げる。落ち着いた茶色の瞳が私を見上げている。かすれた住所を何度も見返してみるけど、この辺りのどこかってことしかわからない。
「うーん、どうしよう」
テーマパークのバイトなら、迷子の子供を案内所に連れていけば良いんだけど。今日はただの女子高生。私個人としてこの子猫の面倒を見なければならない。
「まあ、これも何かの縁だし」
そう決めると、不思議と心が軽くなった。バイトではなく、純粋に誰かの手助けができる。
うにちゃんを抱きながら、近所を歩き回る。首輪の住所は読めないけど、この辺りに住んでるはずだ。子猫を抱いている女子高生という珍しい光景のせいか、通りすがりの人が気軽に声をかけてくれる。
「まあ、可愛い子猫ちゃんね。迷子?」 「その子の首輪の住所、読めないの?」 「ああ、うにちゃんでしょ?いつも窓辺で日向ぼっこしてるの見かけるわ」
みんな親切に情報を教えてくれる。特にお母さんたちは、子猫を見ると足を止めて、心配そうに声をかけてくれる。朝の掃除や散歩中のおじさんたちも、「あの白っぽい家の辺りで見かけたことあるぞ」「ゴミ出しの時に、似たような猫がいたような...」と、思い出しながら教えてくれる。
テーマパークでは、制服を着ているから誰とでも自然に会話できる。でも今日は違う。ジョギングウェア姿の普通の女子高生として、地域の人たちと関わっている。なんだか新鮮な感じがする。
時間が経つにつれて、だんだん辺りも明るくなってきた。近所の人たちの情報を総合すると、うにちゃんの家はこの通りの白い家らしい。でも、それらしい家が2軒ある。
「もう一度電話してみようか...」
スマートフォンを取り出しかけて、でも少し迷う。もう8時近くだし、家の場所もだいたいわかってきた。電話より直接訪ねた方が、状況を説明しやすいかもしれない。
結局、白い家の一軒目のインターホンを押してみることにした。
「はい」
お年寄りの声。緊張しながら説明を始める。
「あの、すみません。朝早くに失礼します。子猫を保護したんですが...」
「まあ!うにじゃない?」
入り口から出てきたのは、小柄なおばあさんだった。
「本当にありがとうございます」
おばあさんは何度も頭を下げながら、うにちゃんを抱きしめた。
無事飼い主さんが見つかって一安心。よかった。よかった。
私は、おばあさんとうにちゃんに別れを告げて帰路につく。
「結局、今日は全然走れなかったけれど。まあ、なんだか得した気分」
そう呟きながら、私は歩を進める。さっきのおばあさんの笑顔。あれは、テーマパークで見る「夢」の表情とは、また違う何かがあった。人を助けることの喜び。無償の親切がもたらす、温かな気持ち。
「よし、明日はもっと走るぞ!...たぶん」
今日は、ちょっと違う夢の作り方を学んだ気がする。
そして私は、予定より3時間遅れで、家の玄関ドアを開ける。
明日の天気予報、確認しとかなきゃ。明日の天気は雨か晴れかどっちだ。
心の中でこっそり、雨を願う自分がいた。
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