第2話

 翌日、学校に行くと何人かの警察官が待っていて、彼らと共に職員室に向かうことになった。

 職員室には先生たちと、私を虐めていた女子数人、そして各家庭の親が集まっていた。

 どうやら昨夜、警察署に匿名の通報があったようで、提供された情報を基にして捜査が行われ、あまりの証拠の多さに一夜で特定ができたそうだ。

 女子たちの親が必死に謝ってくる。

 本当は許したくない。でも、彼女らは学校を退学になることが決定したし、それに誰が撮ったのか分からないけど、ネットには昨日の虐めが動画としてアップされているらしく、それが大炎上して彼女らの名前も住所も特定されているみたいだった。

 一瞬、ヒマワリがやったのかと考えたけど、ネットリテラシーがしっかりしているアンドロイドはそんなことしないだろうし、何より見せてもらった動画の最後にはヒマワリが映っていたから、撮影したのは通りがかった人間だろう。

 許せはしないけど、彼女たちはもう社会的に死んだも同然だ。甘いかもしれないけど、これ以上何かをする気持ちにはなれなかった。

 彼女たちは学校から出て行き、私は教室に戻る。

 ようやく地獄の日々から抜け出したというのに、その実感はまるでない。いつもと変わらず授業を受け、放課後になる。

 いつもは決まってどこかへ呼び出されていた。でも、それがなくなり、時間の使い方が分からなくなる。

 今日も日差しは強かった。熱せられたアスファルトの熱気が足を炙る。

 町の様子は変わらず、いつも通りだ。

 街路樹を世話するアンドロイド。道路の清掃を行うアンドロイド。スーパーの前で荷物を抱えて座り込むおばちゃんは、熱中症を心配してしまう。


「――香織さん」


 名前を呼ばれた。

 誰だろうと振り向くと、ヒマワリが笑顔で手を振っているのが見える。


「昨日の件は警察に通報しておきました。大丈夫でしたか?」

「うん、ありがとう。彼女たちは退学になったよ」


 ……これ以上、言葉が続かなかった。彼女と何を話したらいいのか分からない。

 どうにか次の言葉を絞り出そうと苦労していると、ヒマワリの方から喋ってくれた。


「このあと時間がありますか? お連れしたい場所があるのですが」


 連れていきたい場所、か。暇を持て余している身にはありがたい申し出だった。

 断る理由もなく、ヒマワリの後に付いていく。

 白黒の世界が流れていく。色のない町も、もうすっかり見慣れた光景だ。

 どこに行くのだろうか。それが少しだけ気になった。


「着きました。香織さんにこれを見せたくて」


 そこは、どこにでもあるような普通の花屋さん。けれど、花屋さんには普通の、それでも私にとっては普通じゃないものがそこにはある。

 それは、色鮮やかに咲き誇る巨大な向日葵の花。虐めを受けて以来、すっかり脱色された私の世界で唯一黄色の色彩を放つ向日葵が店先に置かれていた。

 ……よく、分からない。これまで何度も向日葵の花なんて見てきたはずなのに、その店の向日葵はとても美しく、そして煌びやかな色をしていた。

 同時に私は気が付いた。目頭が熱くなってくる。

 『ヒマワリ』か。なるほどたしかにその通りだ。


「ヒマワリ……あなたの髪、綺麗ね」


 いつの間にか、白黒だったヒマワリの体に色彩が戻ってきていた。

 店先の向日葵と同じように美しい黄色の色味があるヒマワリの髪を撫で、そっと呟く。

 短く切り揃えられたその髪は、作り物だという雰囲気を一切感じさせないほどに美しいものだった。

 太陽の花としても名高い向日葵。私の冷えきった心へと温かな光を注いでくれる。

 ヒマワリは、手にした花をレジへと持っていった。そして、美しくラッピングしてもらった花束を抱えて帰ってくる。


「この花は、私の名前の花。私を作った方は、私が誰かの太陽になれるように、とこの名前を付けてくれました」

「……だから、暗く沈んだ私と関わりを持った?」

「それもあります。でも、それ以上に私の中で処理できない感情が生まれたのもまた事実」


 ヒマワリは、少し照れくさそうに微笑む。それから、深く息を吸って持っていた花束を私に向けて差し出してきた。


「向日葵の花言葉をご存知ですか?」

「えと……ごめん、知らない」

「黄色の向日葵の花言葉は……『あなただけを見つめる』です。私は、いつまでも香織さんだけを見つめたいと思いました。だから、香織さんが困った時は頼ってください。近くにいる私を頼ってください」


 差し出された花束が、滲んだようにはっきりと見えなくなる。体が震える。胸が苦しくなる。

 ヒマワリから花束を受け取り、しっかりと胸に抱えた。

その時から、私の世界は一変する。

 失われた色彩が取り戻される。白い空には、懐かしい青色の輝きが戻ってきた。

 まだ薄い色合いではあるが、私には分かる。これらはこの先、本来の美しい色を取り戻すだろうと。私に、その輝きを返してくれるだろうと。


「香織さん? なぜ、泣いているのですか?」


 指摘され、私の目から涙が流れていることに気づいた。


「何か、間違ったことを……」

「ううん。涙はね、嬉しいときにも出るんだよ」


 ずっと、冷たい闇の底に沈んでいた。誰からも助けられることはなく、孤独と苦痛に苦しんできた。

 そんな私を、闇から救い出してくれた。こうして、日常が美しいものだと再認識させてくれた。

 そんな私の救世主の名前は――ヒマワリ。太陽のような存在。

 彼女は、まるで本当の太陽のように私を明るく照らしてくれた。冷たい暗闇から、明るい世界に連れ戻してくれた。

 そんなヒマワリに、私はこれから何か返していくことができるのだろうか。

 それは分からない。けど、確実に分かることもある。

 ヒマワリは私の笑顔のために頑張ってくれた。なら、見せるのは泣き顔じゃなくて笑顔だ。

 涙でぐしゃぐしゃの顔で無理やり笑う。伝える言葉は一つでいい。


「ありがとう」


 そう言うと、ヒマワリは満足そうな笑顔を見せてくれた。

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