忘れ去られるその時まで

桔梗 浬

誰のために

 あの日……何が起きたのか、ずっと気になっていた。

 何故母は僕だけを残し、妹を連れて逝ったのか。そして何故、あんなものを僕に残したのか。答えを僕はいまだに探し続けている。


 僕の実家は岡山県の山の中にあるポツンと一軒家。この山を代々管理している小鳥遊家には、秘密の家業があった。


「ボン、今夜は3名だ」

「OK! 巌さん」


 巌さんは僕の祖母の好い人だったらしい。若い頃は超イケメンだったらしく、祖母と駆け落ちする寸前だったとか。昔から小鳥遊家の家業についても精通しているし、母さん亡き後も何も知らなかった僕をこの世界に導いてくれた。経験を積んだ皺だらけの手が、年月を物語っている。


 僕は3名分の衣装を用意しながら巌さんに尋ねた。


「今日の人たちは何をしたの?」

「ボンがきにするこたぁ~ないな」

「でも」

「そういやぁ~、最初の頃、深雪さんも同じようなこと言っていたなぁ~」

「母さんが?」


 巌さんは僕をボンと呼ぶ。小鳥遊家の当主だからって言うけど、母さんが残したモノをただなぞっているだけの僕は、これが正しいのかすらわかっていない。


「ねぇ、巌さん……知っておきたいんだ」


 白い着物をそれぞれ漆の箱に入れ、いつもの指定場所に置きながら、僕は再び尋ねた。


「ったく、ボンには叶いませんな」


 よいしょ、と立ち上がると巌さんは腰につけた台帳をペラペラとめくり、こう続けた。


「今夜の3名は人を殺した挙げ句、自ら命をたった人たちですね」

「自殺……」

「ボン、決して何とかしようと思ってはダメですぞ。毎度、言ってますけど」

「あ、あぁ」


 そう、小鳥遊家の家業とは、死者の霊を浄化することを生業としている。

 死してなお、己の犯した過ちを反省させ霊をリセットさせる。そうでないと因果応報、輪廻転生、よく分からんけど争いの世が無くならないというのだ。まるで死者の飼育、調教とも言うのだろうか。


「母さんもこの中にいるのかな?」

「ボン……」

「ほら、今日はさ母さんと櫻子の命日だし」

「そうでしたな」


「僕がこの中に入れたら、会えるのかな?」

「ボン、変なことは考えないことです。この中に入ると言うことは、命が絶たれるということ。小鳥遊家の血筋が絶えてしまいます」

「血筋ってそんなに大切なのかな? あ、もちろん僕はまだ死にたくはないよ」


 巌さんと僕は彼らが到着するのを待ちながら、酒をちびちびと酌み交わしていた。母さんはきっと、こんな家業から逃げ出したっかたのだろう。

 あの時、母はここで眠るように亡くなっていた。僕の大好きだったワンピースを着て、見たこともないほど綺麗に化粧をしていた。とても美しい姿で布団を赤く染め、妹の手を握りしめていた。「何故僕を置いて逝ったの?」あの時の幼い僕が問いかけた言葉だった。


「ボン、深雪さんも好きでこの家業を継いだわけでも、好きでボンにこの家業を残したわけでもないと思いますよ。むしろ親ならば子どもには好きなことをやってもらいたいと、願っていたはず」

「それは巌さんの想像でしょ? 現に僕はこうしているわけだし」


 僕はつまみに用意したキュウリをポリっとかじった。


 僕たちはここでやさぐれた霊を受け入れ、服を着替えさせ指定の場所に誘導する。彼らが無事『夜魅の池』の渡し船に乗り込むのを見届ける。もしこの儀式が行われなかったら、憎しみや悲しみの連鎖が複雑に絡み合い増長する。誰かがどこかで鎖を断つ必要があるのだ。それは分からないでもないけど……。なぜ僕が選ばれたのかは謎だ。


 毎回満月の夜に死者はやってくる。そんなにも憎しみを抱えて人は生きているものなのだろうか。母は何も変わらない毎日に嫌気をさし、この仕事を僕に押し付けたのではないだろうか。自分の命と引き換えに……。僕は次第に母が亡くなった理由はそれ以外考えられなくなっていた。


 そんなある日、巌さんがこの世を去った。


 悲しいとかそんな感情が沸くこともなく、ただ「ボッチになったんだな」と認識させられただけだった。

 巌さんのために、スルメと日本酒を用意した。あの世で祖母と仲良く暮らせばいい。本当にあの世があるなら……。


『ボン』


 巌さんの声が聞こえた。


「巌さん?」

『……』


 なぜ、巌さんが? 僕は慌ててリストを確認する。そこに巌さんの名前はなかった。


「どうして?」

『ボン、すまなかったなぁ~』

「何で謝るの……、いや、なぜここに?」


 巌さんは受け取るものを受け取って歩き出す。


『わしの本当の名前は、そこにある通り。わしは昔、家族を殺めてしまった』

「そっか……それでここに逃げて来たわけだ。知らなかったよ」

『はい。誰にも内緒でしたから』


 巌さんは大きく頷き、頭を下げる。別に巌さんが何をしてきた人かも気にならなかった。だって僕にとってはいつも側にいてくれた人だから。家族を殺めたって言ったって、何か深い理由があってそしてずっとその事を後悔していたのだろうから。僕がとやかく詮索することじゃない。


『一つボンに伝えたくて』

「何?」

『それは……』


 巌さんとのお別れが近づいていた。『夜魅の池』に船頭がすでに到着している。巌さんは深々と頭を下げこう告げた。


『深雪さんは自殺じゃないのです』

「えっ!?」

『わしの罪を許して……欲しい』


 ガラガラの声でそう訴えかける。僕は何の事だかさっぱり理解できなかった。ただいろんな感情が洪水のように流れ込んで、収集がつかない。


「ど、どういう意味? 自殺じゃなければ!? 何? 何だって言うの?」

『ボン、この家業のことは捨て置きなさい。わしが全てを背負います』

「いきなりそんなこと言われても、分からないよ」


 するといつも通り船頭が、死者の罪を読み上げる。


『娘、小鳥遊 深雪とその娘櫻子を殺害。小早川 万三朗、乗りなさい』

「えっ? えっ?」

『すまなかったなぁ……、ボンは自由に生きてくだされ。後はわしが何とかします』

「何とかって……、誰かが送り人をしなくちゃならないんだろ!? いきなり、何なんだよ」


『何とかなりますよ。古いものは廃れ、伝統なんざ忘れ去られる世の中だ。ボン、元気で。こっちには来ないでくださいな』


 僕は何も知らなかった。母が僕に面倒ごとを押し付けて、可愛い妹だけを連れて逝ったと思っていた。母を恋しく思い憎みもした。でも……巌さんが、殺した? この家業を継ぐ事を哀れんだのか、それとも他の理由があったのか。やはり僕にはわからない、分かりたくもないよ。


 巌さんは深々と頭を下げる。その船が見えなくなるまで僕は『夜魅の池』の畔にたたずんでいた。


 古き伝統……古き儀式。一つ一つ消え行くものを数え、僕は今日も死者のために道案内をする。

 いつかこの家業が不要となるその日を願って。



END


 

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忘れ去られるその時まで 桔梗 浬 @hareruya0126

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